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ヴェラキッカがみせる愛の哲学

 見終わったあとは深い頷きを何度も繰り返したくなる。そんなヴェラキッカ。
 心に晴れ間が広がっていくような、そんな心地です。

 LILIUM→マリーゴールド→TRUMP(TRUTH/REVERSE)→COCOON(月の翳り/星ひとつ)→ヴェラキッカ

 と見てきました。以降はこれらの作品のネタバレありで感想を残していくので、ご理解の上お読み進めていただけますと幸いです。

 クッション代わりの前回までの感想↓



はじめに


 この文章を書いている私は普段はLILIUMのシルベチカ役、モーニング娘。‘24(2024.08.18.現在)小田さくらさんのオタクをやっています。
 ですので視聴方針は『小田さくらさんが演じられたシルベチカの解像度をあげたい』というのがメインです。よって感想でもシルベチカ関連の情報を多く拾う傾向にあると思います。ご承知おきを。


ストーリー

顛末


ノラは、政略によって家督を乗っ取られ死亡したヴェラキッカの正当継承者であり、その無念を晴らすべくシオンがイニシアチブで遺言を叶えようとした虚構の世界がヴェラキッカ家であった。

 というのが物語の真相でしたね。
 ぱっと見でもハッピーエンドの形をとっているのはTRUMPシリーズだと稀有な例なんじゃないですか?

 ヴェラキッカ家のたったひとつの家訓は『私を愛すること』だとノラは言います。これはノラの最後の言葉『愛されたい』を満たすため。
 そして、最終的にヴェラキッカの者たちはシオンのイニシアチブを解かれてもノラのことを忘れず、愛していた。というオチ。

 この「いつまでも幸せに暮らしましたとさ めでたしめでたし」感。

 嘘だろ〜!?そんなことある!?が本音です。正直シオン以外誰一人として思い出せなくなると思っていました。予想外の展開は嬉しいはずだったんですけれども、手放しで喜べるかこんなの。
 これはこれまで鬱エンドばっかりだったし、とかTRUMPシリーズらしくないとかじゃなくて。そもそもそんなこと可能にしちゃっていいの?という戸惑いです。これ許したら繭期ばりのワイルドカードだけど、大丈夫そう?嘘は時に真実を生み出すじゃないんだよ。こんなところで奇跡を起こすぐらいだったら、もっと他のところでだな。
 そんな無粋な心配の理由を次で語ります。


イニシアチブの定義と定理


 私のようにシルベチカ慰霊巡拝のようなおかしな見方をしている人でもない限り、「ヴェラキッカ」ではイニシアチブが情報的には最注目ポイントになるかと思われます。

 前提として私が現状持っているイニシアチブ情報をまとめます。

 ・ヴァンプが他のヴァンプを噛むことで成立する主従関係
 ・イニシアチブが複数刻まれた場合階級が高位のヴァンプの方が効力が強い
 ・意識の有無や年齢関係なく発動する
 ・殺せ、死ね等生命活動を脅かす強い命令にも従う
 ・イニシアチブを握った側の血を与え続け存在が近くなりすぎると効力が薄れる

 だいたいこんな感じでしたね。
 ですが今回のイニシアチブの描き方はおかしいんですよ。

 改めてシオンがヴェラキッカの人々にイニシアチブで何を命じたかというとこの世に存在しないノラを愛することです。
 よく考えてみてください。ノラという人物は誰もその姿を見たことがないんです。

鉄の扉越しに声しか聞いたことがない
ノラの髪の色も目鼻立ちもどんなふうにして笑うかもなにも知らない

シオン

シオンには私の声が届かないんだった
声だけじゃないシオンの目には私の姿も映らない
彼は共同幻想の外側にいるのだから

ノラ

 つまりは観客の私が見たノラは架空のノラな訳です。
 それでいて周囲のノラ像が統一されている、キャラクターがそれぞれ思うノラではなくて見た目や言動がキャラクター間で一致していることから、シオンの潜在意識が共同幻想に反映されていると考えます。

 シオンがカイに噛まれてノラの姿を見たときに

ノラ「君が思っていたのとは違ったかな」
シオン「いや そうでもないな」

 となんとも煮え切らない返事をしましたが、ここで否定していないので説としては一応成り立つ。

 ただこれってとんでもなくイニシアチブの取り扱いが難しくなることやっちゃってるんですよね。
 本来であればその人物が知らないはずの情報を認知しているようにイメージとして出力し見せることができる、ということをしているわけです。

