サリーはサリー

あの日の私はまだ中学1年生。

やっと部活が終わりへとへとになって家に着きました。

玄関の扉を開けると、目の前にこちらを向いてしっぽを振っている子犬がいます。

「えー!、かわいー、この子どーしたん、どーしたん」

小さい頃からずっと飼いたかったミニコリーが、我が家に来たのです。

名前は「サリー」になりました。

私が名付け親です。


私はいつもサリーと一緒。

学校で嫌なことがあっても、玄関を開ければいつも私を待っているサリーがいました。

私の悩みなんか関係なく、全力で尻尾を振って飛びついてきます。

「サリー、じゃまやー、ちょっとー」

と言いながら、私はいつもサリーに元気をもらっていました。

そんな中、月日は流れ、私は会社の寮に入るため家を出ました。


久しぶりに家に帰るとサリーがいません。

「お母さん。サリーどこ行ったん」

母は小さな壷を指さしました。

「なんで言ってくれへんかったんや」

唇はふるえました。



それから何ヶ月経っても、相変わらずサリーを思い出す度に涙が浮かびます。

もう悲しいから犬は飼わない、と言っていた両親も気が変わったようで、また犬を飼うと私に言ってきました。

私は大賛成で、言いました。

「絶対ミニコリーで、名前は絶対サリーにして!」

サリーを忘れられなくて、
ずっと好きな気持ちは変わらなくて、
いないことが寂しかったからです。

またサリーに会いたかった。


それから1ヶ月後、

実家の扉を開けると、小犬になったサリーがいました。

サリーはすくすくと育ち、父と母をいつも元気づけてくれていたようです。



そして再びサリーはいなくなりました。

父は言います。

「もう犬は飼わないし、もし気が変わって飼ったとしても、同じ名前はつけない」

今は、私もそう思います。

どんなに好きで忘れられなかったとしても、どちらのサリーもそれぞれのサリーとして、とても大切な存在だから。

他の誰でもない自分として、一生懸命育っていく子を見ていると、
同じ名前をつけるのは私のエゴだったな、と申し訳ない気がするのです。

でもそれは、経験して初めてわかる新たな考えでした。



サリーは私の心をつくってくれました。

サリーは私の心に新たな視点を与えてくれました。

そしてサリーのプログラムは私の頭の中で動き続けています。


ほら、私、犬のようにアホでしょ。



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