記録|熟成し、つづける
春に仕込んだ手前味噌のお披露目。
11月の週末三連休に、半年以上前につくった味噌の味くらべを予定していた。味噌の仕込みをした10名のうち6名。そして、新たに加わった参加者のご家族1名と犬2匹に友人1名、合計8名が山中湖忍野の慧光寺に、集う。
1日目|渋滞をぬけて
三連休の始まりの金曜日、文化の日。
予定した集合時間から数時間遅れ、電車とレンタカーを乗り継いで来られるEさん(シャーマン)がオンタイム12時半に到着。その後、横浜から自家用車のUさん(日本画コーチ)が、新宿から高速バスで向かった私が3時間遅れで到着。自家用車組みがバラバラと到着し、私はYさん(エンジニアコーチ)と一緒に高速バスで到着するMさん(人類学者)を迎えにいく。“やらなければならない何か“のような迫り来る期日はなく、感じるままに、立ち現れる何かに応えるように場をつくり続けていく。というわけで、その日のお昼ご飯は、それぞれで。
私は、バス停忍野入口まで迎えにきてくださったEさんと一緒に、近くのセブンイレブンでお昼ご飯を調達してから慧光寺へ。いつもなら車で5分くらいの場所が、今日は20分くらい掛かる。慧光寺に到着すると、住職の證善さんと奥様の勝子さんが出迎えてくださった。荷物を奥のセミナールームに置き、お腹を空かせた私たち2人はサンドイッチとEさんが淹れてくださった珈琲で一息つく。
◾️半年前の、味噌づくりのこと(時間を巻き戻す)
2023年4月15日、慧光寺。手前味噌づくりに10名が集った。
春の鮮やかな若々しい緑に囲まれた場所。朝から大きなドラム缶のような釜(直径約80m、深さ約1m)で茹でられる大豆10人分の大豆約50kg。釜いっぱいに入れた水から、ちょろちょろとした弱い焚き火の炎で茹で、途中何度も丁寧にざるで灰汁を取る。火に掛けるのは午前中から。お昼過ぎにぽつりぽつりと集まってきた人たちが、釜の周りを囲んで雑談。たまに、長さ1mくらいある、ボートのオールのような形をした大きなしゃもじで、鍋のそこから力を込めて豆を混ぜる。初対面の顔ぶれが多い中、簡単な挨拶や自己紹介が交わされる。
鍋に被せてある木の蓋を開けると、大鍋の中でグラグラと茹で上がる大豆のなんとも言えないふくよかな香りが辺り一面に漂う。大豆を茹でるだけの数時間。途中、鍋の周りから誰かが抜け、また戻っては、また囲み、ゆっくりと時間が過ぎていく。途中アルデンテくらいの硬さの大豆を取り出して、自家製醤油を大豆にまわしかけて、おやつにする。大豆の柔らかさは、1粒摘んで、ほんの僅かの力を加えるか加えないかで潰れるくらいになれば完成。みんなが晩ご飯の買い出しとお風呂に行っている間に大豆も茹で上がってくれる。晩ご飯の途中で、「米麹と豆麹のブレンド味噌」をつくる人は、それぞれの麹と食塩水をあらかじめ混ぜておく。
2023年4月16日、2日目朝、みんなで朝食を食べた後、みずみずしい風が吹く晴れた空の下で、薄いクリーム色をした漬物用のバケツの中で、乾燥した米麹と麦麹と塩を混ぜ合わせる。おかめさんの顔が描かれたおかめ麹(塩きりした麹)。麦麹は少し緑がかっていてふわふわとしたカビのような麹菌が麦の一粒一粒を覆っている。米麹は白乳色で、こちらも同じようなふわふわとした麹菌に覆われている。塊になっている麹を手のひらでもろもろと崩し、粒が解れてきたら塩(粟國の塩)と混ぜ合わせる。
その後、ミンサーと言われるひき肉を作る電動器具で大豆をミンチ状にしていく。以前は手作業で大豆を濾してしたようだが、時間がかかってしまうため今は機械を使っている。大豆を計測し、ミンサーに少しずつ投入すると、ミンチ状にされた大豆が、土の上に置かれた平たいバケツの中にぼとぼとと落ちてくる。ミンチされた大豆に、先ほど混ぜた麹と塩を入れ、ある程度混ざった段階で、手の平で持てるくらいの塊にし、それを空気を抜くようにクリーム色のバケツの中に(愛を込めて)思いきり投げつけていく。クリーム色のバケツの中には、投げつけられた味噌種が鎮座している。鎮座した彼らを丁寧に手で平らにし、ある程度整ったら、バケツの周辺をアルコールで消毒してラップを上からかけ、3kgくらいの漬物石を上から乗せて蓋をして寝かせておく。この時、豆麹と米麹で仕込んだ2名は自宅に持ち帰ったが、それ以外の参加者は慧光寺に預かってもらうことにした。
