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【令和式】自立と独立の違い

どうも、みなさんこんにちは!
だいすけです。

2020年12月のことでした。”ひとのこと”代表のあっこが僕に言いました。

「だいすけのそれは独立だね。」

そこから耳にした令和時代の自立という新しい定義に、「ああ、これぞ風の時代が始まった令和時代に相応しいものだな」と唸ってしまった。
風の時代って何?という方はググってね。

〇いわゆる自立っては色々な人が丁寧に書いているので初めにオチを書いちゃった

Googleが言うとこの自立ってのは~~~で、世間一般的に使われている自立は~~~でとダラダラと今さら僕が書かずとも、いわゆる自立とは?については先人が書いていたので割愛します。

どうしても知りたい方は☞「自立とは」でググってみたを読んでね。めちゃめちゃ出てくるよ。

さ、そんなわけで早速、令和時代の自立を発表!

令和時代の自立とは?
自分の希望をシェアし相互の助け合いで生きていくこと。

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〇自分の希望をシェアするって?

自分の希望をシェアするってどういうことでしょう?
言葉でたらたら並べるよりも実体験頂いた方が早いとこシェアできるなと思ったので、プチプチっと質問です。(僕の言語力が乏しいわけではないと思いたい。)

そんなわけで唐突ですが質問です。

Q.昨日食べたご飯のことを教えてください。

誰かに伝えるとしたらなんと伝えるかを実際に想像してみてくださいね。

・・・

・・

あなたはどの様に伝えようと思いましたか?
ざくっと分類していきましょう。

【テラー4分類】
①ジョウキョウテラー
状況だけを話す人のこと。状況とはその場のありさまのこと。
(例)
「この前、サトウさんにもらった味わい深い肉じゃがのレシピをもらったんよ。昨日はそのレシピを見て肉じゃがを作って食べたんだよね。」
サトウさんにもらったレシピを見て肉じゃがを作り食べたことは分かる。


②シコウテラー
状況説明に加えて考えや意見を話す人。考えや意見とは価値観のこと。価値観とはモノの見方や考え方のこと。

「この前、サトウさんに聞いた味わい深い肉じゃがのレシピで作った肉じゃがを食べたいなと思って昨日作ったけど美味しかった。」
太字部分が考えや意見で思考と言われる。サトウさんにもらったレシピ見て食べたくて作って美味しかったことは分かる。


③キモチテラー
状況と思考の説明に加えて気持ち(感情・潜在意識)を話す人。気持ちとは感情のこと。よくある「~な気持ちです」や「ありがとう」「ごめんなさい」は気持ちではなく思考なので要注意です。

「この前サトウさんに聞いた味わい深い肉じゃがのレシピで肉じゃがを作ってみたいなとわくわくして昨日作ってみたら美味しくて嬉しかった。」
太字部分が気持ち(感情・潜在意識)です。ここまで言うとかなり分かりやすいですね。※”美味しかった”も価値観を示す言葉なので思考に入ります。
☞気持ちって何?潜在意識なの?もっと詳しく知りたいな。という方はこちらも読んでね。


④キボウテラー
え?まだあるの?っともうお腹いっぱいな方もいるでしょう。
お腹いっぱいになったあと出てくる、そうまるでフルコースのデザートの様です。っと食べたこともないフルコースで分かりにくく例えたところでお話しに入りましょう。ここがキモです。

キボウテラーとは、状況・思考・気持ちに加えて希望や想いを話す人。希望や想いとは心に思い描く望む未来のこと。ビジョンとも言い換える。

「この前サトウさんに味わい深い肉じゃがのレシピを聞いて、サトウさんの言う味わい深さってどんなだろう?と想像して作るのを楽しみにしていた肉じゃがを昨日は実際に作ってみたんだよ。ようやく作ったから嬉しくて食べ始めたら想像以上の美味しさでとっても満足だったの。」

太字が希望や想いです。この場合だと過去の話しなので、希望や想いも過去形です。過去の私が心に思い描いていたのは、サトウさんが教えたレシピで作った肉じゃがの味わい深さを実際に作って食べてその味わい深さに満足している自分の未来です。

