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一人断腸亭日乗 2020318 大迷惑

このムカつきをどうすりゃいいの。


何が僕を救ってくれるの。

死ぬほど言いたくないが言おうか、いや、これを言ってしまった瞬間僕は其処に堕ちる。文字通り堕天する。そして核の出力反転を行ってしまった固体いうのは恐らく半永久的に、その属性に染まってしまう。それでいいのか一人。それでいいのか勇者よ、この世界はいつも諮問と選択の螺旋階段で構成されている。

核の出力反転により、属性をそっちに固定されてしまった固体に言葉はもう意味をなさない。言語と宗教が違う。アッラーアクバル、ハイルヒトラー、皆さんはどの宗教に属されていますか?僕の宗教は山、原始的アニミズム、兎に角「本能的で、直接的で、原始的な」死と生を内包した山のカミ、保守的男女論+女性解放論、芸術と技術に関する革新。いいとことりの俺宗教は今日も元気に営業中、絶賛俺一人を救済中です、素晴らしき哉人生!

言いたくない、言ってはならない言霊は言わずに限る。「これだから女子高出身者は」なんて、おっとイレギュラーですな。まぁ「ブスの人生は悲惨である」と嘆くのとどんな違いがあるんだろうなあ、っていうアレはこの際置いとこう。実際ブスの人生は悲惨・・・。いやぁ、自称ブス界のデブ、普通のデブスから言わせて貰うと普通に幸せなんですけどね。デブともブスとも言われるし、知ってるかい?共学高において最もブスの基準が厳しいの、女なんだぜふぁっかー。

芸人斯く生きたり

さて、ブスというのは一つの個性だとしか思っていない僕からすると、その個性を天元突破させていった先には素晴らしい世界が待っている。芸人もその一つ。ブスの芸人は「自分がブスである事を自覚し、なおかつそれを武器へと昇華している」これはグラビアアイドルがおっぱいでっかいのと同じポテンシャルを持つ。すごいですよ、ブスの威力。ブスがブスである為には、ある程度の世間への憎しみを持っていなければならない。その憎しみを皮肉システムに投げ笑いに昇華させるわけだ、そうして生み出された笑いの破壊力、そうして生み出された作品の突破力、はーやべえ。勇者が放つ会心の一撃レベルのカタルシス、僕らはつまり復讐されて笑っている、優しい世界を作り出すこの装置の値段、一体おいくら万円なんだ?


僕を固定するハッシュタグ


ブッディズムを完全に理解していない、でも理解したいなあと漠然と思っているブスの阿羅漢が言葉を駆使して、間違ったブッディズムを披露するけど(間違ってたらごめんね、という保険)

この世は夢なんだけど、皆に役割があって、その役割の固定って、誰かの存在が絶対に必要なんだよね。だからみんな、誰かを非難したりしないようにしようね。(要約:龍樹の仮観)

僕は僕一人で存在できない。これは思想的、もしかしたら細胞的な摂理かもしれない。僕、という存在をハッシュタグで特定する方法はない。ハッシュタグ名前、ハッシュタグ性別、ハッシュタグ仕事、

つまり僕をピンポイントで検索結果に上げれる語句というのは「存在しない」んですよ。けれどこの広い宇宙の中で、僕個人を限りなく僕に近づける方法がたった一つだけある。それは「貴方と話している僕」ってヤツだ。誰かがいなければ人間は存在すら曖昧になってしまう。無数の人間がいてその中で、誰と会話をするか、どんな役割を持つか、その認識をしない限り人間は夢の中でさ迷う旅人、夢旅人で終了してしまう。

役割ってダメなんですか?

役割、みんな嫌うよね。性役割、仕事の役割、人生の役割。でも僕、俺宗教者からするとそれって案外大切な事なんじゃねえの、という気がしないでもない。役割って多分、責任と表裏一体なんじゃないかって、そりゃみんな責任負いたくねえよなあ、主に面倒くさいし。でも、「自由の対価はいつだって責任」なんだぜ。犬の首輪が外れたんなら餌は自分でとらなきゃな?

女だからどうこう、男だからどうこう、はクソどうでもいい話、

「お前は何の役割が欲しいの?」

で、僕らは夢舞台の中で自分を演じて立っている。観客は必要で、たまには野次を飛ばさなきゃいけない役割の人もいる。そしてブスで生まれた人がいる。でもブスで生まれたからって不幸になるわけじゃない。デブで生まれたからって不幸になるわけじゃない。幸福ってさ、「主演:俺」を全力で演じきれた人なんじゃねえの、と思っている。だからまあ、みんな誰かが行う夢芝居をポップコーン片手に見ようぜ、たまに突っ込まれたり、野次られたりしながらさ。だって観客は、おまえらしかいねえんだもんな?

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