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COCCOのライブ(その2)@熊本

5/4、地元熊本で開催されるCOCCOのライブに合わせて帰省した。
正直、前回中野で目の当たりにしたCOCCOの神聖性を上回るのは難しいのではないかと、積極的ではなかった。
しかもセトリを事前に目にしたのだが、25thライブのように「あ!あの曲だ!」とすぐ浮かぶようなキャッチャーな曲はほぼなく、どちらかと言えばコアなファン向けの構成であった。
しかしながらも、がんじがらめの中で生きてきた思春期を過ごした地で、会場のキャパも小さいため間近で彼女の歌を聴けると、自らを鼓舞し足を運んだ。

今回のライブでCOCCOって、こんなに朗らかに話す人なんだとビックリした。
(一時活動休止の時の、ミュージックステーションで裸足で舞台袖に駆けていくストイックな姿が、印象に残っていたからかもしれない。)
熊本の親戚のおじさん夫妻が、会場で初めて歌を聴いてくださるというシチュエーションもあったためか、どこか親戚の法事に来たような和やかな空気でライブは進んだ。

私は高3の時に、同じ性指向の同年代の知り合い数人と徒党を組んで、地元でブイブイ言わせていた(死語)
あくまでも彼らは友人ではない。ただの知り合い。
そこにあったのは、彼らよりも少しでも賢く見られたい、選ばれたい。ただそれだけで繋がるだけの関係。
その子たちには自分の悩みや弱みを打ち明けたことがなかったし、
当たり前だが、彼らも私に悩みを相談してくれることはなかった。
そんな脆い友達ごっこなのだから、関係が破綻することは容易い。
ある一人の人を好いた腫れたで、決定的に決裂する出来事があり、
私はその中の一人に、私自身の尊厳を傷つけられる言葉を投げつけられ
それを機に、私にとって故郷熊本は、苦い思い出の場所となった。

話が逸れたが、今回のライブの中で、COCCOは「強く儚いものたち」を歌った。
COCCOは「今日は大ヒットソングはこれだけ」と笑った。
色んなしがらみがあり、私が縋って聴いていたCOCCOの他の「大ヒットソング」は、もしかしたらCOCCO自身を苦しめていたのかもしれない。
そんなことをボンヤリと考えながら、鍵盤ハーモニカの懐かしい曲調にアレンジされて曲は流れ出した。
私は「強く儚いものたち」はリリース時も今も、そんなに好きな曲ではない。
嫌いではないが、好きでもない。そんな立ち位置。
大海に冒険に出た旅人が、故郷に残してきた恋人は、目的地に辿り着いた頃には他の男と懇ろになっているという無情な世界観の、ファンタジーと生々しさのギャップに、どこか拒否反応を示したからかもしれない。

ただ、なぜ涙が止まらないのだろう。
(これは中野のライブでも起こったのだが)
この曲を今聴いているのは、私なのだが私ではないというハッキリとした感覚。
では誰が聴いているのだと、冷静になって想いを掻き分けていくと
やはり私なのだ。他ならぬ私。
そして、思春期の私。

あぁ、この曲は私にとって「経年による恋人の皮肉な顛末」を描いた曲ではないのだ。
私自身の26年を掛けた、私自身の返答歌なのだと。

26年前にライブハウスの傍で佇んで悔し泣きした自分は
26年後の私に不安や畏れを訴え掛ける。
-----彼(私)は私を置いて遠くへ行った、だからきっと彼(私)は私のもとに帰ってくることはないだろう。
誰かの元に去ったと考えた方が、私自身が傷付かなくて済むのだから。
-----心配しなくていい。大丈夫。大丈夫。きっと帰ってくるし、彼(私)は帰ってきたよ
と私は、他ならぬ私を抱き上げる。
人は儚いもの、けれど強いものよ。

COCCOがライブ終盤で訥々と語った言葉は、私のすべてであった。
「色々とついた傷は、なかったことにしなくていい。
 「それも私だ」と、光が溢れているから」







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