疾走る

電車の中に、自分からして左側に、三人組の姦しい女性が居る。右側には物静かに本をめくる女性、前方には、黄色の明度を少し下げたスカートにデニムのジャケットを着た少女、そしてその少女の母親。視界の中で最も動くのは、右斜め前にいいる男の子。彼の手の中には変身用のアイテムが握られている。彼は何度も何度も変身と唱えて、小さな手を空中に翳す。ニコニコと、男の子の両隣に座っている彼の両親がわらっている。少年は開きずに変身を繰り返していた。

電車の車内放送が次の駅の名を告げる。少年の両親の表情が少しだけ変わる。少年は変わらずアイテムを使って、私の知らない何かに変わろうとしていた。

電車が一度大きく揺れて、気だるげな息を吐き出すように、ぷしゅうと音を立てる。駅名を告げる音と共に、扉が開く。少年と両親はすくりと立ち上がって足早に電車からでた。少年は黄色い線を越えた当たりで立ち止まり、手に持っていたアイテムを天上に掲げて、大声で変身と唱える。まばゆい光、辺に爆発して突風を起こす。たまらず、閉じたひややかな暗闇の後、見えた光景の中には、真っ赤なピッタリとしたスーツに身を包んだヒーローがいた。ヒーローのお仲間のような奇妙な二人組が居て、三人は駅の外へと走りだした。なるほど、彼らはまごうことなきヒーローだったのだ。さっきまでの変身の繰り返しは実によくできた練習であってイメージトレーニングであって、ちゃんと変身できるようにするためのメンタルケアであったわけだ。しかし、まさか直ぐ目の前に本物のヒーローがいるとは、誰が思うだろうか、ふむ、そうなると何処か胸が熱くなる。彼らはおそらく、何某の怪人達相手に苦しい戦いを挑むのだ。負けてくれるなよ、ヒーロー!

ヒーローについて思い巡らしていると、どうやら時間というのは飛んでいて、次の駅についていたらしい。何か考えに没頭してしまうと三十分も一時間もものの数分にしか感じなくなるのは、別に構わないのだが、どこか損をしたようなそんな気分になるのだが、この気持は誰もが抱く気持ちだろうか。

どんな人がこの駅では降りるのだろうかと、変に期待したような気持ちをしていると、あの姦しい三人の女性が見当たらない。電車の外をよくよく探すと、居た。口々に仕事にとりかかりましょうかと、つややかな髪を揺らして、特徴的なオレンジ、ブルー、バイオレットのレオタードの様な物を着た三人がホームに立っている。そうしているのもつかの間、猫のようにするすると建物の合間を縫っては登って、どこかへと走り去ってしまった。なるほど、ああいった者たちも居るのかと、そんなことを思っていると、静かに電車の扉が閉まっていく。ゆっくりと景色が流れて行き、今日は面白いことが沢山起こるものだ、しみじみ思っていると、車両奥からドタドタと走る音がする。見るとこれまた特徴的な三人の男たちがこちらの方に走ってきていた。何事だろうと思っていると、赤いジャケットの猿顔の男が、和服の男に指示を出した。きえぇと大きな掛け声とともに光る刃光、高い金属音と共に扉が切り裂かれる。思うにリーダー格の赤いジャケットの男が、ここで出し抜かれたら大泥棒の名がすたるなんてそんなことをいって、三人一緒にもう随分と早くなった電車から飛び出していった。開かたれた穴から入ってくる風に吹かれながら、大丈夫かと思って男たちを追って見ていたが、どうやら何のことはないらしく、先ほど女性達が消えていったであろう方向に走っていった。鉄とは、切れるものなのか、と、出遅れたように出てきた思考にどう答えを出そうかと手をこまねいていると、同じく出遅れた一人のベージュのコートを来て手錠を振り回す男が、まぁてぇ!と死にものぐるいで穴から飛び出して彼らの後を追った。これにはもう、ぽかんとするしかなかった。

例えそんな奇怪な事が起ころうとも、電車は止まることなく次の駅へ次の駅へと運んでいってくれた。また一人、もしくは二人、三人と駅をすぎるごとに人が減っていく。閑散と、車内が広く寂しくなっていく。最後に取り残されたのは、他でもない自分だった。いやはや、考えても見れば、ここまでやってくるやつなんて、余程の暇人か馬鹿しか居なかった。明らかに自分は後者であるが。懐にある長年の相棒に触る。冷たく重いそれは、何時だって自分に安心感を抱かしてくれた。裏切ることのない、肌身離さず携える相棒、こいつの引き金を引くのは自分で、こいつを向ける相手はここにいる。最後の駅の名をスピーカーが吐き出し、送り出すように扉が開く。熱風、頬を焦がす風、照りつける太陽、広がる荒野。ここが、こここそが言ってしまえば俺の居場所。香る土の臭いが懐かしい。あゝ、一歩踏み出す。つきつけられる幾つもの視線、幾つもの銃口、電車はけたたましい音を立てて去っていく。来てやったぜクソ野郎共、何時だって湿気たつらぁしやがって、てめぇらを見るとこっちまで陰気な風にカビるってもんだぜ。青筋を浮かべた奴らが引き金を引こうと指先に力を込める。くそったれがよぉ、あくびが出ちまうぜ、そうだろ、相棒、色が混ざって溶けるスローモーション、吠える稲妻の八分の一秒の速さで引きぬかれた相棒が、寸分違わず火を吹いた。
何処までも吹き抜けるからっ風、どこかで、電車の疾走る音がする。 

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