 例えば、私がヴァンプだとして。今読んでくださっているあなたにイニシアチブで「わがまま気のまま愛のジョークの小田さくらさんを思い浮かべて」と命じたとします。
 あなたが「わがまま気のまま愛のジョーク」がモーニング娘。さんの楽曲で、「小田さくらさん」がそこに所属するアイドルであることを知っていたとすれば、それが可能なのは納得できるじゃないですか。噛まれた側にある記憶から、その意識を持ってきて命令に従うということです。
 ですがシオンがやったことは「わがまま気のまま愛のジョーク」がなんであるかも、「小田さくらさん」がどんな人物であるかも知らない人に自分のイメージを与えることができてしまっています。

 幼児に100mを9秒で走れとイニシアチブで命じてもそもそもの身体機能的に無理が生じる。のように、もともと記憶が備わってないものは再現できない、もしくはイメージを共有してもイニシアチブが解かれたら記憶を保てないとばかり思っていたんです。

 私はこれまでイニシアチブを個人の「動作」と「感情」この二軸に作用するものだと考えていました。

 動作に分類されるのは犬の真似事をさせたり、殺したり、死ねと命じたりするやつ。
 感情に分類させるのはダリがウルに負けるなと言ったのとか。

 ヴェラキッカの一件は感情に分類はされますが、個人に元々備わった体験に基づくものではなくイニシアチブを握った側の匙加減で感覚共有することが可能のようです。
 これの何が怖いかってジェネリックTRUMPができるんですよね。言い換えるとクローンです。
 ヴァンプAがイニシアチブを握って自分と同じ記憶を持ったヴァンプBを作り、そのヴァンプBにまた別のヴァンプCのイニシアチブを握らせてヴァンプBの記憶をヴァンプCに与えたら。あくまでもそうするように命じたのはヴァンプAですが、【噛む】【イニシアチブを握る】を実行したのはヴァンプB→CなのでヴァンプAがBのイニシアチブを解除しても理論上CはAと同一の記憶を所持したままB→Cのイニシアチブは有効になってしまうのではないか。という問題です。

 イニシアチブの解除方法は握った側の意思で行えることがシオンの行動から分かりましたが、仮にイニシアチブを持ったヴァンプが死んだ場合にも解除されるという条件でも樹形図広げまくれば逃れられそうなんですよね……。そして場合によっては記憶や感情の定着までする。
 なんでこんなめんどくさいことを、しちゃったのですか。
 誰かがこの最悪伝言ゲームみたいなことを始めちゃったら終末世界まっしぐらですよ。

 だけどおそらく、これを利用しているのがダミアンストーンなんだろうなと予想します。あーやだやだ。
 これの何を私がこんなにも嫌がってるかって、その人物が語る話をこれまでなら体験に基づく記憶とおおよそ確信できたのに、それができなくなったからです。

 これまでも繭期がそうだったのですが、情報の信頼性が著しく下がりました。やってくれたな。
 妄想幻覚があるので繭期のヴァンプは常に信頼できない語り手状態だったんですが、年齢でその不安は解消されてたんです。ですがイニシアチブは大人にも適応されるのでもうおしまいです。

 もう何も信じられない……。
 正確なイニシアチブの説明をください。クランの座学、自分も受講させてくれ。

愛について

愛するという心にはいろんな形があるのを知っているのか
昔の人が定義したんだと
愛には8つの形がある
エロス、フィリア、マニア、ルダス、アガペー、フィラウティア、ストルゲー、プラグマ
愛とは情欲であり友情であり戯言であり偏執であり無償であり自分自身であり家族でありそして永遠であるということだ
おかしな話だよな
心をたった8つに定義するなんて
俺は愛にはもっと形があると思ってる

シオン

 古代ギリシャでは愛を8つに分類したとかいうやつですね。

 ちょうどヴェラキッカの登場人物も名前が与えられているのはノラを除いて8人ですので、当てはめていきたいところ。
 前提条件は家訓通りノラに向けられた愛の種類として考えます。