半年の間に1・2回天地返しといわれる味噌の上下を入れ替える作業を行う(最初の天地返しは7月の七夕の頃)。一見カビが生えたように見える味噌もあるようだが、表面を掬い取ると、綺麗な味噌が仕上がっているという話を聞き、私たち人間の成長にも投影できそうな示唆がある。
◾️みんなで、つくる(時間を早送りして今へ)
山中湖周辺にはいくつかの温泉がある。初日も夕方頃から温泉に行く予定にしていたのだが混雑を予想し、翌日の朝風呂に急遽切り替える。予定不調和から作り出していく場、生み出される想定外の道が、とても心地良い。
半年間慧光寺の清々しい空気の中ですくすくと育った味噌たち。セミナールームに一列に並べられたクリーム色の樽8つ。春の味噌づくりに参加したYさんとSさんは埼玉と千葉の自宅に持って帰って味噌を育てることにしていた。それぞれの樽には、春に仕込んだ時、A4用紙にマジックペンで描いたメッセージと名前が貼られてある。味噌種がわずかに付着しただろう箇所は、所々、発酵していて青かびのような色合いになっている。
バスで到着するMさんを迎えに行ったついでに(Mさんは私たちとすれ違い、先に慧光寺へ到着された)、Yさんと私は買い忘れた大根を買いにスーパーへと向かう。
大根1本と、追加の食材を買って戻ってきたのは17時前。昼下がりから早々と火をつけ始めた焚き火の上で、大きな鉄のお鍋に10人分の具材がすでに放り込まれていた。台所では、先にUさんがスパークリングワインを開け、いぶりがっこチーズを作ってくれていた。「きはちゃん、飲むよね?」と差し出されたグラスに注がれるスパークリングワイン。買い出し班の皆さんに1本しかオーダーしなかったのが悔やまれる。ようやく到着した千葉から到着したSさん(化学者エンジニア)も交えて、みんなで自己紹介をしつつ乾杯。今回の場に初めて参加される方はお二人+2匹。Oさん(サービスデザイナー)の旦那様であるHさん(事業開発家)と、ルークとヴィヴィと名付けられた可愛いチワワ、そして私とOさんの共通の知人であるMさん。
◾️味噌との、再会
各自の味噌をセミナールームへ取りに行く。
味噌樽を開けた瞬間、発酵したお酒のような酸い香りが鼻の奥に上がってくる。色も半年前から大分変化し、森永のミルクキャラメルのような茶色に変わっている。放っておくだけで、菌たちは勝手に熟成を進めてくれる。
漆で塗られたお椀に入れ、焚き火の近くのテーブルの上に並べる。短冊切りにした大根も並べられ、さあ、半年寝かせた味噌の味くらべ。
◾️味噌を、囲む
テーブルに並べられた味噌が何度も愛おしい。ひとつまみずつ、それぞれの味噌を味見していく。
Oさんの味噌は、まだ若く青々しい味わい。これからゆっくりと熟成されると、きっと優しさも加わってもっと柔らかな味になるのだろう。Uさんのお味噌は、同じ麦麹と米麹で作っているのだけれど、なんだろう。幾重にも重なる味わいを受け取らせていただいた。Uさんの様々な人生の旅路が詰まった、柔らかい陽射しのような味。Eさんのお味噌はなんとも言えず滋味で、人生の奥深さや複雑さがそこに現れている。同じ麦麹と米麹で仕込んだYさんの味噌は、色も濃く、熟成が進んでいる。山中湖よりも気温が高いからなのだそうだが、味に苦味があり複雑さが出ていた。頑固で複雑な思考が垣間見える。千葉に味噌を持ち帰っていたSさんは豆麹と米麹の合わせ味噌。かおりも香ばしく、赤出汁のお味噌汁に使うような味噌に仕上っている。
私の味噌は、Oさんの味噌の風味に似ていて、若く青々しい味わい。少し酸味もある。勝子さんが「シンプルな味」と表現してくださったのが、シンプルに生きていいのだというメッセージのよう。
お皿に山盛りに乗っかった大根が、今か今かと味噌にディップされるのを待ち望んでいるが、あっという間に食べつくされてしまう。同じ場所で、同じときに作った(何名かは同じ場所で育った)味噌なのだけれど、少しずつ味が違う面白さ。人間も同じだ。
