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「場づくりという冒険オンラインスクール」に参加したら目からウロコがボロボロ落ちた話 【2ウロコ目】

ふわっとした目的のない〝場〟を作ってきた人間として、もっとアップデートしなくてはいけない時期に来ていると感じ、5月から「場づくりという冒険オンラインスクール」に参加していました。先日その最終回が終わり、目からウロコをボロボロ落しながら〝大きな宿題をお土産に〟冒険から帰ってきました。今日はその〝大きな宿題のお土産〟のお話です☺️


社会的な活動をマジで楽しんでいるのか?


この話は、これから場を持つ人、すでに持っている人にも共通する話だと思います。
また、場に集う人、場を作る仲間にも無関係ではないのかもしれません。

私たち「ひとりとひとり」は、〝ひとり〟と〝ひとり〟をつないでいくこと、人やモノ・コト・場と関わることで人生を豊かにし、孤独や孤立の問題を少しでも解決したいと考えています。

でもその思いが、熱ければ熱いほど「●●のためにやっているのに!」と、自分の熱意でやっているようで、社会貢献することを評価して欲しいという承認欲求が強く出たり、行政と協働するなら「行政が●●してくれないから」といったような、自分からやっているようで、他責になる部分も出ててくるんじゃないか?という問いから、「楽しんでいますか?」ときかれました。

正直、私自身はめちゃくちゃ楽しいです。
言語化すると、誰になんと言われようと、そこには明確なビジョンがあり、叶えたいゴールがある。
そして、私をひと言で表す言葉は「自己中的利他」この活動そのものが、社会活動というよりも、大好きな課題解決であり、クリエイティブワークだと自分自身で納得し、この活動の先に他者のベネフィットが必ずあることを確信しているから楽しいのです。
またその活動プロセスの部分で、取材を受けたりセミナー講師をすることもあるので一定の評価を受けていると感じているので、承認欲求のようなものはそこそこ満たされているという実感もあります。

そこからさらに大きな問いを投げかけられます。


「自分軸・他人軸/楽しみと社会活動」とは?

他人軸という文字を見たとき、一気にガラガラと自分の積み上げたものが上辺だけのものに見えました。
巻き込まれている方はどうなのか?
私以外の仲間、ひと検であれば、講師や運営、集った受講生はどう考えているんだろう?
そこの温度差、確認をしてこなかったことに恐れを感じました。

言語化して伝えて来たつもりでいても、伝わってないことなんでいくらでもある。
もし責任感や興味だけでやっているとするなら、面白みも楽しさも感じていないかもしれない。この先、他責になる部分も出てきて心から楽しめない時がくるんじゃないか…。めちゃくちゃ怖くなりました。

まだ確認すらしていませんが、場が動き出した以上、やはり対話しかないだろうなと思っています。みんながナニを楽しいと思うのか、そこをどんどん深掘りしたいと。

言語化できないリーダーだと、ついて行くことすら苦痛

今までだってあったことです。
「根っこが同じだから大丈夫」そう思っていても自分の考えを言語化できないリーダーだと、ついて行くことすら苦痛だし、
「仲間なんだから同じレベルで動け」≒「言語化出来ないことにイライラして具体的な指示が出来ない八つ当たりっw意味がわからんのでコチラは動かないっw」
なんて、ほんといっぱいあったもんね。
自分がやって、やられて経験してきたことじゃないか。
もはや修復不可能な深い恨みを抱くこともたやすいレベルになることだってある。そういう、根本の部分に気付かせてもらえて本当に良かった。

〝大きな宿題〟は大切な冒険の〝お土産〟

この〝大きな宿題〟は大切な〝お土産〟です。
だれだって、必ず場を持てばぶち当たること。
ずっとず〜〜っと問いを深めて、私なりに向き合っていきたと思います。

とりいそぎ、みんなには感謝を日々伝えること。
そして、楽しんでいますか? と問いかけ、対話することからはじめたいと思います!

いつもありがとう! 私の周りのひとたち!!
そして、楽しんでいますか?


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