ロビン/フィラウティア(自己愛)
 シオンの他に唯一生前のノラと会ったことがあり、存在を知っていたロビン。
 シオンがカイを噛み、他のヴァンプたちを続々イニシアチブ下に置いたところとまとめても物語の進行は問題なかったのですが、あえて「償たいんだ」と描写したのはこの自己愛を印象付けたかったからかと感じました。
 だって、本当に償いたかったら血盟議会にでもなんでもヴェラキッカの相続問題を明らかにしてノラの存在を周知させるとか。他にやりようあるだろうって。なーに罪の意識から一人だけ先に足ぬけして共同幻想をシオンに見せてもらってるんだ。と思いますね。あと普通に教え子にキスしにいこうとしてるのも無理です。
 誇り高きヴェラキッカを守るため、というのがノラの誇りを守らず、保身に走っているよね?という意味での自己愛です。

ウィンター/マニア(偏執的な愛)
 最後に全部掻っ攫っていったウィンター。わかりやすく狂人として見せてきたので、そういうことでしょう。
 ノラを刺し殺したのもそうですし、ノラのお気に入りだったキャンディへの新人いびりもありました。

マギー/ルダス(遊びの愛)
 消去法になりますね。
 繭期の影響で後半なんでも楽しくなっちゃう人になりましたが、それまでのノラへの愛はファン的な「きゃーかっこいい!」タイプだったので。

クレイ/プラグマ(永続的な愛)
 劇中の言葉を借りれば「ノラへの愛は実態がない。三文芝居の棒読み台詞みたいに言葉だけが薄寒くうわ滑っている。まるでハリボテの心」から実態を伴わせたのがクレイだったように見えます。
 「ノラに〇〇してもらった」と言うヴァンプはいても、「ノラに〇〇したんだ」と言うヴァンプがいなかったように。なんでもしてあげたいと語るヴァンプはいましたが、「愛しているから殺したい」と行動に出たのはクレイが初めてです。
 殺すことで独り占めできる、という永続ですね。

 別の視点を持つとラブスタイル類型論という心理学者のジョン・アラン・リーが提唱した分類だと、プラグマだけが古代ギリシャのものと違い実用的な愛と定義されます。

僕はノラを愛するようになって初めて自分を愛せるようになった
だからノラを殺したくない

 こちらの方がクレイの性質には近い気がしています。

キャンディ/エロス(情欲的な愛)
 演出装置的な役割で、ノラと抱きしめ合う、キスをするなど肉体的な接触を図れたのはキャンディでした。
 ノラが殺された後も自分の中のノラへの愛を疑わないロマンティックさもか。

ジョー/フィリア(深い友愛)
 ノラの一番の親友と自分で言っていましたし、カイへの愛に気づくところからも友情に置いておきたいですね。

カイ/ストルゲー(家族愛)
 姉ですし、素直にいきましょう。

シオン/アガペー(無償の愛)
 こんな贖罪を一人で背負っても、もう死んだノラはシオンのことを愛することはない。
 知ってなお「愛されたい」という最後の願いを叶えるシオンの行動はアガペーが当てはまるかと思います。


 『ヴェラキッカ』の大きなテーマはです。
 なのに見てると尋常じゃない違和感を抱くように作られている。

 まるでノラ以外への愛を排除している世界が気味悪い。

 カイとジョーがそれをわかりやすくしてくれていましたね。
 ジョーのカイへの好意。ノラへの愛。観客である私からするとそれが両立するのは自然なことです。ですがジョーはノラのことが好きなのに、と疑心に苛まれます。なんでそんなことで悩む必要があるんだ?
 カイのノラへの愛。家族に愛だなんていうのが照れくさいという仕草ではなくて拒否をします。幻想のノラが死んでやっと自分の気持ちを認めましたが、どうしてそこまで否定をする?インセストのタブーに抗ってるみたいだ。
 恋人ができたらそれ以外の人間の一切の愛を失うなんて、そんなことおかしいじゃないですか(中にはそういった方もいらっしゃるのかもしれませんが)。
 私たちだって、程度や種類を違えながら愛は複数持つことができるはずです。私は小田さくらさんを愛していますが(アガペー)、出会う前から一緒に暮らしているマイ・スウィート・ニャンズ(飼い猫)への愛(フィリア・ストルゲ)が失われることはありません。

 なのにこのヴェラキッカの人たちは愛がノラへの一つしか存在してはならないように強迫観念に襲われているように見えます。
 注意しておきたいのはこの「ノラへの愛」を魅せているのはシオンただ一人ということだから自分の愛の種類や感情を他の人物に投影させたにすぎないという視点を常に持っておきたいです。

