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美が超越する一瞬(とき)



美と一言で表現してもその在り方は異なり、この世には色んな形をした、色んなニュアンスを併せ持った美が存在する。

美とは私たちの心身を磨き上げ研磨し、自信をもたらしてくれるのと同時に、見聞を広げて己の思想を豊かにする。


価値観が皆違うように、一人一人が持つ美意識や美学も人の数だけ存在し、その姿は変幻自在で時代や時の流れに沿って移り変わり、そこに明確な定義や答えなど存在しない。それらは自らで定義付け明確にしていくものだと思う。

物も人も溢れ出した現代。
本当に美しいものを知らない人は多い。

姿かたちは美しいけれど、「美しいように見える代物」が市場に出回っているように思う。見せかけだけでは誰の心も動かせやしない。

本当に目を傾けるべきもの、耳を傾けるべきものが埋もれてしまっている。
...そう感じるのは私の美意識の基準というものがエベレスト並に高いからなのかもしれない。圧倒的な美しか、私は美と認識できない。

無垢で優美、くすんでいない。
これが一般的で大衆に好まれる美だとしよう。

だが、儚げでどこか影が垣間見えたり、「美徳と愚かさは表裏一体。」と言うように、スポットライトが当たるキレイな部分だけが美ではないとも思う。


本当に美しいものを知る、視る、感じると、
自分も感化されて美しく在りたいと思える。
本当に美しいものを理解するということは、一種の洗練のように感じる。それは、大人の良識だろう。美は時に暴力となり癒しにもなるが、本物は心を満たす。


美の定義、美学とは、美意識とは。。。
上述したように、全員に共通する明確な答えはない。

ただ、私が大切にしている美の概念、基準がある。それは、真の美に直面すると自分の美意識や美の定義が明確になる。そして、曖昧で抽象的なものが浮き彫りになる。

美意識が明確になることで汚らわしいものやダサいもの、胡散臭いものがより鮮明になる。

これは偽物やダサいものを、見極める審美眼、センスに直結し影響を与える。

美しいものは価値観や固定観念さえ変える。
自分の心情に変化をもたらすのが真の美ではないだろうか。気づけなかったことに気づいたり見えなかったものが見えるようになる。美を識別する眼は本物の経験の積み重ねで培われる。

本物に出逢うと、心躍らせ震わせ宝物を見つけ出したような高揚感とトキメキで胸がいっぱいになる。そして、いつまでも色褪せず、記憶に残る。まさに、美の賛美。美の悦び。




美を熟知し自分の美意識に従順で素直な人、とても美しい。

いつの時代も美は超越する。
美しさよ、永遠に。

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