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マッハGoGoGoに置き去りにされた話

あ、いいな。これ、欲しいな。
所有欲をくすぐられて、何かを欲しくなることは人並みにある。
ただ、それを表明するのは昔から苦手だ。

幼い頃、実家から歩いて10分のところに小さなゲーム屋があった。
当時「ファミコンショップ」と呼ばれていた店で、狭い店内に大量のゲームやマンガ、CDなどが積み上げてあった。
90年代はまだインターネットも普及しておらず、娯楽が限られている中、ファミコンショップは近くに住む少年たちにとってはまさに宝島だった。

小学生の俺も友達とよくこの店に足を運んだ。
とはいえ、月500円のお小遣いでは大したものも買えないので、いつも冷やかすばかり。
自分の背丈の数倍もある高い陳列棚の迷路を、友達と一緒に、あるいは好き勝手に歩き回る。
流行りの少年漫画を立ち読みしたり、アーケードゲームの筐体に触れてみたり、なけなしのお小遣いでガシャポンを回してみたり。
興味の赴くままに時間を潰し、店の中に西日が差し込んできたら家に帰る。

それが俺らのファミコンショップでの完璧な過ごし方だった。

ただ、遊びに行く度にどうにも気になってしまうことがあった。
それはレジカウンターからの刺すような視線だ。
でっぷりと太った中年の店主が厳しい目つきでこちらを見ながら、パイプ椅子を軋ませている。
彼は明らかに万引きを警戒しているようだった。

もちろん盗みを働く気などないが、あからさまに懐疑的な目を向けられると、不思議と自分が生まれつきの泥棒であるような気持ちがしてくる。
かと言って、その視線から逃れようと隅の方に行けばなおさら怪しまれるだろう。

俺はあまりの居心地の悪さに堪えかね、あえてレジの前の棚に移動し「ふーん、こんなの出たんだ」と心の中で唱えながら丁寧に商品を手に取ってみたりして、品行方正っぷりをわざとらしく演じたこともあった。

あのアピールが店長に効いたかは分からない。というか、本当に彼が俺の万引きを疑っていたのかも分からない。
今思えばこれは、生来の後ろ向きな思考による妄想だった気もする。

これから書き留めるのも、そんな後ろ向きの思考に振り回された話だ。

ある日、母と一つ下の弟と一緒にこのファミコンショップに行くことになった。
確かな日付は覚えていないが、俺は小学三年生で、その日はクリスマスを二ヶ月後に控えた頃だった。連れ立って歩きながら、幼心にも母の意図するところは分かった。
つまり、プレゼントの意向調査である。

店のドアを開けてすぐに陳列棚の森に消えていった弟。
それを見送った俺に、母は「何か欲しいものはある?」と訊いてくれた。その場で決めかねた俺は店内を見て決めると母に言い、ピンと来るものを探しに行くことにした。

保護者と来店したことによって店長の厳しい眼差しも和らぎ、俺も落ち着いた気持ちで陳列棚に並んだゲームやマンガを見て回ることができたように思う。
通路で弟と出くわしてふざけ合ったせいで母に叱られたりもしたが、ついに一本のゲームが目に留まり、思わず手に取った。

それがプレイステーションのゲーム「マッハGoGoGo」である。

「マッハGoGoGo」は、主人公の三船剛がスーパーカー「マッハ号」を駆って様々なレースを制覇していくという、タツノコプロ制作の子ども向けアニメだ。
1967年製作の古い作品だが、俺は当時、たまたまマッハGoGoGoの絵本を読んでいて、このスーパーカーに密かにメロメロになっていた。

マッハ号は流線型の真っ白なボディがまずクールなのだが、注目すべきは7つの特殊機能だ。
ステアリングパネルに設置されたボタンを操作すると、マッハ号に隠された様々なテクノロジーを使うことができる。
障害物があれば車体の下からジャッキを出してジャンプすることもできるし、行く手を塞ぐ森があれば丸ノコで切り拓いてしまう。暗闇もヘルメットの暗視ゴーグルで問題なし(しかもこのゴーグル、名前をイブニングアイと言う。カッコいい!)
ライバルも必死になってレースに勝とうとするが、三船剛の巧みなハンドルさばきと七つ道具によって、マッハ号はいつも先頭でチェッカーフラッグを受けるのだ。

それがレースゲームとしてそこにある。
ということはつまり、マッハ号を俺が駆れる。
俺が三船くんになれる。

「卑怯な手を使って独走するライバル車を、マッハ号が崖の上から急襲する」という絵本の一ページがフラッシュバックするとともに、「欲しい!!」という感情が小さい頭の中で爆発した。
ゲームのパッケージには「7つの特殊機能を使えるぞ!」という煽り文句が躍っており、俺の期待はこれ以上ないくらいに高まっていった。

クリスマスプレゼントはこれしかない。
そう心に決めたものの、むやみに商品を持ち歩いて万引きを疑われるのも怖いので、ゲームのパッケージを丁寧に棚に戻して、母を探しに行った。

しかし小学三年生の俺は、陳列棚の森を歩きまわっているうちに、ふと疑問に思ってしまったのだ。

(マッハGoGoGoはちょっと、子どもっぽくないか……?)