 イニシアチブで作った共同幻想のアガペー、遠縁で一緒に暮らしてきたストルゲー、檻越しに育んだフィリア、キャンディの語りで明かされた「何十年か後。ヴェラキッカの屋敷では気の触れた老人が空想に耽りながら1人で暮らしているらしい」プラグマ、もしもの話をして引き出した願いのルダス、無垢なるものを巻き込んで魅せた夢で孤独を埋めたマニア、その夢に溺れ続けたフィラウティア、ノラへの初恋エロス。

 一人のヴァンプの愛と贖罪のためにみんなを巻き込んだ。手のひらからこぼれ落ちた偽りの愛をそれぞれが本物だと信じたハッピーエンド。
 身勝手ですね。愚かですね。ですがシオンは分かっていながら共同幻想に手を染めてしまうほど孤独だったんでしょう。

 二幕。バルコニーでシオンとキャンディが愛を語るシーンでシオンはこう言ってます。

イニシアチブで心を操ったってそこに真実なんてなにひとつない
それでいくら愛されようと虚しいだけじゃないか

 なのに結末があれですよ。

吸血鬼もいつかは死ぬ
事故で死ぬか病で死ぬか
それとも孤独で死ぬか

シオン

キャンディ「その中には上辺だけの愛もあるってこと」
シオン「ああ。でもぞっとするよな。そうまでしなくちゃならない孤独がこの世にあるだなんて」

 孤独と虚しさを天秤にかけて虚しさをとったということですか。ああ、『嘘はときに真実を生み出す』でしたね。じゃあそこに希望を見出したってことか。

 私には愛がよくわかりませんね。難解すぎる。


LILIUMとの対比


 不意打ちすぎて。
 ヒントが揃ってくるたびに喜びで震えていました。まさかここが共同幻想ユートピアだったとは!
 さっそく楽しい楽しい解析パートに入っていきましょう。


共同幻想

 ヴェラキッカとLILIUMの構造は酷似しています。
 寂しさからヴェラキッカ家、サナトリウムという共同幻想のユートピアを築き、イニシアチブの効力の弱まりで真実に辿り着けば、最後はそれを否定することで永遠に終止符を打つ。
 ところがどっこい受ける印象は180度違うようですね。これいかに。

 これはシリーズ作品という以上にこの二作は対にように書いていると感じます(私がシルベチカの人なので正常な判断ができてなかったらごめんだけど)。
 類似点だけでもあげていきましょうか。

 ・「100年後も1000年後も〜」「永遠に枯れない花を作ろう」ノラとファルスの永続を望む心
 ・二人でワルツを踊る/ノラ・キャンディとファルス・スノウ
 ・永遠の象徴(ノラ・ファルス)の刺殺を試みる
 ・独り占めにしたい生きる意味ができた(クレイ・マリーゴールド)
 ・イニシアチブに抗い自分の愛を思い出す(ジョー・キャメリア)
 ・夢の中で真相に近づこうとする(カイ・リリー)
 ・共同幻想の埒外にいる存在(シオン・シルベチカ)
 ・「この心は私たちのもの。心の行方は私たちが決めるわ」「貴方の呪いから解放しただけ」共同幻想を拒絶する心
 ・ノラ/ファルスを見て寂しさ孤独ひとりぼっちだと思う(キャンディ・リリー)

 ざっとでもこんなにある。

 ひとりぼっちだったと語られたノラとファルス。初めからはっきり異なっているのは、ノラは孤独でも愛されなかったわけじゃないということ。
 そもそもが違う。ノラにはシオンの存在があった。ファルスはいないから作ろうとした。

 死んだヴァンプを存在させる共同幻想は、あったはずの愛がなかったことにされたことから始まった。
 不老不死のヴァンプの存在を偽った共同幻想は、消えない孤独を受け入れることができずに生まれた。

 シオンの愛を否定して、消えない愛を得た。
 リリーが花園の永遠を否定して、永遠の命を得た。

 物語における後味の決め手は自由を返したか否かです。
 真相を知った後の両者の違いを見ましょう。ヴェラキッカではノラがいないものだと分かっても、得た感情は偽りではないと言いイニシアチブを解きました。これは「愛されたい」という生前のノラの願いが共同幻想から覚めても伝わったからになります。シオンがやったことは個人の意思と自由の返却でした。
 対してLILIUMではクランの秘密が暴かれてももう一度やり直せばいいとソフィはイニシアチブで制御します。「僕が欲しいのは操り人形じゃないからね」なんて言っておきながら、その実やってることは自由であることの強制です。何度も人格は失われ、マリーゴールドに偽りの記憶を植え付けてるくらいだから改編し、命を弄んだ。だからソフィからすれば全てを無に帰され失意の中クランを去り、覚えている者は誰もいなくなった、ことになった。唯一の生き残りであるリリーがやったことは彼女たちの尊厳を守りファルスの呪いから解放すること。だからマリーゴールドから共にいることを願われ、シルベチカやスノウからは「私を忘れないで」と望まれた。永遠の命となったのにリリーは孤独ではないんですね。

