涙って我慢できない
「血も涙もないね」
学生の頃、恋人と別れる時に言われた言葉
それ以来かどうかは最早わからないけど今泣くのを我慢することはあまりない
当時とても我慢してた
わたしが泣いたらダメだって言い聞かせて、さよならする時まで確か一滴も涙を流さなかった
元々すぐ泣いてしまう人間だから、その時はよく我慢できたなって自分では驚いてた
でもその我慢は要らなかったのかもなって今となっては感じる
ここ最近に思ったのは人とのさよならの時に周りの「悲しいメーター」が見えたらいいのに、ということ
自分はすぐに泣いてしまうけどそんな時に周りに一緒に泣いている人は今はほとんどいない
悲しいのは自分だけなのかもしれないとかいう不確かでしかない気持ちを抱きがちになる
涙だけが指標じゃないのはわかっているのにみんな一見平然としていてまるで心が見えない
自分が何かと敏感なだけかもしれないけどその瞬間だけはとても不安になる
自分だけが悲しくても別にいいのだけど、さよならでこんなに悲しいのはおかしいのかなって自分に対して不安になる
「また会えるよ」という言葉が嫌いだ
会えない可能性も十分にあるのにその言葉でごまかしてる気がするから
だからいつも何かの節目、さよならのときは「もう会えないかもしれない」って思うようにしている
ただ、涙を流さない人、悲しみを表に出さない人はすごいなと思う
悲しみの押し付けも良くないから
涙は押し付けになることもあるから
最近さよならをする機会が重なっている
仲良くなった人たちが遠くなる、いなくなる
そんなに仲良しは多くない方だから悲しい
仕方ないことだと感じながら悲しい気持ちはなかなか消せないでいる
我が儘の身勝手だけど
泣かなくても、泣けなくてもいいから悲しい時は悲しいと教えて欲しい
悲しくなければそれはそれで全然いい
悲しいの共有はうれしいの共有よりむずかしい
悲しい気持ちこそ、知り合えたらいいのにと思ったりする
何が正解かなんてない話だけど
そんなことを泣きながら考えている
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