◾️焚き火を、囲む
ぐつぐつと湧き立ったほうとう鍋に、全員の味噌を合わせてとき入れる。ちょうどいい塩梅に味噌が入ったら、焚き火を囲んで対話が始まる。焚き火に薪をくべるように、体の中から湧き上がる言葉をただただ真ん中に置いていく。誰かに向けた言葉ではなく、感じるままに言葉を置き、私の中に脇立つ感情を見つめていく時間。大きくなったり、小さくなったりする炎をぼんやり眺めていると、言葉がなくなる時間、普段だったら埋めようとしてしまいがちな時間も、その余白を味わいたくなる。
“直会(ナオライ)“の話からはじまっただろうか。言語と人間の速さの話、非言語の話、名の話、燠火(おきび)の話…“ことば“の音は、放たれては、焚き火の炎に乗っかって、煙のように空にゆらゆら昇り、夜空に吸い込まれるように消えていく。今夜の月はどのあたりに見えるのだろうか。焚き火の炎で明るく照らされ、無数にきっとそこにあるだろう星たちは私の頭上にはいくつかぼんやりと見えるだけ。どんな木でも時間が経てば必ず燃える。必要なときに燃えてゆくのだから、待つことが大切。その中でも、銀杏の木は、激しく燃えることなく、ゆっくりと炭化していく。待つ自分と、待てない自分の葛藤がある。“待つ“ということを、能動的にやってみよう。
證善さんが焚き火の側で気持ちよくいびきをかきはじはじめてから、数十分くらいか。そろそろ薪が底をつきそうになった頃合いに目覚め、味噌ラーメンづくりに台所へ消えていく證善さん。22時の味噌バターラーメン。悪魔の香りに誘われて、2杯完食。それぞれにとって必要なことが起こっている、そんな信頼を持ちながら場に委ねようと思う夜。
2日目|朝から、湯で流す
朝6時過ぎ、ひとりまたひとりと起きだしてきた。1階の暖炉の側で久しぶりに聴く猫のてんこの鳴き声。慧光寺に住んで20年くらいの猫だろうか。もう100歳近くのおばあちゃん猫で、1年前は元気な鳴き声をいつも響かせていたが、今はゆっくりと人生の残りの時間を味わっているかのように、たまに静かに鳴いては、眠っている。
車3台で朝風呂へ向かう。
辺りは霧がかかった太陽と森。山中湖の森にはじめて入った3年前は、梅雨のしとしと降る小雨のときだった。乳白色の霧に覆われた深い緑色の苔むす森は、外の肌寒さなんて忘れるくらい、繭に包まれているように温かく、降り注ぐ雨で身体が土に溶けてしまいそうな幻想的で美しい体験だった。霧の森とは打って変わり、今日は温泉のサウナで霧に包まれ、日頃の疲れを流していく。
◾️食卓を、囲む
温泉から帰宅し、朝ごはんをつくる。
トースト用に勝子さんがいつもの味噌ペーストをつくってくださる。いつもは慧光寺のお味噌を使うのだけど、今回はSさんの味噌にいい塩梅にすりつぶした胡桃にオリーブオイル、メープルシロップ、シナモン、カルダモンを混ぜて合わせていく。
食パンを薪ストーブの上で焼く人、珈琲を入れる人、目玉焼きを作る人、黙々と持ち帰り用の味噌を計量してラッピングしている私。それぞれがそれぞれに、けれど、共にそこに在る。いつしか、森のような場ができあがっている。
おわりに
住職の證善さんが朝のお勤めで外出された後、しばらくして、2階からお経をあげる声が聴こえてくる。太く低く美しい声。「あれ、證善さん帰ってこられたのかしら?」と思って耳を澄ましていると、どうやら声の質感からMさんなのだと分かった。“音“とは不思議なものだ。私は小瀬村晶さんや反田恭平さんいうピアニストが弾くピアノがとても好きで、その音色を聴くたびに心に深く入りこみ、私を森の奥まで誘ってくれるような気持ちになる。
味噌を仕込んだその日は、Sさんが自宅から持ってきた太鼓のリズミカルな音がお寺中が溢れ、2週間前に訪れたときはオルガネッタの音色が、そして、毎日美しいお経の音色を聴き続けた味噌たちは、これからどんな風に育つのかしら。可愛い我が子を遠くから見守る母親のように、また次の再会まで、ゆっくりと、共に熟成しつづけていく。
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