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好きとわたし

母の推し

夢中になれるもの。

(推しの効用。

先日、母の付き添いでイベントに参加した。

推し活というほどのものではないが、母が珍しくエンタメに興味を示し、
「会ってみたい!でも、参加の仕方がわからない!会場にたどり着けない!」
などと言うので手取り足取り段取りをした。

とはいえ、まったく畑違いの分野である。付き合うのは正直キツイ。
ある程度アテンドしたら、別行動しよう。
イベントが終わるまでわたしはガンプラと巨大ガンダムを見に行ってこようなどと企んでいた。(そういうとこだぞ。

好きなこと。好きなもの。
誰かと同じ熱量で共有出来たのなら、嬉しいけれども。

「あなたが好きなものを、わたしは好きになろうとしているのに、どうしてあなたは、わたしの好きなものを好きになってくれないの?」

以前知人から言われた言葉を思い出す。

好きになろうとしている。@努力

好きって、努力して好きになれるものなのだろうか。
好きになろうとしている時点で好きじゃないのでは。

誰かがすごく楽しそうにしていて、そんなに好きなの?楽しいの?わたしも気になる!って触発されて実際に触れてみて、
「ほんとだー!!!」ってなることもあれば、「わたしは違うな―」ってなることもある。そういうもんじゃないのか。

相手も自発的にその分野が好きだったら、意気投合することはあるし、
実際そういう相手としょっちゅう会って遊び倒してすっごい楽しかった経験もあるものの、
基本的に好きな事は一人でも楽しめるし、一人の方が楽しめることが多い。(そういうとこだぞ。

好きっていうのは、理屈じゃなく勝手に湧き上がってくるもんだと
生理現象のように捉えていた身としては、今でも覚えているくらい印象的な言葉だった。

当時は何を言っているのか本気でわからなかったし、どうして若干怒っているのかもわからなかった。
今はある程度こういうことかな?の想像はできるようになったけれど、
本人じゃないのでわたしの勝手な想像にすぎない。

ただ、ハッキリしているのは、わたしは「自分の好き」を興味のない人に付き合わせてまで、共有したり共感したいとは思わないということと、相手からのそういった望みを叶えることはできないということだ。



推しに会い、生歌を聴き、握手とサインをしてもらう母のなんと嬉しそうなことか。
肌ツヤが一瞬にして良くなったし、母の周りには大輪の花が咲いてたよね。ピカッピカしてた。
最低でも10歳は若返ってたね。推しパワーすごい。

誰かの心からの好き!を見ているのはとても楽しいし、こっちまで嬉しくなる。

そんな母を見ていたら案の定伝染し、楽しくなってテンションが上がったので、結局わたしも最後まで母に付き合い、ちゃっかり握手をしてもらったのであった(笑)

あの手の握り方はなんというか、、、けしからんね。けしからん。
ファンにはたまらないだろうなあ。メモメモ

”ファンサービス”というのはどういうものかを非常に良く学べた一日でございました。

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