お前は現役バリバリの子どもなんだからいいんだよ!!と当時の自分に言ってやりたいが、マセていた俺は、子どもらしさを出すのが気恥ずかしかったのだと思う。
母や弟に「スーパーカーのゲームが欲しいの?」とクスクス笑われるかも……などと悪い方に考えが発展し、一歩ごとに、欲しい気持ちがうやむやになっていくのが分かった。

結局、やっと見つけた母に伝えた言葉は「もうちょっと考える」だった。
クリスマスまではまだ2か月ある。もう少しゆっくり考えよう――

だが、家に帰ってマッハGoGoGoの絵本を見返した俺は、再びあのゲームが欲しくて堪らなくなっていた。
やはり、地を駆け空を翔ぶマッハ号は抜群にカッコいい。
俺は悩んだ。カッコいい。欲しい。子どもっぽいかも。でもカッコいい。やはり欲しい。本当にそれでいいのか。ああ、でも欲しい。欲しい。欲しい。

数週間悩み抜いた後、ついに開き直り、何が欲しいかを伝えたいから、近いうちにまたファミコンショップに行きたいと母に言った。
引っ込み思案の自分にとって、自分の欲求を表明することはかなりの勇気が必要だったが、それほどまでにマッハ号の発する引力は強大だったのだ。

クリスマスも間際に迫った頃、俺は母と二人でファミコンショップに向かった。
マッハ号を操れる時は近いと思うと、足取りも軽い。意気揚々と店のドアを押す。
戸に取り付けられた鈴がちりんちりんと鳴り、俺は店内に駆け込んだ。

ところが、前に置いてあった場所に「マッハGoGoGo」はなかった。
店長が移動させたのかと思い、店内を端から端までくまなく探す。しかし、あの胸が高鳴るような煽り文句が書かれたパッケージはどこにも見つからない。
俺は陳列棚に目を泳がせながら、現実を受け入れられずにいた。
取り置いてもらったわけでもない。小さいゲーム屋だし、売れてなくなってしまうこともあるだろう。
でも小学生の俺は、自分が求めるのと同じくらいの熱量で、マッハ号も自分を求めてくれていると信じ切っていたのだ。
マッハ号はそんな俺の焦がれる想いを置き去りにして、あっけなくどこかに走り去った
ショックだった。

ファミコンショップに連れ出したものの、母はまだ俺の欲しいものを知らずに、店の入り口あたりに立っている。
もし、欲しかったものが見当たらないと伝えれば、在庫の有無を確認してくれるだろう。
だが、母が「マッハGoGoGoのゲームの在庫はありますか?」と、あの目つきの悪い太った店長に訊いている姿を想像しただけで、申し訳なさで死にそうだった。
そしてこの店に在庫がなければ、クリスマスに間に合うように、母は他の店も回って探してくれるだろう。
いやな想像が進むにつれ、「やはりマッハGoGoGoは子どもっぽいのでは」という疑問も再燃し、マッハ号を中心にした俺の物欲の太陽系はあえなく崩壊した。

俺はいぶかしむ母に、二度目の「もうちょっと考える」を言った。
母は「優柔不断だねえ」と呆れたように笑い、幼い俺の手を引いて店のドアを引いた。

俺はやり場のない悔しさを必死に隠しながら歩いた。
最初にゲームを見つけたときに、欲しいと言ってしまえばよかったのだ。自分の決断力のなさを恥じ、運の悪さを恨んだ。
帰り道、唇を噛みながら振り返って見たファミコンショップの黄色い看板は、今でも脳裏に焼き付いている。

結局、その年のクリスマスはローラースケートを買ってもらった。弟とお揃いのものだ。
アスファルトをざりざりと滑るスピードはマッハ号には遠く及ばなかったが、俺は冬の冷たい空気を頬に受けて大いに楽しんだ。
欲しかったものを逃した悔しい気持ちは、子どもらしい日々の中に緩やかに紛れていき、「欲しいものは欲しいときに欲しいと言うべき」という教訓めいた思い出に変わっていった。

