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人を星に喩えるなら、自分は恒星になりたい

人を、星に喩えることがある。
「あいつはうちのスター選手だよ」とか「男(女)なんて星の数ほどいるよ」であるとか。

これは星の持つ輝きや、宇宙に無数に存在するという点から着想を得ているのだろう。なるほど、確かに言い得て妙だ。人は星である。

でも、でもだ。

星は星の数ほどあるが、星の種類だって星の数ほど豊富なのだ。
(もちろん前者は実測で後者は比喩だけれど)

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恒星のライフサイクル。
質量や温度などによって爆発したり、冷えて固まったりするらしい。

赤色矮星がどうとか、エッジワースカイパーベルトがどうとか、それを説明できる天文学的の知識は備えていないので触れないことにするけども、要は、ひとくちに星と言ったって色々な星があるよということ。

「丸くなるな。★(ほし)になれ。」はサッポロビールのキャッチコピーだが「どういう星になるか」が肝心なところだと思う。僕はサッポロ黒ラベルが好きなので、買ってそのパッケージを見るたびにそのことを考えてしまうのだ。

で、あるならば。
自分が星だとしたら、どんな星になりたいか。

それはもう、恒星だろう。

みずからの一部を燃焼させて光と熱を放射する「恒星的人間」と、ほかの星の輝きを受けて自らの輪郭を浮かび上がらせる「惑星的人間」がいるとして。

これはもう、成るべくは恒星的人間だろう。

六等星でもいいから光っていたい。なんだったら自分の銀河系を創るくらいの意気込みでもいい。
自分の中のガスを燃やし、何かを作り、何かを造り、何かを創り、何かを付くるのだ。

人が生まれるということは、胎内という暗黒世界を飛び出て、親、ひいては社会という太陽の光を浴び始めるということだ。
そんな「与えられる側」として生まれた自分が、ついには自らの力でもって光り出す。与える側へと昇華していく。

自主自立。一身独立。
目指したいのはそうした変化だ。

僕はあまりアイドルやタレントにハマることはないし、あまり興味もなく生きてきた。
また、流行りのドラマ、アニメ、映画などからも一歩足を引き、遠巻きに眺めながら生きてきた。

そんな自分にいつからか気付いていた僕は、なぜそうなるのかを考え、そして思い当たった。

上に挙げたものは、典型的な「恒星」的コンテンツなのだ。

僕は「恒星」的なものに羨望や憧れを持つ反面、近付き過ぎることを恐れている。
太陽に向かって飛び立ち、蝋の翼が溶けて墜死したギリシア神話のイカロスのように、燃え上がる星に接近したことで身を滅ぼすのを恐れているのである。

僕が流行りモノに触れない理由の多くは「どハマりしてしまいそうだから」というものだ。
ギラギラと輝く恒星の熱波に灼かれるのは、きっと最高に気持ちがいい。それが分かっているからこそ、僕はあえて距離を取っている。

そういう内部機構なのだ、僕は。

自分自身が内燃しているという、肉体的とすら言える実感と自分本位な銀河の形成。それを為し得ていきたい。

自分勝手な人間になれというんじゃない。
そんな星は超新星爆発を起こしてしまえばいい。
受け身にならず、自分の人生に主体的に関わっていきたいという趣旨だ。

恒星たちの光の中で自分を輪郭を浮かび上がらせる惑星になるよりも、微発光でもいいから、何とか自分の力で輝いていきたい。
もしもその輝きを増すことができて、周りの星も照らすことができるようになったら幸せだ。

あたたかく幸せな人生を望む。
それと同時に、激しく命を燃やしてみたい。
そんな原始的な欲求。

僕は欲張りなので、そのどちらも狙っていこうという所信表明がこのエントリなのだ。

自己投資します……!なんて書くと嘘っぽいので、正直に言うと好きなだけアポロチョコを買います!!食べさせてください!!