いじめられっ子式呪法

中学三年生の時、私はひどいイジメを受けた。直接的な暴力はなかったが、毎日ほほえみ死ね、消えろ、と叫ばれ、学校中の誰からも無視をされた。体育の時間はわざとボールをぶつけられ、体育大会に向けてのダンスの練習では私が少し動く度にクスクスと笑われた。いじめの首謀者は元は同じ仲良しグループにいた女の子だった。はっきりとした理由は分からない。私が彼女の気に触る事をしてしまったのか、それとも気まぐれか、とにかくそれは突然始まった。私は繰り返し謝ったりプレゼントを届けたりして仲直りをしようとしたが、必死の謝罪は「ウザい」の一言で片付けられ、プレゼントはその場でドブに捨てられた。私は日に日に心を閉ざし、私の何がいけなかったのだろうかと思い悩んでは、窓の外から飛び降りたら楽になれるだろうか、とぼんやり考えるようにもなっていた。ちょうどその頃、深夜のテレビで偶然Lady Gagaの「Thelephone」のMV を見かけた。衝撃的だった。とにかく全てがカッコよかった。ド派手でセクシーな人物達がコミカルに大量殺人を犯し、カッコよく、楽しげに踊るのだ。そこには私が見たことのないキラキラとした世界があった。あの感動は今でも忘れない。私はLady Gagaの生み出す作品を見るためだけに生きる事を選んだ。窓の外ではなく教科書を読んだ。塾でもらった『受験対策虎の巻』という冊子を学校に持ち込んで、一語一句を暗記した。その時都合のいい事に、私には受験という逃げ道があった。いじめてくる相手はあまり学力が高くなかったため、いい学校に受かれば彼らと離れられると気づいたのだ。目指していたのは市内で2、3番目と言われる高校。自転車で30分かかる場所にあったが、知ったことか。私が生き残るにはそこに行くしかない。文字通り、受からなければ死ぬ気で頑張った。信じてもいない神にも祈った。もしあなたが私を受からせてくれたのなら、私は本気であなたを神として崇めるだろうと。逆にもし受からせてくれないのならば、私はあの世にいってあなたのご尊顔とやらを確かめに行ってやろうではないか。そんな罰当たりな考えで、それでも縋りたくて学業成就のお守りを買った。

高校受験も終わり、合格発表の前に卒業式があった。一旦この地獄から解放されることにホッとしつつ体育館横を歩いていると、水が降ってきた。今日は青空のはずでは、と思ったが、堪えきれなかったような笑い声が聴こえて全てを悟った。水を掛けられたのだ。私は声がする方に全神経を集中させながらも決してそちらの方を振り向かなかった。振り向いたら、負けてしまうと思った。私は真っ直ぐ前を見たまま歩き続けた。後ろでほほえみさーん、とふざけたように私を呼ぶ声が聞こえた。濡れた前髪が私の視界を遮っていた。冷え切った体の中で耳だけが妙に熱かった。隙間から見える青空が恐ろしく寒々しかった。私は私という存在を蹂躙される屈辱に震えていた。

そんなこんなで充実した地獄を一年間耐え、ようやく高校受験の結果発表の日が来た。結果は合格だった。泣いて喜んだ。神はいるのだと心の底から感謝した。これでLady Gagaの為に生きていける。あいつらともおさらば出来る。私の悩みを知っていた姉はとても喜んでくれて、私のこれからの人生の幸福を願う手紙をくれた。そのほとんどが何かの歌詞の引用や名言にあふれていたけれど、それでも嬉しかった。

そのままなんのアクシデントもなく高校に入り、私は思いっきり誰にも迫害されない生活を謳歌した。友達はあまり作れなかった。作ろうと努力はしたが、どうしても悪意を疑ってしまってダメだった。周りから見れば地味で孤独なかわいそうなやつだったかも知れないが、私はわが世の春が来たとばかりにLadyGagaの楽曲を聴きふけって過ごした。その時確かに私は幸せだった。

