一首鑑賞 に。(はね)

未補の一首鑑賞文。
二首めは、はねさんの歌です。

牛乳が今日の絶望当番だね。ねえマグカップと、絶望とって。/はね 

「絶望当番」というのが、とても惹かれる言葉で、この歌を選んだ。
牛乳を絶望にしたのは何故かな、と不思議だったけれど。
当番というからには、明日は別の何かが絶望になるのでしょう。
飲みものなのか、食べものなのか、はたまた全然別の何かか。
もしかしたら牛乳みたいに飲み干せる何かかな。
絶望も、飲み干したら無くなるのかもしれない。

この歌は、「絶望」を詠んだ歌だけれど、優しさと強さがあるなと思う。
ひとつのものに「絶望」を押し付けないから。ひとつのものにしか「絶望」を与えないから。
もし、牛乳に絶望してしまったら、牛乳はずっと絶望のまま。
でも「絶望当番」なら、明日になったら牛乳は牛乳に戻ることができる。
当番を決めてあらかじめ絶望してしまえば、もう今日は他の何かに絶望しなくていいかもしれない。

絶望は、日常にいつも無数に潜んでいて。
予想できない落とし穴みたいだなと思う時があります。(妹が「もう絶望しかないー」とよく言っている。着たい服が乾いていなかったりとかで。)
どんな些細なことでも、当人にとっては大真面目な絶望だったりして、しかもあらゆるものがきっかけになってしまう。
そんな絶望だらけの世界だけど、その世界まるごとすべてに絶望したら生きていけない。
だから、絶望を当番制にして分散させているのかもしれない。

最初読んだとき、ネガティブな印象を受ける歌だった。(「絶望とって」なんて言われたらちょっと怖い。)
でも、読んでいくと、絶望に溢れた世界へ抵抗しているような強さを感じて、真逆のイメージになった。
やってくる絶望をただ浴びているのではなく、あえて自ら絶望を作って、打破していくイメージ。
「絶望当番」いいですね。私も、まるごと世界に絶望しそうになったとき、当番制を導入してみようかなと思います。

はねさんの詠む短歌は、普遍的なのに既視感がなくて、そしてやさしい歌がたくさんでした。そっと、ずっと触れていたくなる。それこそ、稀有な羽のように。

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