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〈持っている〉ポップ・ミュージック

10月12日は私が参加しているThe Tree Of Lifeの3作目『New Hope』の発売日でした。


同日に、米津玄師の「KICK BACK」、Official髭男dismの「Subtitle」も公開になったのですが、いやー、素晴らしい。
この2曲が同日にリリースされるJ-POPシーン、どれだけクリエイティブで高まっているのかと、その充実ぶりに驚愕します。



最近のJ-POPは、音楽の教養、言い方はあれですが偏差値が非常に上がっているという感じで、気合だけではできない音楽になっているなと思っています。
気合だけでやるのが悪いって言ってるんじゃないです、むしろ気合だけで他に何も持っていない人がパッションをぶつけることができて、世の中に訴えることができるのがポップ・ミュージックの最大の力だと思っています。
クラシックのように多大な知識と教育、修練が必ず必要なものではなく、持たざる者にも開かれているのがポップ・ミュージックなのだと。

それが、ここ数年、ヒット作に明らかに高等な音楽教育を受けた人間の音楽だ、と思うものが増えてきていて、以前とバランスが変わってきていると感じていました。

海外のトレンドは、今はサブスクがあるので話題になったらできるだけ一度は聴くようにしているのですが、特にアメリカのトレンドは、非常に優れた作曲家、プロデューサーがいるのは前提として、〈プロダクションがしっかりしている〉という、チームの総合力に圧倒されることが多い。そのチームがわんさかいる、シーンの層の分厚さ。それから、時代に真摯に向き合った社会性と音楽性を両立し、ヴィジョンにを実現する力に圧倒されることも、とても多いです。

日本のポップ・ミュージックも、当然ヒットしているものはプロダクションはとてもしっかりしているのですが、近年特に音楽の高学歴感が結構あって、だからプリミティブな情熱がないかといったら全然そんなこともなく、本当に素晴らしいんですけど、アーティスト自身の音楽的教養の高さを感じるものがヒットしている傾向があるなあ、などと見ています。

いつだったか、知り合いが出演するということで、あるテレビ番組を見てみました。
それは、上に書いたような教養に裏付けられた音楽をしてヒットしている素晴らしいバンドの人が3人、それぞれ別のバンドなのですけど、トークとセッションをするというものでした。

面白い話ばかりで、見ている時はとても楽しかったのですが、見終わって時間が経って考えてみると、
「これ、自分の生徒や若い子が見たら、凹む子もいるんじゃないかな」と、少し心配な気持ちにもなりました。
これから音楽でやっていきたいと夢を持っている人の中には、これを見て自分はこんな環境がないから無理だって思ってしまわないかな、ということです。

子供の頃から家で始終音楽が流れている、家に沢山レコードがある、親がピアノ教師、ヴァイオリンを習わせてくれる、勉強の成績も良く、何も心配せずに音楽大学に行ける、留学できる、など、環境的に〈持っている〉人たちの話だったからです。
いわゆる〈実家が太い〉というやつですね。
今ヒットしている素晴らしいポップス、その音楽的偏差値の高さは実家の太さからきているということを、詳かにしてしまった。そんな気がしました。


私の年齢は、ちょうど子供が中高校生ぐらいなんですよ。今まさに将来を夢見ている子を持つ世代ですね。
私には子供はいませんが、私は79年生まれ、超就職氷河期でロスジェネと言われている世代ど真ん中で、豊かな経済力で子供を育てることができている人がどれぐらいいるのだろうかと考えると、その子供も、おそらく随分格差があると思います。

以前、音大を出てすぐの生徒が「やっとソロピアノで定期的に演奏できる仕事をもらえた!」と言ってきたので、話を聞いているとなんだか思っていたのと様子が違う。
ので、「あまりこんなこと聞きたくないけど、それ、ギャラいくらなの?」と聞いたらば、「2000円です!」と笑顔で言う。
私は喉元まで「それは人に定期的に仕事を頼む金額じゃない、そんなこと言うてくる業者は絶対ダメだから断りなさい」と出かかったのですが、彼女にしたら初めて自分の力で得た演奏現場で喜んで報告してくれたので、「行ってみて良かったら続けたらいいし、しんどかったらすぐ辞めたらいいよ」と言いました。
それに加え、ミュージシャン皆が思っていることだと思いますが、「自身のためになるか(勉強、コネクション作りなど)、お金になるか、そのどちらにもならない仕事なら請けない、辞める」ということも多分伝えたと思います。

私が学生の時には、学生でもタテの仕事(曜日レギュラーで入ること)の報酬が3桁ということは、まずなかったです。
音大を出て専門的な技術を持つ人を、数時間拘束して2000円で雇おうとするって、よくそんな値段を提示できるなと、底が抜けてるなと思いました。

しかし、私は生まれた時代という環境要因でラッキーだっただけで、学生のうちからギャラをもらって演奏の仕事をできていたのは、私の実力ではありません。環境要因を〈持っていた〉だけです。

こういう例はこれだけじゃないのですが、今10代20代の生徒の話を聞くにつれ、私はたまたま〈持っていた〉だけだったなと、今音楽で食って行こうとしている人たちの環境の悪さに、なんだか申し訳ない気持ちになったりする時もあります。そんなこと思っても仕方ないのですが。

私のデビューの時だってそうですよ、普通にデビュー盤から海外レコーディングとかお膳立てしてもらっていましたが、今そんなレコード会社なんて皆無でしょう。本当、環境要因に助けられてばっかりです。

プロだと、私の下の世代だと、かなり多くが海外留学経験のある人じゃないでしょうか。海外留学する資本がないとプロミュージシャンになれないわけではないですが、今ほとんどの人間が教育機関を出ていることを考えると、原初は持たざる者の音楽だったものが、持っている人の音楽になってしまっていることは否めない。
長く続くカルチャーって、どんどん教養化していくものかもしれないけれど、ポップ・ミュージックまでそうなったら、環境要因で〈持つことができない〉人を排除してしまうこともあるんじゃないかな、と思う時もあるんですよね。クオリティの高い音楽を聴けるのは、音楽人として喜びではあるのですが。

そういう意味では、フリースタイルダンジョンが流行って、街中でサイファーしている若者が増えたのは、逆ですよね。
楽器がなくても、音楽教育を受けていなくても、自分たちにコミットできる音楽の居場所がある、それをテレビで提示したのは非常に大きかったと思います。

前回の「サブスクの話」にも書きましたが、すでに持っている人にばかり向けて音楽していて良い未来が築けるとは思わないし、教養=西洋的価値観においての練度でしかないとも思うので、自分なりの社会との向き合い方はずっと考えていきたいです。

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