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【ネットワーク所属議員 リレーコラム⑤ 豊島区議会議員 川瀬さなえ】


●議員になった理由
こんにちは。
東京都豊島区議会議員、1期目、川瀬さなえです。
私は二人の娘が6歳、10歳の時に別居、離婚しました。
それまでは、毎日の子育てに追われる専業主婦でした。

経済的に頼れる親族もおらず、貯金もない、仕事もない、
そして、住む家もなくなる状況で別居となり、
母子自立支援施設の生活も経験しました。
当時、最初に仕事に就いたのは、医療事務と、
塗装会社とダブルワーク。
手取りの給料は15万円程で、先を見通せない生活と離婚調停の
不安な日々で毎日メソメソと泣いてばかりでした。
(経済的にも精神的にも崩壊していました(^_^;)
当時、小学5年の長女が、そんな私を見て
「ママ、泣かないで。私がいるから大丈夫だよ。
私がママを守ってあげるからね。」とギュ~ッと抱きしめてくれました。
10歳の娘にそんな思いをさせている申し訳なさに、自分を恥じました。
この一件が、私は娘たちのために、しっかりしなきゃと
意を決した日でもありました。

しかし、現実には、離婚に至っていない母子には
支援が受けれなかったり、手続きが必要であったり、
ひとり親家庭が生活していくには、子どもの学校のこと、
住まいのこと、仕事のこと、誰に、どこに相談すればいいのか、
ただ必死に生活するのに精一杯で、自分が抱えている困難に「助けてほしい」と声を上げることも出来なかった。
そして、自分が困っていることも、この状況を受け入れるしか
仕方がないんだと、諦め、自分を責めていました。

娘たちを育てるため、自立した生活をするため、いくつかの転職の後、国会議員秘書として働き始めました。
当時は政治に関心があるわけではなく、職業としての秘書業務をこなしていました。
国会議員の背中を見ながら仕事をしていく中で、
雲の上の存在と思っていた政治が、実は生活に密着していて、
私たちの生活自体が政治であることを実感していきました。

そして、自分の住む地域で、子どもの課題に取り組む民間団体の活動に参加する中、私と同じように、苦しみながら声も出せずに毎日を過ごしている人たちが大勢いる現実を知りました。
私が離婚したから....、私がシングルマザーだから....、そんな、自分だけの問題だと思っていたことが、本当は、個人の問題ではなく、社会の問題であること。
困っている事、おかしいと感じている事を声を上げる事で社会が変わっていくことを経験してきました。

そんな私自身の離婚に至るまでの体験や、ひとり親家庭が抱える困難な状況を当時、公設秘書として仕えていた、荒井聰衆議院議員に話したところ、
「当事者として経験したこと、熱い思いが議員には必要だ。」と背中を押して頂き、自らが政治家として表に立つことを決意しました。

●ネットワークに参加した思い
私は昨年(2019年)の統一地方選挙で当選した1期目の議員です。
地域や、自治体で活動していくと、政策の勉強や支援に繋げるためには一人の議員が動ける範囲には限界があると感じていました。
当事者自治体議員として、行政に一番身近に声を届けられる立場ですが、自治体の枠を超えてひとり親家庭の課題解決には、
同じような志を持った、全国の当事者議員が集まることで、
より社会を変えていくうねりを作っていけると思っています。
私たちだから見える現実、私たちだから聞こえる声を
ネットワークの仲間たちと共に活動していくことで、ひとり親当事者が当り前に生活できる社会にしていきたいと思っています。

●これからどんな社会にしたいか
『本当に困っている人は政治から一番遠くにいる。
声を上げることも難しい。』
『政治とは弱き者に光をあてること』
これは、私が議員秘書として仕えた2人の国会議員の政治信条です。

ひとり親家庭に限らず、高齢者、介護を必要とする方、
障がいをお持ちの方、外国籍の方、LGBTなど、社会の多数に埋もれてしまうマイノリティを持つ方々が、それが当たり前に存在する社会を作りたい。
そのためには、政治の力を必要としている人たちの声に寄り添い、その声を届けていくことだと思います。
私たち、ひとりひとりの声は小さいけれど、その声が集まれば大きな声となって社会を変えていくことができます。

ひとりで子どもを育てていると、
離婚の理由は何であれ、後ろめたさやスティグマを抱えてしまいます。
不安や悩みがある時、言葉にすることで落ち着くことがあります。
誰かに話をすることで、気持ちが楽になることがあります。
私たち、当事者議員は、身近な立場として、その声を聞く人でありたい。
誰もが安心して暮らせる社会を、私たちができる事から始めていきます。

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