やらない後悔よりやる後悔


ひとりで歌うような、ステージで前に立つような人間じゃないと思ってた



学生時代サークルのライブでサイドギターとして前に立ったとき自分には無理だとおもった

練習でできたことはできなかったし、練習でできなかったことはやっぱりできなかった

前は見れなかったしメンバーの顔さえ見た記憶がない

早く帰りたかった




明日はピアノ弾き語り、ソロでライブハウスで歌う


ことの始まりは「歌え」だった


昔から「やらない後悔よりやる後悔」という言葉は自分の中にもっていて

「歌え」と言われて「歌ってみる」となったのはその言葉があったからなのかもしれない


今はやってみてよかったと思ってる

やれ、と言われた理由も自分なりに理解できたし意味のあるものになっている気がしている


結果、やらない後悔もやる後悔も回避できた


向き不向きは置いておいて、後悔している自分を見ずに済んでいるのでよかった




とある日

深い意味はないだろうけど、バンドの自分とソロの自分、両方を見た人に「バンドは楽しそうでよかったです!」と言われたことがある


「 “楽しそうな私” を見てもらえてよかったです」


なんてね





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