組織の考えに縛れない私でいたい


いくつか政党関係の組織に属していた経験とそこからわかったこと

私は政党や公職選挙候補者の団体をいくつか渡り歩いた。
勝手連を二つ、政党直属の組織に一つ、、政党に一ついた。
ちなみに各団体が重複していた時期はほとんどない。

しかし、どこも何等かの理由で抜けた。
それぞれについて私の経験や私から見た組織のカタチをつづっていきたい。

なお、この記事は私の主観が入っているため、もしかしたら事実と異なる部分があるかもしれません。
その際はコメントで指摘をよろしくお願いいたします。

各団体の経験

みずHOPE(2022年1月頃~2022年9月頃)

はじめて勝手連に関わったのは2022年1月から同年9月までの『みずHOPE』だ。

この勝手連は埼玉県川越市を中心に社民党の参議院議員・福島みずほ氏を応援するためにできた組織だ。
この勝手連はFacebookグループを中心に情報共有をしていた。
私はこの勝手連にFacebookの知人からグループに招待されて実質的に入った。

勝手連として参議院選挙公示直前日まで駅頭で街頭宣伝をした。
勝手連は選挙が公示すると活動ができなくなることをここではじめて知った。
毎月のように勝手連は街頭宣伝を行い、私ははじめてビラ配りに挑戦した。
なかなか難しく、通行の邪魔にならないところかつ受け取りやすい位置を考えるのは大変だった。

そして、私はこの勝手連を通してはじめて選挙予定候補者の決起集会に参加し、しかも勝手連代表のご厚意により応援メッセージを発言させてもらえた。
はじめてのことでめちゃくちゃ緊張したが、なかなか良いものになったと記憶している。

その後、参議院選挙が終わった後に私は『特定の政党関係とはかかわりを持ちたくない』と思ってみずHOPEを脱退した。

SIMH₂O埼玉9区の会(2023年1月頃~2023年5月頃)

次に勝手連に関わってしまったのは2023年1月から加入する羽目になった『SIMH₂O埼玉9区の会』(読み:シムエイチツーオーさいたまきゅうくのかい・略称:シムナイン)だ。
まるで元素記号のような名前だが、これは衆議院の選挙区「埼玉県第9区」に該当する「狭山市(S)」「入間市(I)」「毛呂山町(M)」「飯能市・日高市(H₂)」「越生町(O)」の頭文字をとった名前だそう。

その名の通り衆議院議員予定候補者である立憲民主党・杉村しんじ氏を応援する勝手連だ。

先述に「関わってしまった」や「加入する羽目になった」と書いているが、これは地元の無所属市議会議員に「野党共闘の集まりがあるから参加して」と言われていったら、なぜかこれの会議だったということだ。
そしてそのまま成り行きで加入してしまい、そのまま活動したというのが本音だ。

ここの勝手連は埼玉9区内の各市町の無所属議員が中心メンバーで、野党共闘が進まない埼玉9区で自民党の大塚拓氏(あの丸川珠代氏の旦那である)の打倒をし、そのうえで杉村しんじ氏に全力で埼玉9区と日本のために働いてもらうという趣旨とのこと。

私はこの勝手連を通して立憲民主党の党首・泉健太氏とお会いすることができ、まさかの写真まで撮らせていただいた。
党首との写真は福島みずほ氏に続いて2枚目だった。

その後、統一地方選で入間市から出馬したせんつい京子氏を勝手連で応援することになるも、私がまさかの告示日に入間市駅前で足首を捻挫し大騒ぎになった。
当然私も選挙応援どころの話ではなくなり、自宅療養をする羽目になった。
まあ、もしかしたらその時に私がコケたおかげで彼女は当選できたかもしれないが(こじつけ)

その後は後述する団体に専念するため5月初頭に脱退した。

民主青年同盟(2023年3月頃~2023年12月末)

民主青年同盟、通称民青同盟は駅頭宣伝をしていた時に出会った。
同世代との交流が欲しいと思い、その場で加盟した。

その後は地域で様々な活動などを経験した。
たくさんの学びもあった。

しかし、組織としては別であっても、日本共産党の傘下として存在しているようなもの。
私は党中央の松竹氏の除名問題の対応に疑念しかなく、不満が頂点に達した先日に脱退した。
詳しくはまた後述する。