どの伝え方が良い悪いって話しではありませんが、
令和時代の自立では、キボウテラーの様に自分の希望をシェアすることが大切です。※ちなみに①や②だと相手の推測する余地が多分にあるために推測のすれ違いが起こり人間関係のもつれが多発します。

なぜキボウテラーが大切なのか?
その答えは、令和時代の自立のもう1つ”相互の助け合いで生きていく”に繋がっていきます。

〇相互の助け合いって言っても、交換条件・打算・共依存まぁそりゃ色々あるさ。しかし令和時代の自立で言うのはこういうことさ。


相互の助け合いと一言に言っても、2種類あります。

1つ目は条件的な助け合いです。
打算的であったり、依存的であったり、脅迫的であったり、と種類は様々ですが、~したら、~だったら、~してくれたから、~だったからと条件の上に助け合いが成り立ちます。

「今、助けたら自分が困った時も助けてもらえるだろう」
「自分にも有利に働きそうだったら手伝おう」
「あなたも私の話を聞いてくれたから私も話を聞かなくちゃ」
「この前、助けてもらったから助けてあげよう」


これを助け合いと言えるの?と疑問が飛んできそうです。
そんな疑問の離陸は許可しませんので、言い換えも書いておきます。
条件的な助け合い=損得勘定・取引・交換条件な人付き合い

さて、そんな条件的な助け合いを無意識か意識的に行っているか、人それぞれでしょうが、その根底には自分が損したくない、失いたくないという恐れや不安があります。

そんな恐れや不安は、太古の昔より人が生存するために備えた防衛機能なのでなくすことはできません。

しかし今日生きるかどうかも怪しい昔ならいざ知らず、生存率の上がった現代の日本ではその防衛機能によって窮屈さや虚しさ、さもしさ、孤独感という生きづらさを生むことも増えてきました。
かく言う僕もつい最近そんな葛藤をしていたので、冒頭あっこのツッコミに至ったわけです。

で、そんな葛藤すら吹き飛ばしたのが、
2つ目の直観的な助け合いの話しでした。

2つ目は、直観的な助け合いです。
思い出したり、思いついたり、ふと湧いてきた想いをそのままに行動していることです。偶然の一致や共時性とも言われていますね。

「あーそう言えばサトウさんってりんごが好きだったよなぁ。」とリンゴを目にした時に思い出してお土産に買って行くとか
「この前、自分の産後鬱経験を活かして産後ママの心や生活のサポートしたいって言ってたタカハシさんって人がいたよな」と産後で困っている友達と話しながらふと思い出し紹介するとか、
自然と動いてしまう様なそんな助け合いです。

言わずもがな、令和時代の自立で言う相互の助け合いは、
2つ目の”直観的な助け合い”のことです。
これ知った時は「おー時代の進化を感じるな」っとわくわくせずにはおれませんでした。

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〇相互の助け合いには上質なシェアが必要。それすなわち自分の希望をシェアすること。

令和時代の自立とは?
自分の希望をシェアし相互の助け合いで生きていくこと。

種を蒔くから実がなるように、
自分の希望を伝えるという種蒔きをするから希望が叶うという実がなります。

どちらの共有の方がその人のことが詳しく伝わるかは明白ですね。
①「肉じゃが作って食べたんだよね。」

②「この前サトウさんに味わい深い肉じゃがのレシピを聞いて、サトウさんの言う味わい深さってどんなだろう?と想像して作るのを楽しみにしていた肉じゃがを昨日は実際に作ってみたんだよ。ようやく作ったから嬉しくて食べ始めたら想像以上の美味しさでとっても満足だったの。」

「あ、そう言えば」と感じたことから始まる直観的な助け合いが起きる前にには、実はキボウテラー的なシェアがされています。

〇で、【令和式】自立と独立の違いって何?

令和時代の自立
自分の希望をシェアし相互の助け合いで生きていくこと。

令和時代の独立(平成まで自立と言われてきた)
精神的・身体的・経済的に自分以外の助けや支配を受けず自分の力で生きていくこと。

どちらの生き方が良い悪いと言う話しではありませんが、
令和時代の自立なんていう考え方が生まれているところからも、時代の変化を感じます。

人と繋がるのは簡単になった現代でどんな風に人と繋がりを持ちたいか?
そこに自分はどんな希望があるか?

そんな問いや会話が日常的になっていく日も近いなと楽しみです。


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