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「きのう何食べた?(主にノブさん)」と私

何話か前に、シロさんの前同居人ノブさん(ミッチー)が登場した。
いつもこのドラマは、食事を取りながら見ているのだが、
思わず箸を動かす手を止めてしまった場面がある。

シロさんはケンジのことが「まったくタイプではない」
そして、前同居人のノブさんは「タイプど真ん中」

私とお連れ様も、お互い「タイプではない」
お連れ様は松下洸平に似ている。
一緒にバーに行った時、光の速さで他のお客が、お連れ様の横の席を陣取り
「ねぇ、LINE教えてよ」
としつこく聞いている場面に何度か遭遇したし、
傍らにいる私を一瞥し、落胆の表情で
「なんでさと(私)なの」
と吐き捨てられたこともあった。
なので、お連れ様はモテるのだろう。

他人事のように言っているのは、
残念ながら私はお連れ様は「タイプでないから」だ。
また、お連れ様も私のことが「タイプでない」ことも知っている。
私が好きなのは、元男子バレーの中垣一監督だ。

繰り返すが、お互いに「タイプではない」
でも、一緒にいると満たされる。

30代半ばまでは出会いをひたすらに求め、
毎週末のように誰かと繋がろうとした。
お酒に頼り、お金と健康を垂れ流しては
自分の傍らには誰か相応しい人が見つかるはず、
運命の人との日々は、毎日毎週がキラキラと輝いているものだと、片っ端から見境なく弾を撃っていた。

その途中には、「この人となら!」と色めき立つも
明らかに私ではない他の誰かの存在を
隠す素振りもせず見せつけてくる人もいたし、
何だかしっくりこなくて、自然と連絡を取らなくなる人が大半だった。

世界が未知のウイルスに翻弄されていた春、
私は新宿の大きな病院に緊急搬送された。
続く痛みと不安に、私は当時は友人であったお連れ様に
連日夜中の病室から
「今日も40度の熱が下がらない。苦しい」
と弱音を吐いていた。

「だいじょうぶ、きっとだいじょうぶ」
返ってくる言葉は、いつも一緒。
ただ、私は2カ月の暗澹とした入院生活で、どれだけお連れ様の存在に助けれただろう。
そうして初夏、私は病院の外の世界に戻ってくることが出来た。

ちなみに私は、お連れ様の前の彼を知っている。
そしてその彼は、自ら生涯にピリオドを打ったことも知っている。
後悔を呟くお連れ様に
「(自死という最期が)良いか悪いかなんて、誰にも断ぜられないよ。
きっと彼は最後の最後まで、自分で納得して生き切ったんだよ。
人生は当人以外には不可侵なんだもの。」
と声を掛けたことも覚えている。

私は、お連れ様の前で嘘がない。
私が、私で居られるのだ。
それでいい。それ以外には何も要らない。

ノブさんも、どうか今もこれからも幸せであってほしい。






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