一首鑑賞 さん。(まよい)

未補の一首鑑賞文。
三首めは、まよいさんの歌です。

まちは眠りエチュードよりも手さぐりであなたの二酸化炭素を吸った/まよい

一首鑑賞文を書くとき、どの歌にするか迷うのですが。迷うので、単純に「一番心が震えた歌」にしようと決めました。

「まちは眠り」という冒頭の言葉で、情景に静謐さが漂う。音のない、静かな町。同時に、もうこの町で起きているのは、二人だけしかいないのだと意識させられる。
エチュード、というのは練習曲や即興劇という意味があるけれど。歌の中の二人は、長く付き合った恋人同士ではなく、まだ付き合いはじめたばかりの初々しい恋人同士なのかな、と「エチュード」という言葉で推察できる。
「エチュードよりも手さぐり」。一つの音符もない楽譜、一言の台詞もない台本。皆が眠った、静かな町で、お手本もなく、やり方もわからず「あなたの二酸化炭素を吸った」。
「二酸化炭素」を吸うという行為は、自分だけが一方的に「あなた」の吐く息を吸っているのかもしれないし、お互いに吸っているのかもしれない。
どちらにしろ、人は酸素を吸わないと生きていけないのに。
「あなた」の吐く二酸化炭素をだけを吸い続けてしまったらどうなるのだろう。
現実的に死ぬことはないにしても、そこには潜在的な「死んでもいい」という気持ちが透けて見えてしまう。

この短歌を読んだとき、辻征夫という詩人が書いた「婚約」という有名な詩のことを思い出した。
「おたがいの吐く息を吸いあっていたら酸素欠乏症で死んでしまうのではないか」という内容の詩です。(ざっくり要約しすぎて詩の良さが死んでいるので、ぜひ読んでみてほしい)
たしか学校の授業かなにかで読んで、そのときは単純に「しあわせに溢れた詩だなあ」と思った気がする。
でも、今になってあらためて読み返してみたら、怖いなと思う。
「婚約」に感じた怖さと、この短歌に感じた怖さはとてもよく似てる。

どちらも、「あなた」と「わたし」で世界が完結してしまっているから。入り込む余地がないから。他に何も見えていない、欲していない、とても閉じた場所にいるから。
「二酸化炭素」を吸う行為は、きっととても息苦しい。でも、おそらくこの歌の世界では、それが当たり前の「呼吸」なのだと思う。
二人の世界の「外側」にいる私は、じわじわと呼吸困難になっていくような怖さが分かるけれど、「内側」にいる二人は気づかない。いや、気づいていたとしても、それでよいのだ。
「二人だけの世界」というのは、もうこれ以上果てがない。行き止まりにいる気がする。
まだ初々しい二人は、行き止まりにいることすら気づかずに、夜な夜な手さぐりで、何度も何度も死んでもいい夜を繰り返すのだろう。
私はそれを「怖い」と思うのだけれど。読む人によってはこの上なく「幸せ」な歌だと思う。

この歌に心が震えたのは、もしかしたら「怖い」と思いつつも、そんな行き止まりの「幸せ」に憧れているからかもしれない。
私以外の読み手はこの歌をどう感じたのか。聞いてみたいなと思いました。

#短歌
#tanka
#一首鑑賞

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