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なぜ自分と他人を比較してしまうのか?

自己肯定感の低い人は自分と他人を比較しがちだと言われます。

「あの人に比べて私はまだまだ」とか、「自分よりもっと毒親に苦しめられている人がいるのだから、私なんかまだマシ」みたいに、自分と他人を比較しがちなのが、自己肯定感の低い人。


そういう人に対してカウンセラーたちは、「自分と他人を比較するのはやめましょう」と言います。

しかし、「やめましょう」と言われたところで、自分と他人を比較してしまうのは、その人の意志の力ではありません。気がついたらなぜか比較してしまっているのです。

自己肯定感が低く、その苦しみにもがいてこなかったカウンセラーは、しれっと「比較しないようにしましょう」と無責任なことを言いますが、本人はそんなこと百も承知です。

比較してはいけないなんてわかってるんです。でも、なぜか比較してしまう。だから心がつらい。そのことに気づかないカウンセラーは、カウンセラーの資格がないとすら私は思います。


さて、なぜ、なぜか比較してしまうのか?

心の中に「崇高なもう一人の自分」が宿っているからです。

その崇高なもう一人の自分のことを、キルケゴールという実存主義の哲学者は「永遠」と呼びました。フランスの精神分析家医のジャック・ラカンは「反復強迫」と呼びました。


要するに、自分の心の中に神様が宿っているのです。
神様という言い方があまり好きではない方は、人間よりちょっと立派なもう一人の自分が心の中にいるとお考えください。


そいつが、現状のこの自分ではない、なんらか素晴らしいもうひとりの自分を心の心の中に生み出しているのです。


例えば、高校生で、数学のテストが 40点だった人がいるとします。数学は大学受験で使わない予定なので別に40点でも現実的にはなんの差し障りもない。

しかし、心の中にいる神様が「 40点じゃまずいぞ。頑張って平均点くらいは取らないと」と言ってきます。

40点でいいという自分と、それではまずいからもっと頑張れという自分が、心の中で葛藤します。

その葛藤は、たとえ大学受験に合格したとしても、ずっと続きます。
大学を卒業して30歳になっても「自分は数学をさぼってきた」というコンプレックスに苛まれ続けます。

それもこれも、心の中にいるもう一人の自分、すなわち神様のせいです。

このことをより分析的に言うと、祖父母のうちの誰かが同じような葛藤を味わいつつ、生涯を送ったと言えます。


私たちの性格は2世代前の人のそれを引き継いでいる、すなわちおじいちゃん、おばあちゃんの性格を遺伝的に引き継いでいるというのが、フランスの精神科医であるラカンの洞察です。

数学にもがき苦しんでいる人はだから、おじいちゃん、おばあちゃんも数学に苦しんだことがある。あるいは数学に類似の何かができなくて、しかし、やるべきで、もがき苦しんだと言えます。


いずれにせよ、自分と他人を比較するのをやめましょうという言い方は、まったくもって無意味な言説です。

なぜ比較してしまうのかを、それぞれのカウンセラーがクライアントに丁寧に説明すべきでしょう。「やめましょう」と言って金をもらうのはちょっとどうなんですかね? ぼくにでも言えるしあなたにも言えると思いませんか?

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