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知ることの可能性

 姉の投稿を読んで、私が思った事を整理して書いてみる。遠い国で起こっている様々な問題について、私たちにできる事はあるのかどうか、について。

 私が初めて海外に渡航して、チベットの問題を知った後、私は部屋で1人で悶々として「知るべきじゃなかった」と後悔した事があった。なぜならそれはとても残酷で悲しいもので、それを知らなければ大学を辞める事だって考えなかったからだ。でも、その事をある人に話すと「その分だけ、魂はきれいになっているんだよ」と教えてくれた。それから、「魂はきれいになることはあっても、汚れることはない」ということも。私はそれをなんとなく信じられる気がした。

 チベット問題をテーマにした映画の中で、中国共産党から長期にわたる拷問を受けて、脳に障害を抱えてしまった1人のチベット人女性は「どうか、チベットを忘れないでください!」と泣きながら訴えていた。彼女は海外にいる私たちに、チベットのために「募金や著名を集める」でも「デモや抗議を起こす」でもなく、ただチベットの事を「忘れない」「知ってもらう事」を望んでいた。「知ってもらう事」にどれほどの力があるのか、当初は私も半信半疑だったが、考えた末にそれしか方法はないだろうと思った。そして私も、チベットのために何かできる事をしようと動き始めた。

 チベットを訪れたことがない人に、チベットという遠い国に想いを馳せてもらうのは難しいこと。だから、伝えたい相手の海外旅行経験とかで耐性を自分で判断して、残酷さを控えるなどの工夫をして伝える必要がある。今の日本で起こっている問題や日常生活の中で起こる問題を、チベット問題やパレスチナ問題と、それぞれの状況の差異とを比較しつつ問題提起し、それを身近な誰かに伝えることもとても有効だと思う。その行為は、この世界をよくする方向に働きかけている。たった今チベットやパレスチナにいて苦しんでいる人を助けられなくても、自分の考えを聞いた1人の意識を変えられたら、それがまた誰かの意識を変えるきっかけになる。そうして広がって行けば、日本が将来悪い状況に陥る事を防ぐきっかけになるかもしれない。何十年か後には、チベットやパレスチナにいる子どもたちを救う事に繋がってくかもしれない。

 私も数年前にチベットの絵を描いたり、チベットをテーマにした作品をいくつか作って展示もしたけど、あれから何年も経っている今でも知り合いから「今、NHKでチベットの特集がやっています。ふと、ひとみちゃんのこと思い出して連絡しました。」って連絡をもらうことがあるし、他にも知り合った誰かが私を思い出して、いつもなら気にも留めないチベットという単語につい反応し、その番組を見ているかもしれない。そして、そういう民族が世界のどこかにいて、困難な生活を強いられているんだって知る。それを知る事で、困っている誰かに手を差し伸べたくなったり、何気ない日常が急に愛おしく感じられたら、それでもいいと思う。

私はこうやって、自分で自分を励ましている。

誰にどんな事を伝えたいのか、漠然とでも意識するのは大切だね。それを意識する事で不思議と伝えたいことが伝わりやすくなる。

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