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若気の至りをしてみたい


最近、枯れた心を満たすためにある少女漫画を読んでいたところ、私は「若気の至り」をしたことがないということに気がついた。

この時点で、私が少々つまらない人間だということはお察しである。私は真面目が故に、若いからこそ多めに見てもらえることがある貴重な時間を何事も無く過ごしてきた。

何が若気の至りなのかは人によるだろうが、私が漫画を読んでて思った若気の至りは、

・友達と遊んで終電を逃す
・部活をサボって遊ぶ
・全校朝会を抜けて恋人と話す

などだ。


人によっては、そんなこと?と思うかもしれないし、若気の至りじゃないかもしれないが、くそまじめに生きてきた結果理想ばかり膨らんでいる枯れた女にとっては、精一杯の若気の至りだ。

特に下の2つは、中・高校でなければできないことである。やってみたかった…。

と、ここまで後悔の念をつらつらと述べたのだが、真面目に生きているのも、それはそれでいいことだ。人によってはそっちのほうが望ましいかもしれない。

でも、私はこれまでその様に生きてきて、若気の至りをしている同世代の人々と私を比べると、圧倒的に私のほうが老けているように感じた。

心や思考だけで無く、見た目もその様に感じる。殻が向けていないような気がするのだ。


若気の至りをするには、元々の性格が大いに影響を与えるだろう。私は小心者で真面目な奴なのでしてこなかったが、中学・高校で若気が至ってんなあと感じた同級生たちは、だいたい私の対極にある性格の持ち主だった。


自分の「やりたい」という声を無視して規則にばかりとらわれていると、心が死んでいるように思える。ワクワクもドキドキもせず、間違いもハプニングもない平坦な道を、周りを気にしながら生きてきた。

そのおかげで、私の心は弾むことがない。石の様に中々感情が動かない。

それに気づいたとき、悲しくて虚しくてしょうがなかった。これからもこのままだったら、私の人生はなんのおもしろみもないだろう。年齢による自身の無さから、よりブレーキを効かせるかもしれない。


もし、小心者で真面目な私でも、勇気を出して若気の至りを経験してみたらどうだっただろうか。


やってみないと分からないことなので不毛な想像だが、今よりももっと堂々と生きられたのではないだろうか。様々なことに心を動かし、友達ともっと楽しい時間を過ごしたり、当時の恋人たちと甘酸っぱい思い出をつくれたりしたかもしれない。


そう考えると、真面目に生きてきたことがとても惜しい。当時の環境は再現不可能だから、なおさらである。


ああ、なんてつまらない人生だっただろうか。




と、人生終わり気味の人みたいなことを言ってるが、私はまだギリギリ21歳だ。平均寿命までは60年以上あり、身体がきつくなってきそうな30代までは8年もある。


せっかく、ようやく、自分の気持ちに気づくことができたのだ。ここで若気の至りをしなくてどうする。


部活をサボるとか、全校朝会抜けて恋人ときゃっきゃするとかは無理だが、これからは自分の思う「若気の至り」をしていこうと思う。


決して無茶なことばかりではなく、法律に反することはなく、自分の気持ちに正直に行動する。


これからの約10年は、私の活発な心を取り戻す期間だ。

その後は、手に入れた心を使って、人生をおもしろく、味わい深いものにするのだ。


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