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旅行の時くらい、LINEのピン止め外しなさいよ。バカ。


新年あけましておめでとう。
みなさん年越しはどのように過ごされたのでしょうか。

私は念願の年越しフェスへ。
高校の時から大好きな音楽を楽しみながら年越しをするのが夢だった。
ようやく叶ったわけだ。

大きなモニターに映し出されるカウントダウンをみんなで刻み、爆音の中盛大に年越しを祝った。もう、一生忘れないくらい最高に楽しかった。

けど、
ちょっぴり寂しかった。

昔からの憧れが叶ったのに。自由を手に入れたのに。私はあの不自由さを愛していたのかもしれない。

今年最後の日は、鍋をつつきながら紅白かガキ使どっちを見るかなんてくだらない口喧嘩をしていそうだ。



毎度のことながら、2018年もあっという間に終わってしまった。
去年を一言で表すと、《環境の取捨選択の連続》だった。今回は自分がどのような環境を捨て、拾ったのかについて思い返してみるね。

春、大学1年目をほぼ費やしたといっても過言ではないスキーサークルを辞めた。そこではたくさんのことを学んだし、楽しいことの方が多かったけれど、大学生活このまま終わらせるのは勿体ないと思う自分を裏切れなかった。

このスキーサークルは一学年の人数が両手に収まるような、小さなサークルだった。アットホームで馴染みやすかったため、新歓に行った時からここしかないと入部を即決していた。男気のある面白い先輩たちが大好きだった。

でも、ありのままの自分でいれたことは、なかった。いつも先輩に近づきたくて、偽りの自分を演じていた。
かつ、同期のことを好きになれなかった。
地味で、先輩にひょこひょこ(私を含め)。私が理想とする環境とはかけ離れていた。

その中で1年間駆け抜けた結果、心に残ったのは満足感より違和感だった。

先輩に何度も退部を考え直すように止められ渋る様子は見せたが、心の中で辞めるという決断は一度も揺らぐことは無かった。

少しでも違うと思ったなら、その感覚を信じるべきだ。満足のいく別の道がある。絶対に。

私はこの自らの決断力を、誇りに思う。

そして同時期、そのサークル以上に大きな存在だったものとも別れを告げた。

私の頭と心の大半を占めていた、大好きだった人。春にさよならをした。
その人はサークルの先輩。3つも歳が離れていたからそりゃフィルターにフィルターが重なり格好よく見えるわけだ。

事情を知らない友達には『彼氏』と言っていたが、本当は言葉に出来ない関係だった。
だらしない関係、だった。

見栄を張りたくて彼氏と言っていたのも一理ある。けれど、本当に彼氏だと思っていた。彼女がいることは知っていても。

彼には当時2年以上付き合っている相手がいた。きっと今も続いているだろう。
世間から言わせれば、私たちの関係は『セックスフレンド』だったのだろうか。
彼は私をそう思っていたのだろうか。

でも私は、本当に本当に彼のことが好きだった。
未熟者なりに、彼を愛していた。

愛していたから、この関係が誠実なものではないなんて二の次だった。ただ会いたくて、話したくて、抱きしめてもらうことが先だった。

そんな関係は半年間続いた。中身が濃すぎてたった半年間しかないのか、と今でも思ってしまう。

二人の半年間の最後は、日光旅行だった。赤い特急に乗って一泊二日。東京から逃げるようにして向かった。大好きな人との旅行は本当に楽しい。けど、誰にも言えない秘密の旅行。それをもスパイスに感じるほど大人ではない。

時たま表示される彼女からLINEの通知。一瞬険しい顔をするからすぐに分かる。
トークでは常に1番上に居座っている。
あーあ、旅行の時くらい、LINEのピン止め外しなさいよ。バカ。
東京から逃げても、この現実からは逃げられなかった。私は彼をさらうことは出来ないんだ。ずっとずっと私たちは平行線なんだ。

冷静にそんなことを考える私がいた。


日光旅行は一瞬で終わってしまった。
池袋駅で特急を降りた後、バイバイしたくなくて駅前のカフェへ流れ込んだ。今も忘れない、周りに知り合いがいないか確認する彼の姿。

カフェで彼は、早くも次の旅行の計画を提案してきた。次は車で山梨にいこう。ほうとう食べたことないって言ってたからさ、食べに行こうよ。それで、美味しいものたくさん食べて、宿でゆっくりしよう。次は二泊でもありだね。