日本共産党(2023年8月~2023年12月)

本当の意味で最後の組織になったのはやはりここだろう。
そして、民青同盟と党のつながりを強く感じたのもここだった。

地域支部はおじいさんおばあさんばかりだから昼間に会議をしているし、活動を活発化させようという意思も感じられなかった。

おまけにSNSで違う地域の議員レベルの人が中央へ意見を言っても、ネット上で疑問を書いても幹部から脅されたというのを見て「ここにはもういられない。いたらダメだ」と思った。

こうして私は、民青同盟を脱退すると同時に党も離脱した。

経験から得たこと

民青同盟と日本共産党は『一体化』している

これは私から見てそうにしか思えなかった。
なぜなら日本共産党に入党した発端が「民青同盟」であるからだ。

民青同盟の会議は大体党の事務所を借りている。
そのため、8月のある日に事務所へ行ったらそこに地区委員長がいた。

そこで私は民青同盟の会議そっちのけで党への勧誘を30分ぐらい受けた。
しぶしぶ入党した私も良くないと思うが、あの空気感で「保留」や「入らない」選択肢なんてあっただろうか。

そしてその後も日本共産党と民青同盟の『一体化』を感じる場面はあった。
ある日、党内部の会議で「民青同盟員を増やして、そこから入党させよう」という趣旨の話があった。
これは日本共産党と民青同盟の一体化を象徴する出来事だった。
党は民青同盟に頼り切っている可能性がある。これは民青同盟が自立した組織でないことを表しているのではないか。

政党組織の決定に従うことは、自身の考えを棄てること

これは特に「民青同盟」と「日本共産党」がそれを徹底していた。

他の勝手連は中心で関わっていたわけではないが、意見を聞いてアドバイスなり反応を返してくれた。

しかし、民青同盟と日本共産党は特に上層部がカタい。頭がカチカチなのではないかと疑ってしまう。
それは様々な情報を見る限り、そうにしか思えない。

もちろんネット上はウソをついている可能性もあるので過信はできない。
私は市内の図書館にある党に関する本を借りてパラパラと読んだ。
それを読んだら今まさに起きていることがそのまま書いてあると思った。
著者は元幹部の方らしく、的確に問題点が書いてあると思った。

組織に属することは、自身の考えを棄てることだと思った。
特に政党色が強い団体ほど、政党と違う考えは安易に持てないと思った。

もちろんそれがブレすぎないことは大事。
でも、多少の軌道修正は必要だと思う。世の中に変わらないものなんてないのだから。

しかし、あらゆる今の日本の政党にそれができるのだろうか。
ブレすぎず、でも世の中に合わせて軌道修正をする。
どこの政党もできていないのではないか。

政党組織にいると客観的に物事を見られない

政党組織にいれば組織に有利な情報だけが入ってくる。
そのため、反対の意見を知る機会は減るだろう。

私は物事を右か左かで考えることをしたくない。
たしかに思想はいわゆる「左」にだけど、息苦しいからマスクは外したい。
まあ、左か右かなんて言葉がまず好きじゃないが。

どちらかの意見だけを肯定し反対側は全否定するのは違う。
異論の中から生まれる解決策もある。

だから私はあらゆる側面から物事を見たい。
どれかだけを信じることはしたくない。

そういうことで考えれば、特に政党色の強い組織にいると政党に有利な情報が多くなる。
だから私はもう政党には属さない。

これからは私にとっての『市民運動』へ

私は政党を全て否定するわけじゃない。
政党員の数はその勢力の数と同等だから。

市民団体も根っこから否定しない。
むしろそういう人たちをもっと応援したい。

でも、私自身が市民団体に入るかというとそれは難しい。
私自身はゆるく長く運動したい人なので、がっつり仲間とやりたいわけではない。
それはこの過程を踏む中で実感したことだ。

私は組織を抜けて、孤独になったかもしれない。
しかし実際はそこまで孤独じゃない。周りで闘う仲間がいる。
市民運動は目的を達成するまで終わらない。
私がやりやすい形でやらなければ、末永く続かない。

私にとっての『市民運動』は気ままに一人でやることなのかもしれない。

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