愛されたかった者の明暗

 では私がヴェラキッカをハッピーエンドでLILIUMをバットエンドだと思っているかと問われれば、それは逆なんですよね。

 理由はヴェラキッカはまだ夢から覚めていないんですよ。

夢の中で夢を見てはいけない
現実にこそ夢の花は咲く

リリウムより

 これはリリーが劇中で歌った一節なのですが、ヴェラキッカのラストはこうです。

何十年か後
ヴェラキッカの屋敷では気の触れた老人が空想に耽りながら1人で暮らしているらしい
私は知っている 彼は1人じゃない

キャンディの語り

 これがシオンでノラの夢を見ているのだとすると、ノラが本来持っていたはずの愛。檻越しに育み「愛されたかった」という願いに応え、自分以外のヴェラキッカで生まれたはずだったノラへの愛も、シオンにとっては現実にはない。現実世界にいないから現実世界に存在しないものになってしまった。感動のラストが全部おじゃんだよ。なにやってるんだ。

 一方リリウムはあんなことになったとはいえ、永遠の命という夢をスノウは捨てて、マリーゴールドは母親から愛されなかったという悪夢を見なくてよくなり、リリーは共同幻想を否定して夢から覚めようとした。ファルスですら現実を見て「また作ればいい」と夢を語り、去った。

 リリウムはね、みんなの尊厳が守られたハッピーエンドなんです!!!!誰がなんと言おうと!!!!

 シルベチカを見てください。ファルスからの永遠の命を拒んで命を自分だけのものにした。イニシアチブに逆らい、生き方の選択をしたんです。顔の美醜ではない、精神の美を保った。愛を信じたんです。

 孤独を孤高に変えて気高く咲き誇れ

リリウムより

 シオンにはこの言葉を贈っておきましょう。

 結局、ノラがいる共同幻想から覚めることができないという状態は死者への冒涜と同意です。
 だってそれはシオンが作り出したノラであって本当のノラではありません。姿形、感情、言葉に至るまで全て紛い物で、シオンの夢と欲と罪悪感が生み出したバケモノですよ。
 お気づきでしょうか。シオンはまだ解放していないんです、たった一人。そうです、ノラ・ヴェラキッカのことを。
 うわ〜〜〜〜!!!!最悪!!!!
 ちなみにLILIUMで解放されなかったのはリリーですが、彼女は夢から醒めました。ここが明暗です。


疑問と期待


 まだ少し感情がおさまらないので先に話した“最悪“の補強としてプラトンの饗宴を読み解きます。


 私の趣味もややありますが、ちゃんと根拠があって。ノラがロビンの行っている授業を見にきたときに、養子たちに囲まれた一コマ。そこでクレイがノラに「このへん(頭頂部)からパッカーンって割れてゆくゆくは二人になってみせます」と言ったんですね。

 これを聞いた私の脳内は
 ①クリオネのバッカルコーンか?捕食行動なのでカニバリズムに注意。雌雄同体であるクリオネと性別不詳で描かれるノラのようにクレイがなりたいと憧れてる?
 ②アリストパネスの演説か?

 饗宴やアリストパネスのこの元ネタを知らない方、今初めて聞いたよ〜という方向けにざっくり説明すると、人間は神によって身体を半分に切られた、だから半分しかない身の我々は互いに求め合って元の完全体を求める。その憧れや欲求をエロースという。なんてものです。要はクレイがノラを愛しているってこと(投げやりではない)。

 なにが言いたいかって、この脚本を書かれた方はプラトンの饗宴のエッセンスを意図して入れたと思われるよねという話(前二つのようなありがちな例えではないため)。

 饗宴の中にアガトンという人物の演説に対してソクラテスという人物が問答をするシーンがあります。それが今回のヴェラキッカの本質をとてもよく表していると思うのです。
 めちゃ単純に話を説明するとこうなります。

