私が私を受け入れる日
ある低気圧の朝、ここ数か月で一番といっていいほどに落ち込んだ。
なぜなんだろうって考えても、理由がいくつもいくつも絡み合っていて、その日一日では落ち着かない。
そんな中考えていたことについて、ひとつだけ残しとこうかなって。
重かったらすみません。
おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
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幼いころのわたしはいつからか
「こうすべきだ」
と、自分に言い聞かせるようになった。
その感覚が他人に向けられたときもあった。
それを大きく外れる兄のことが嫌いだった記憶もある。
今書こうとしている「こうすべき」という感覚について、考えてみた。
自分にとってどうすべきだったのか。
それには家族との関わりがおおきく影響している気がする。
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当時、兄弟が両親を悲しませる出来事がいくつも起こった。
記憶する限り母が泣いているのをはじめてみたのは、兄が「俺が死ねばいい」といったときだった。兄は反抗期だった気がする。
詳細は書かない、というより、小さかった自分にはなにが起こってるかほとんどわかってなかった。
そんなことがいくつも起こった。
もうひとつ、母親の涙で記憶にのこっているのは兄の卒業式。
不登校気味だった兄が卒業のころには学校にいくようになってた。
なぜ泣いていたのかは聞いてないけれど、きっと安堵の涙だった。
安堵というのは不安を種にして生まれるものだとおもってる。
両親ともに不登校の子供を無理やり行かせるようなことはなかったけれど、卒業式にでる我が子をみてほっとしたのかもしれない。
このあと、進学して、兄はまた学校に行かなくなった。
理由は知らされてない。
ちなみに兄は二人いる。
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幼い自分のこころに焼き付いたのは、苦しむ兄ではなく、兄を心配する両親だった。
悲しむ両親が色濃く映った。
「こうすべき」が強く根付いた理由はそこにあるような気がする。
「悲しませない行動をとるべき」だと、思い込んだ。
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それから数年経って、今までの自分をひっくり返すことになる。
「こうすべきだな」と自分で選択してきた進路から、興味の向く先が変わってしまった。
それを否定する親ではなかった。
けれど、その話をしたとき、母親は洗濯物を干しながら洟を啜ってた。
「これでいいのかな」って何度も考えた。
わたしのことで泣いてる様子を見せたのははじめてだった。
それでも、そんな自分を肯定するために
「やりたいことをやれる人生じゃないとね」と、都合よく落ち着かせた。
人一人の価値観なんて自分都合でどうにでもなってしまうんだなと思わされる。
そうやって、今に至る。
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ある低気圧の朝、幼いころの自分が戻ってきた。
今の自分を完全に否定した。
悲しませているかどうかはわからない。
わからないのに。
人は一度手にした価値観を完全に消し去ることはできないらしい。
一度抱いた後ろめたさはそう簡単に捨てられないらしい。
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価値観は入れ替えるものではなく、重ねていくもの。
重ねていくしかないもの。
だから、変えられないものではない。
そう考えてみることにする。
自分の価値観を更新した、あのときの自分が間違いだとは思ってない。
それが、幸か不幸か、どっちなのかは自分の中にしまっておくけれど。
いつか、幼いころの自分に今の自分を受け入れてもらえたなら。
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