愚痴は自己嫌悪の餌になる



最近、ひとに愚痴をきいてもらうことがあった

「合う、合わない」「好き、嫌い」

善悪でないところで生まれる鬱憤を他人に話すのはすこし気が引ける

けれど上手に聞いてもらえたりすると

こころがスッと軽くなったり

ホッと落ち着いたりする




厄介さんなのは

他人に話すことをためらいつづけて放置してしまうとき

 その結果、愚痴の行先が自分になってしまうとき


これがなんとも身体には良くないらしい


行先がじぶんになると

「他人に言えるほどの自分じゃない」というきもちがぶくぶくと膨らんでくる

このきもち自体はダメな訳じゃない

ただ、捉え方をまちがえたり過剰に膨らみすぎると

毒になる

自己嫌悪の餌になってしまう




「愚痴をこぼすやつは未熟だ」なんて言われる世界

そう言われても

じぶんでない他人を理解するのには時間やこころの余裕が必要だったりする

それに善悪だけで整理できる上等な頭はそう簡単に転がってない



愚痴をこぼす相手や場所をまちがえると他人を擦り減らす結果にもなり兼ねない

そこは気をつけないとだけれど

できるだけ上手に人や場所を選んでいけたら

毒にせずまま消化できるんじゃないかなっておもう



愚痴の行先、上手に用意してあげたい




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