ア:エロースという神は美を追求するから最も美しい神!
ソ:エロースって美を求める神なの?
ア:そうです!だから美しいんです!
ソ:じゃあ何かを欲求することは、それを持ってる?持ってない?
ア:持ってない状態です
ソ:だったらエロースは美を持っていないから望んでいることにならないか

 これは永遠の命TRUMPを盲信する層にクリティカルヒットですね。エロースをソフィ、美を永遠の命と置き換えて読むとTRUMPシリーズになります。

 ではソクラテスはエロースをなんと言ったかというとより良いものを求める心だと言いました。
 エロースという神は無知なる人間と知恵の神の間に生まれた子どもです(ダンピールのソフィ思い出しちゃいますね)。
神というのは知恵ある者で完全な存在だから何かを求めることはない。そして無知な者は何かに欠けているということにすら気づくことができないので、また同じく何かを求めることはないのです。

 これをノラに当てはめてみましょう。ほとんどを与えられなかった檻の中での生活で、何を望むかと聞かれたときに「愛されたい」と答えました。これは愛を知らなければ望むことすらできません。
 ノラは愛されていたことを知っていた証明です。なのにシオンは自分の愛がなかったかのように扱われた気持ちになったことでしょう。あーつらい。
 そして共同幻想が暴かれキャンディに「ノラはどうしたいの」と問われれば「終わりにしよう。この共同幻想を」と言い切るのです。これが意味するところは愛を求めることのない完全な存在になった。つまり、このときのノラは愛で満ち足りたんです。愛を望まないことで現実世界になかったノラ・ヴェラキッカの存在が確かなものになった。

 ほんとここでやめておけばどんなに良かったことか……。
 最悪のいつまでも幸せに暮らしましたとさ。ですよまったく。

 気を取り直して今作の覚書でもしていきますか。


①マギー・デリコとキャンディの身の上

 ここでデリコの名前を聞くことになるとは!
 ってことは後々効いてくる伏線貼られてるんですかね。だけどこればっかりは『ヴェラキッカ』が外界と独立した話すぎて手持ちのカードでは広げられないですね。情報のストックだけしておきます。

 あとはキャンディの家族は「火事だった家が全部燃えて逃げ遅れた」と語っていましたが、これってネブラ村消失事件と関係ありますか?萬里くんが18年前の生き残りって言われていたのでこれが繋がっているとすれば『ヴェラキッカ』の時系列は『TRUMP』のちょっと前くらいになるんだろうか。まあ全てを関連づけるのは息苦しくなるので可能性として頭に置いておきたいですね。


②情景描写

ある日クランの寮にティーチャーがやってきた
冬の曇り空のような気配と共に

 ここから『ヴェラキッカ』は始まるんですよ。だいたい小説読むときは風景描写は心理描写とリンクさせて読むのが鉄板なので、どんよりとした寒さを連想するこの描写からウィンターって登場人物が現れたときに疑いの眼差しでしかなかったです。わかりやすすぎるか?って思っていたらまんま実行犯でした。

 あとは朝昼夜の時間。

夜が明ける
朝日が昇り一日が始まる
私のための茶番劇が始まるんだ
ここは愛でかたどられた
共同幻想だ

ノラ

地下牢の中は少しの光も差し込まない暗闇だったから昼も夜もない

シオン

 月の翳りで得た、夕暮れ、星、月の理論を投じると、夕暮れがないから1日が死んでない。「奇妙な感覚。月日は流れるのにどこにも行けない一日の中にいるみたい」と繋がってきますね。
 ノラが言った「朝日が昇り一日が始まる」は逆説的にこれから展開が動き出していく予感だったり、死に向かっていくとも取れます。それとノラには朝しか居場所がなく、他のヴァンプたちは昼と夜(ヴェラキッカ家での暮らしと死)がある、なんてことも感じられる。
 あとは光がないということは陰影(COCOON参照でダブルミーニング)が生まれないということになります。これは心の翳りがないという見方もできちゃいますね。

