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あなたのふつうは?【中編】

昨日たまたま読んだお友達がシェアして記事で書き始めた私の「ふつう」が作られた背景。

前編がまだの方はこちらから。

さて、今日は人生が大きく変わる監査法人勤務をしていた30代手前からスタート。


【26-30歳】

20代の頃はとにかくよく公認会計士の同期合格の友達や会社にあとから入ってきた後輩の子達とよく飲みに行っていた。仕事のストレスも多く飲んで発散するって感じだった。

酔いつぶれてお店で寝ちゃったこともあるし、飲みすぎて電車を乗り過ごすこともあったし、家についてもそのまま玄関で寝ちゃったこともある。

公認会計士って仕事は会社が3月決算の会社が多いので、4月末から5月くらいにかけて寝る時間もないほど忙しい。さらに半期決算から四半期決算に当時移行したので、年中忙しくなった。並行して上場準備の会社のサポートをしていたので、本当よく働いていた。


海外旅行は大学の卒業旅行でゼミのみんなで行ったインドネシアとバリ島が初めてだったけど、そのあと26歳くらいの時、家族全員でオーストラリアに団体ツアーに参加して行った程度(まさかそのあとオーストラリアに住むことになるとは知らずに笑)。


そして、本格的に海外に行くことに興味を持ち始めたきっかけが、ある日事務所で

『私の夢は本場のアメリカのディズニーワールドに行くこと!』

って意気揚々と会社で語っていたら、事務の女性に

『そんなのお金さえ払えばいつでもいけるじゃん』

と言われ、当たり前のことだけど、「夢じゃなくて、お金さえあればいけるんだ!」ってことに氣がついて、クライアント先の仲良しの大学の後輩と2人でディズニーワールドのホテルまで送迎がついてあとは自由行動のツアーに申し込んで出かけた。当時フロリダの開放感と外国人だらけの環境にすっかり魅了され、

それに味をしめて、今度は全部自分で手配するイタリア旅行を企画して大学時代の友人と2人で旅をした。夜にヴェネチアについて、船から見えたマルコ広場は感動したなー。そのあとフィレンチェ、ローマを電車を使って移動した。まだEUとかなくてリラが通貨だった頃。


今は会社に休みを申請しても理由を聞いちゃいけないらしいけど、当時休日を申請したら「休んで何すんの?」みたいなことを仕事一筋の上司に言われたこともある。イタリアの時は初めて無理を行って1日仕事を外してもらい9日連続の休暇をもらった。

だけど、その数ヶ月後、会社の後輩と飲んでる時に

『アメリカに一度くらいすんでみたいなぁー』

と呟いてみたら、

『それなら行ったらよろしいやん。資格持ってるんやし1年くらい休んでも全然問題ないやん』

実は高校の時英語科だから、1年の海外留学に出かけてる友達を羨ましく思っていた。1年もの海外留学には数百万円かかるし、そんなお金は親には頼めないって諦めたことがあった(そもそも当時は親に頼ることしか考えてなかった)。大学でもESSにいたので、長い夏休みを海外留学してる人はいたけど、それもお金がかかるものなので私は無縁だと遠い目で見ていた。


さらに、お金を稼ぐようになっても、小さい会社に入って1人あたりの負担が大きいので、辞めることは他の人の迷惑になると思い込んでいた。

それにも

「大統領だって急にいなくなったって、国が潰れないんだし、仕事も引き受けてあげるから大丈夫!外の世界を見たほうがいいよー」

と年上の会社の後輩に励まされて、超怖い上司にあることで呼び出された時に思い切って辞めることを伝えた。

上司は、「厳しい環境にも耐えたことは評価してるし、この間のイタリア旅行も行かせてあげたのに」って引き止められたけど、「私が有休消化したい」っていうと、その年ちょうど働きすぎなのに固定給で申し訳ないという会社の意向で残業調整分として確か200万円くらいボーナスが出ていて、もうそれで有給分も払ってると意味のわからないことを言われて、有給もなしで最後まで働いて9月末で辞めることになった。

(ちゃんとした会社なら有給が認められないとかありえないと思うけど、それで決心が逆についた)

さあー、今月で仕事も最後ーって最後の力を振り絞って働いていた頃、留学したいと思っていたNYで911が起こった。(なぜだか生放送で目撃!)

ビビリの私は、当時テレビで「炭疽菌が入った封筒が届く」と言う細菌テロに怯えて、再就職活動を始めたりしていた。

【30-32歳】

そこから紆余曲折あってNYを諦めて、2002年の5月に留学のためボストンにまずは一ヶ月へ。典型的なアメリカ人の郊外に住む母息子の家にホームステイしながら語学学校へ。そのホストマザーにはアメリカ人の感覚とかいろんなことを教えてもらった(これも長くなるので詳細はまたどこかで)。ハーバード大学とかMIT大学とかも見学ツアーとかあって遊びに行ったりもした。まだそんな権威に憧れていた頃。

そしてサンフランシスコで本格的な留学生活が始まる。

まずは3ヶ月の語学学校は、日本人も多いクラスだったけど、年齢層が高くて価値観も合ってよくナパバレーやサンタクルーズやら遊びにも出かけた。サンフランシスコはゲイも多い街で、初めてみるゲイパレードも刺激的だったし、学校の担任の先生もゲイでアジア人の彼氏を紹介されたりもした。


後半は、ソフトバンクの孫さんも行ったカリフォルニア大学バークレー校のプログラムでファイナンスを専攻した。この頃アメリカの公認会計士の資格も取得。

クラスメートはトルコやブラジルの金持ちの若い子たちが多く、自分の国が危ないので疎開して遊びにきてる感じだった。

アメリカ暮らしは危険だから出来るだけ質素な格好で目立たないように!って思ってる日本人とヴィトンをもって華やかな服装のクラスメート。ロシア人のクラスメートは、自国の兵役を逃れるためにきたって人も。

自分のお金で来てる苦学生?は日本人くらいで、他の生徒は親のお金。


そして、後半はサンフランシスコの一等地で景色のいいところにオフィスを構える某投資会社でインターンシップ。

ニューヨークと時差があるので朝は5時くらいに出勤し、3時には仕事終了!

私は富裕層の投資を扱う小さなグループに派遣されたのだけど、そこで学んだこと。

投資は情報戦。


あと、衝撃だったのが1年も留学してたのに、生の英語は外国語のように全く理解できなかったってこと。

いくら海外で勉強しても語学学校の先生の英語は優しすぎたし、外人向けに授業をしてる学校の先生の英語も優しく言ってくれてたんだと氣づく。


そして、インターンももうすぐ終わりという頃ある出会いを通じて別の投資会社でバリバリ働いていたオーストラリア人の元夫と出会い、留学でお金が尽きていた私は彼のマンションに転がり込み、その9ヶ月後には結婚して、また私の人生の『ふつう』が大きく動きます。


続く


あと一回で終わるかな💦


エネルギーで望む未来から現実をどんどんクリエイトする!

元公認会計士&コーチング型経営コンサルタント
              松原仁美


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