目を輝かせながら次から次へと想像を膨らませている。

ーーー楽しそうだね、そうしよう。
それに対して私は相槌を打つことしか出来なかった。
もう私たちには次はないよ。今日のバイバイで、もう最後だよ。
そんなことを心で繰り返していた。

旅行に行く前からこれが最後だとどこかで決めていた。お風呂でぷかぷかどんな旅行になるんだろうなんて胸を踊らせながらも、バイバイの仕方を考えている私もいた。そして、帰ってきた頃には固い決意に変わっていた。

それでも大好きなことに変わりはなかった。だから、面と向かってさよならは言えなかった。きっと涙が止まらなくなって言いたいことも言えなくなるし、止められたら流されてしまいそうで。

改札を通り過ぎると何も知らない彼は、いつものように手を振った。
私も手を振り返す。バイバイ。


その何日か後の朝、今日は映画見てくる、とのLINEが入った。言われなくとも分かる。彼女とでしょ。

今だ、と思った。それは偶然にも池袋駅。山手線のエスカレーターを上っている最中だったのを鮮明に覚えている。

「もうやめよう」

何の絵文字もつけなかった。
この一言だけを、ため息と共に送り出した。

彼の気持ちより私の気持ちの方が大きかったから、私から関係を切りたかった。
嵐のように心を掻き乱して去りたかった。少しでもいい女で終わりたかった。

深夜、電話で泣きながら止められた。
なら大事にしろよ。もう涙も出なかった。この頃にはしっかりさよならの準備が出来ていたんだろうな。

そして全てのSNSをブロックし合って、私たちは終わった。毎晩3時間電話して、旅行まで行った仲なのに、こんなにも呆気なく、関係は終わってしまうのね。


それから8ヶ月ほど、恥ずかしながら私は彼を引きづった。クズなのは分かっていたけれど嫌いになりきれなかった。彼より好きになれる人なんて現れないと本気で思っていたのだ。

しかし師走ももう中盤に差し掛かるという頃、突然寂しくて死んでしまいたいと思う時期がやってきた。過去最高級にブラックな私が溢れた。誰にも優しくできない。余裕が無い。というか鏡に写るこのブス誰?あ、そういえば私、病気持ちだった。将来もっと辛いかも。生きてて何が楽しいの?死んじゃいたい、、

そんな時、noteを開いた。孤独とは何か、ひたすら孤独の検索をかけた。孤独に支配されているのは明らかだった。少しでもこの闇から抜け出せるヒントが欲しかった。

そしてそこには、様々な孤独の形があった。こんな気持ちに蝕まれるの、私だけじゃないんだ、、、
ひとりじゃないことを知った。私はゆっくりと、ゆっくりと、溶かされるようにして癒されていったのだった。


溶かされて固体が液体に変わる頃、私なりの考えを形にしたくなった。それが1つ目の記事。「死の反対は生じゃなくて愛だと思う」である。

孤独を楽しんで、形を生み出した頃には、不思議なことに彼への執着はまるっきり消えていた。
別れてから8ヶ月間の膿を出し切ったかのように、私の心は元気になった。彼の存在は私にとっていつの間にかウイルスになっていたのかもしれない。


私は今、新たにパフォーマンスサークルに所属している。参加し始めた当初は、すでに出来上がっていたグループに困惑した。部外者のような目で見られた。

それでも今ではすっかり馴染めている。と思う。持ち前のコミュニケーション能力、これこほ私の誇るべきものかも。
そして私のいたい環境だと強く思う。
勇気をだしてコミュニティを変えて正解だった。理想に近づくためには安定にしがみついていてはダメなのだ。億劫な時期もあるだろうが、それをも乗り越えた時に理想に近づくのだと思う。

寝息まで愛した人を捨て、かつての居場所を捨て、新たな居場所を自ら選び作り出した。
まさに2018年は『アップデートの年』だった。

今年はどんな年になるだろう。
どんな人と出会うだろう。

わたしはこの大学で、今年も新しい自分を選択し続ける。

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