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わたしの周りとわたしの中身


見えないものにこわくなる時がある

明日のこと、遠い場所のこと、あの人のこと、あの子のこと

急にいなくなったりしない?

するかもしれないね


見えないという事実が自分に何か重たいものをよこしてくる


他人には言える

見えるものを見てみようとか

でも自分に対しては言い聞かせてもすぐ忘れちゃう、困ったな


見たいのに見えないからこわいんだと思う

きっとただの不安症がまたフラフラ歩き回っているだけだけど



有るか無しか、半分の確率の中で「仕方ない」という気持ちはいつも持つようにしているのだけど持っているからと言ってこわくない訳ではない


話は少しずれるけど

自分の中にあるものは自分が存在している限り無くならないって誰かが言ってた

その言葉がなんかずっと残っていて、ここのところその「自分の中にあるもの」について考えてみている

考えて思ったのは、もっているけど使えていないものがあるなということと、周りをみてみると今はもってないけど自分の持ち物にできそうだなと思えるものがあるということ

それを一つ一つ確かめている


今まで当然にできていたことができなくなったからこその時間なんだと自分的には解釈している

今まで通りにできていたら見向きもしなかったこともある訳だから、良かったの一言ではもちろんまとめられないけど意味のある時間にはなってる



自分の中身と自分の周り

周りのものが消えてしまっても中身はなくならないから大丈夫、とはどうしても思えないけど

少しでも重いものを軽くできるなら一つでもいいから自分の中身を充実させたい


させられたらなって思っている




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