だが、教訓を得たからといって、それを転機として素直な子どもに転身したわけでもなかった。
マッハ号を逃してから二年後、小学五年生になった俺は、母とまたファミコンショップを訪れることになる。

その日はクリスマス前でも何でもない日だったが、母は「チョコボの不思議なダンジョン」という中古のゲームを俺に薦めてくれ、買ってあげようかとも言ってくれた。

「チョコボの不思議なダンジョン」は、チョコボという黄色い鳥のキャラクターを操作してダンジョンを進んでいくゲームで、のちに続編が何本も作られるほどヒットした名作だ。
当時の自分もゲーム雑誌か何かでゲームの名前は知っていたし、やってみたいなとも思っていた。
今思えば、母は俺がやりたいと口に出したのを覚えていたんじゃないかと思う。

だが、ゲームのパッケージを手に取った小学五年生の俺は、買ってあげると提案してくれた母に礼も言わず、裏面に書かれた細かい文字を入念に読み始めた。
そして、右下の隅に書かれた製作年に目が留まる。

口を突いて出た言葉は「ちょっと古いんじゃないの?」だった。

きっと、細かいところまでチェックできるしっかり屋を気取りたかったのだと思う。
だが、せっかく「買ってあげようか」とまで言ってもらったのに、この言い草はひどかった。
当然ながら母は機嫌を損ね、「じゃあいい」と言い放って俺からゲームをひったくると棚に戻した。
俺はマズい発言をしたことに気が付き「古くても良いものは良い!」などと空しくフォローを繰り返したが、母は結局買ってくれなかった。
こうして俺は、再びファミコンショップで欲しいものを逃したのだった。

俺は「マセた子ども」から「素直な子ども」にはならず、「一言多いガキ」として成長していった。
そして、ファミコンショップが取り壊されてクリーニング屋になった頃、晴れて「ひねくれ気味の大人」になったのだった。

「原体験」という言葉がある。
「記憶の底にいつまでも残り、その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験」という意味だ。
強く印象に残っている幼少期の体験、というのは誰にでもあるだろう。
この広い世の中には、極寒のアラスカの夜、テントで父親に肩を抱かれながらオーロラを眺めたことが原体験の青年もいるかもしれない。
そんなのに比べればいささか地味だが、余計な考え事のせいでマッハ号に逃げられたのは、間違いなく自分の原体験の一つだ。
これまで生きてきた様々な瞬間で、俺はこの出来事について振り返っている。
そして、その度に感じることは少しずつ違ったりもする。

冒頭に書いたが、俺は今でも自分の所有欲を素直に表現することが苦手だ。
欲しいなと思うものがあっても、あの日のように余計な心配でがんじがらめになって、身動きが取れなくなってしまうことがある。

ただ、今はそんな自分に自己嫌悪することは少なくなった。
マッハGoGoGoのおかげで「そういや昔からこんな子どもだったな」と思えるようになった。
そう簡単に性根は変わらない。諦めとも自己肯定とも言えるが、開き直ってしまえば少し図々しく振る舞える。
そして、少年時代の自分が気にしていたほど、他人は俺だけに注意を払っているわけではないことにも気付いた。
ならば、俺が何が好きで何が欲しくとも、大した問題ではないだろう。
Who cares?(知ったことか)の精神の芽生えを、少しずつではあるが実感している。

あの日の出来事はずっと苦い思い出だったが、そろそろ丸ごと抱きしめてやれそうだ。
ありがとうマッハGoGoGo。
ありがとう三船剛。
そして何より、なんだかんだ優しかった母。
このエピソードからそこに感謝できるようになったのも、自分の成長の一つだなと思う。

もし将来、自分の子どもをゲーム屋に連れていくことがあるとするなら、彼or彼女の動きをじっと観察してみよう。
遺伝の力を実感するのか、はたまた、そうでないのか。どっちでもいい。
あの日、もじもじしていた俺のことも母は同じ目で見ていたのだろうか。
今度実家に帰ったときに聞いてみよう。
そして今度は俺が母に「何か欲しいものある?」と訊いてみようか。

遺伝の力を実感するのか、はたまた……







ちなみに、ゲーム「マッハGoGoGo」は、「レースゲームとしてもキャラゲーとしても微塵も評価できる面がないクソゲー」とネットの評価サイトで酷評されていた。

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【終】

自己投資します……!なんて書くと嘘っぽいので、正直に言うと好きなだけアポロチョコを買います!!食べさせてください!!