ある冬の日、私はいつも通り自転車を立ち漕ぎして漕ぎながら高校へ向かっていた。別に遅刻しそうな訳ではなかったが、ストッキングだけでは足が寒くて堪らなかった。早く高校についてマフラーを膝に置こう、そういえば今日1限古文だったっけ。そんな事をつらつら考えていると、10m先の曲がり角から自転車が現れた。乗っていたのは、主犯格であり全ての元凶である同じ仲良しグループにいた彼女だった。幸か不幸か、彼女も私もひとりきりだった。彼女の顔を認識した途端、自転車を漕ぐ足が動かなくなった。立ち漕ぎの姿勢のまま、自転車が慣性に従って彼女の方へ進んでいく。私は咄嗟に視線を前に向けた。そのまま素知らぬ振りをして通り過ぎようと思ったのだ。頼むからそれを許してほしい、そう願った。

「あれ、ほほえみ?」

斜め前から親しげに私を呼ぶ彼女の声がした。

「あれ、久しぶりだね」

「ホントだね」

「元気だった?ってか、ほほえみ高校どこ行ったんだっけ」

「○○高校」

「そうなんだー、私□□高!」

「へー、私の家から近いところだ」

「ね!私も近いかどうかで選んだ笑」

「笑」

私は無意識のうちに薄ら笑いを浮かべて会話をしていた。まるでずっと親しかった友人に久しぶりにあったかのように、懐かしむような様子の彼女が理解できなかった。理解できなくて、不気味で、恐ろしかった。あれだけの事をされたのだから、私は彼女をひどく怒らせてしまったに違いないと思っていた。でも、もしそうだとしたら、彼女が私を見る顔は、こんなにも朗らかじゃないはずではないか。

激しい怒りも憎しみもなかったのだとしたら、彼女はどうして、私の心をああまで踏みにじるような真似が出来たのだ。

「じゃ、行くわ!じゃーね!」

「うん、じゃあ」

いつのまにか彼女との会話は終わろうとしていた。私は混乱の中、会話のキャッチボールを止める事なくきちんと投げ返し続けていた。そして彼女が再び自転車にまたがり、漕いでいくのをただただ見ていた。彼女は2、3m進んでから、もう一度こちらを振り返った。

「また遊ぼうよ!」

彼女は、とても無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。

彼女は私の返事を待たずに前に向き直って再び自転車を漕ぎ始めた。私は小さく笑っていた気がする。訳が分からなすぎてとりあえず微笑んでいた気がする。ただ、固まったように見開いた目だけが笑っていなかった。だんだん小さくなっていく彼女の背をずっと見つめていた。頼りないストッキングで守られた足がやけに寒かった。反対に耳がカッカと熱い。息がうまく吸い込めなかった。その時ざぁ、と冷たい風が吹いて、私の髪をぐしゃぐしゃに引っ掻き回した。

その瞬間、世界で私だけが一年前にタイムスリップした。中学三年の私は髪から滴る生臭い水を拭いもせず、神が天罰を下してくれるのを────例えば呑気に自転車を漕ぐ彼女のもとに車が突っ込んで来て彼女を跡形もなく消してくれるとか、私の苦しみに見合う不幸が起きるのを今か今かと待っていた。

しかし何も起こらず、彼女の姿はゆっくりと坂の向こうに消えていった。神はやっぱりいなかった。

時折、記憶の隙間から滑り落ちてくるように、彼女にされた事を思い出す。そしてそれに引っ張られるようにして彼女の無邪気な笑みを思い出す。彼女は多分、本気で私にした仕打ちを忘れていたのだと思う。私とは少し喧嘩別れをして気まずいまま卒業してしまった程度に思っていて、勇気を出して、仲直り出来るように歩み寄ってみよう。あの会話はそういう意味だった気がする。彼女は勝手に許されていたのだ。私は一ミリたりとも彼女を許してはいないというのに。

私は今でも彼女にされた事を忘れていない。忘れてやるつもりもない。別に復讐するつもりはない。ただ心の奥底で、彼女が私の与り知らぬところでどん底まで不幸になってくれている事をいつも願っている。そしてもしその思いが通じ、彼女が不幸になったとしても、私は二度と神の存在など信じない。なぜなら、彼女に天罰を下したのは私だからだ。

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