 そしてシオンのこの劇中歌の節。

初めは小さな恋だった
今ではこの空よりも広い

シオン

 夜空を見て歌う愛。星と月が見えているから、聞き手には死んだ恋とその悲しみを感じさせるんですよね。メランコリック。

③シオンの共同幻想

 いっぱい話しただろ!というツッコミが飛んできそうです。
 ここからさらに何を話たいかというと、夢から覚めるという選択をしたヴェラキッカ一族でしたが、カイにイニシアチブでノラの姿を見せてもらったあと何故カイは解除しなかったんだ?という疑問です。
 まあカイも強引にシオンにイニシアチブで幻想見せられていたのでその意趣返しとか恨みがあったと見てもいいんですが、清らかな心になっていたあの空気感でそうなるか?という引っ掛かり。
 解いた後にまたかけてもらうように願ったのか、それともイニシアチブではなくて本当にノラの幻覚を見るような狂人に成り果てたのか。アフターストーリーが気になりますね。

 おそらく、十中八九ファルスはこのヴェラキッカでの一件を、LILIUMでのサナトリウムのロールモデルにしていると予想しています。だから『TRUMP』で見たときよりも、人を誑かして愛を囁くようなキザなやつを演じていた気がするんですよね〜。これはノラの影響を受けているかと推察します。
 ヴェラキッカの時系列ってどこに入るんだろうか。LILIUM以前TRUMP以降ならシオンにコンタクトとっている可能性もありますね。直接聞き込みをしてたりして。だとしたらカイに解かれていたとしても、ソフィにイニシアチブかけてもらったりもできるのか。


④プラグマと永遠

 8つの愛を割り振ったじゃないですか。私あれ全然しっくりきてないんですよ〜!!本当は何パターンか出したいくらい。
 一応、ギリシャ語の愛の意味四つ、アガペー、フィリア、ストルゲー、エロスはメインキャストの方に割り振って。みたいなメタも入れつつのアレではあったのですが、納得がいかないことが一つ。
 プラグマの是非です。ここはどうやったって当てられる人物が重要になってきます。
 心理的にはシオンとか置きたくなるじゃないですか。だけど私はクレイにしました。

 ここからは妄想タイムです。妄想だけならフリーダムなんで。
 クレイという人物は「愛しているから殺したい」となりました。これ聞いたとき私はこれを思い出しちゃったんですよ。

TRUMP 我ら吸血種の創造主
尽きることのない命を持つ彼は
永遠という暗闇の中でどのようにして輝きを知ればいい
そのためには死することのない神に身代わりとなる死を
TRUMPに死を捧げるのだ

星ひとつより

クレイ、ダミアンストーン説。
私の今の視聴した状態だと反証なくイケる気がしています。
 ヴェラキッカという荘園の中ではありますが、TRUMPに限りなく近い状態を取ったノラを殺す。こういうの好きでしょ?ダミアンストーン??(まだ実態も知らないのに煽っていくスタイル)


感想


 一番の驚きは「平野綾さん!?」でしたね。声で気がつきました。舞台もされていたんだ。

 私は宝塚に浅識なので、今作もなに一つ知ってはいないんですが「宝塚っぽい〜!」となっていました。勝手なイメージで連想していたら申し訳ないです。ですが、ノラとかはまさにTHE・男役の方って印象でした。おそらくご出身なのでしょうか。
 小田さんが宝塚をお好きなのは知っているんですが、未知すぎて手が伸びにくかったのです。後学のために一作ぐらいは視聴したい気持ちが芽生えました。

 最後に「同じ夢の中でまたお会いしましょう」というのは宝塚ではよくある決め台詞、演者さんの代表作からの引用、手法だったりするんですか?
 だとすれば笑顔で終われるんですが、そうじゃないパターンだと。
 ・円盤での収録を見越したメタ
 ・同じことがまた繰り返される暗喩
 なので後者だと最悪のダメ押しなんですよね笑

 あとはやっぱり、言葉にするほど陳腐になるのがなぜわからない!とカイにお叱りを受けてしまいそうですが、歌唱がとんでもなく素晴らしかったです。なぜわざわざ言葉にするかというと、気持ちを形にして届いて欲しいからですよ。素敵でした。思わず言いたくなってしまうほどに。

 そしてTRUMPシリーズの制作サイドは絶望しか知らないのか、希望の感覚を有したうえで絶望と思えるものを描きたがっているのか考えてましたが、ヴェラキッカで後者であることを確信したので「良心を持った上で悪意を描くんだな」と……。あははは……ふぅ。 

おわりに

 いろいろ言ってしまいましたが、人の愛に口を挟むのも野暮なのでちょっと反省してます。

 シオンくんはわがまま気のまま愛のジョーク聞いて「あいされたーい!」と叫べば良いかと思われます。

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