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いいもの

 今日は、いい文章・いい絵画って何?ってことについて、自分なりに考えたことを少しだけ書いてみる。

 私の身近に二卵性の双子の子がいるけど、2人は性格が全然違うから、生年月日を利用した「誕生日占い」「星座占い」「四柱推命」などの占いの類は当てにならないのだとわかる。「当たってる!」って思うのは、そう思わせるように書いてあるからだ。同じ文章でも、読む人が変われば受け取り方も変わる。誰もが共感できるように書くことなんて、そんなに難しいことじゃないんだと思う。

 でも占いは、次の点で価値がある。単調で、先行きもちょっと不安、な日々の生活の中で「今日のラッキーアイテム(もしくはカラー)」に書かれていたものを身につけていれば「今日はなんだか、いいことありそう」っていう気持ちにさせてくれること。だから朝の民放のニュースや新聞の中から、占いの枠は消えない。「誕生日占い」や「四柱推命」も同様で、ちゃんと読者をちょっといい気持ち、にさせてくれるように書いてある。

 ある1枚の絵画の「好き・嫌い」を決めるのは、受け取る側の趣味や好みによるところが大きい。でも、本当に「いいもの」は男女問わず、あらゆる年代の人にも「いいもの」として通じる。「好き」であるかは別として。

 だから、人の場合でも、好きになった人とお互いに知り合い、今の自分の持つ力を全て駆使して、最上のものをぶつける事ができたのなら、相手は必ずその気持ちに答えてくれる。(もし相手にとって自分が趣味じゃなくても、関係ない。趣味や好みの地盤は思っているよりも緩く、移り代わるものだから。)もし答えてくれなかったり、無下に扱われたら。相手が未熟だったんだろう。その後に後悔したり、自分や相手を責めるのは間違っている。

 絵でも文章でも、できるだけ「いいもの」を生み出すために描く(書く)側ができる事は、自分に嘘をつかずに、卑屈になったり、見栄を張ったりもせずに、自分の思うところを表現する(綴る)ことだけである。

 第二次世界大戦下で、ユダヤ人迫害から逃れるために、隠れ家生活をしていたアンネ・フランクが、自身の日記の中にこんなことを書いている。

 ーわたしの作品に対する最良の、そしてもっとも手きびしい批評家は、わたし自身です。どこがうまく書けていて、どこがうまくないか、自分でもちゃんとわかります。書くということを知らないひとには、それがどんなにすばらしいことだかわからないでしょう。以前、絵の下手なことをわたしはずいぶん嘆いたものですが、いまでは、せめて文章をかくことができて、よかったと思うことにしています。かりに、本を書いたり、新聞記事を書いたりするだけの才能がなかったとしても、そう、自分ひとりの楽しみとしてだけなら、書くことはいつだってできますものね。といっても、そうあっさりと諦めるつもりはありません。
 ー私の望みは、死んでからもなお生き続けること!その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分の中にあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を! 
 ー書いてさえいれば、何もかも忘れる事ができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なのですが、はたしてこのわたしに、なにかりっぱなものが書けるでしょうか。いつの日かジャーナリストか作家になれるでしょうか。 そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことによって、新たに全てを把握しなおすことができるからです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。

 アンネは自分の日記が、後に大勢の人に読まれることになることを予感して書いていた。なぜならアンネたちは当時、ラジオでオランダ政府が戦争中の状況を記した手記や日記を記録として収集する、という呼びかけを聞いており、アンネの日記は、家族の中で一番文才のあったアンネが、誕生日に父親に美しい装丁のノートをプレゼントされて、書くことを薦められたのがきっかけだからである。

 私は以前、作品を制作することについて「いいものは必ず評価される、だからいいものを生み出したい!」ということだけをモチベーションに続けていた時期がある。そして長い間、周りの人間も自分と同じ思いを抱いていると思っていた。けれども、美大で幾人かの人と知り合い、語り合うにつれて気づいたことは「いいものを作りたい」という欲求で制作をしているの人間はごく少数で、別の欲求をモチベーションに作品制作をしている人たちが大半だということだった。それは「勝ちたい」であったり、「注目されたい」「人を楽しませたい」であったりする。

 この先の内容は暫定的な意見。

 それらの事に気づいたところで自分は人に変えられないし、それらの動機に優劣をつけることもできない。人間の命に優劣が無いように。だが、私も最近になってようやく、制作に対して「楽しむ」また「遊ぶ」という関わり方がもてるようになってきた。


アンネの日記」↓こちら、13歳から15歳のアンネが、隠れ家での生活について、また本人の孤独な心のうちや、恋心について、素直にまた明晰な頭脳で丁寧に綴った日記です。最終的にアンネはアウシュビッツ強制収容所、またベルゲンベルゼン強制収容所へと送られた後、病気にかかり亡くなってしまいます。私も読み終わりたくないがために大事にちびちび読みました。興味のある方は是非。


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