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わたしが「ムラ」を作ろうと思った理由

こどもたちが自由に夢を見られるムラ「ニオノチルビレッジ」をつくりたい!

思い立ったのは2022年12月

手伝うよって手を挙げてくれたママたち4人で動き出したのは2023年の4月

それから1年半、「みんなの楽しいで未来をつくる」を掲げてこどもたちが自由になれるムラ「ニオノチルビレッジ」が8月3日に開村!します

満を持して!といいたいところだけど、そんな感じでは全然ありません笑

今も本当に3日開村できるのか?と不安になるくらいバタバタ

だけど、この1年半動いてみてまず「場」があることの大切さを感じられたので

まずは「場」を開きます

最初に、いきたい未来が見えて

いや、見えたからこそ、いてもたってもいられなくてはじめたっていう方が正解

それは当時、「今(現実)」を変えないと自分自身が「しんどい」の真ん中にいたから。それを変えるためには、動くしかったから

だけどどうやってそこへいったらいいか分からなくて

だからとにかく必死にできることをやってみた

付き合ってくれたみんな本当にありがとう

私は、これまで何か事業をしたこともなければ、人をまとめられるような人でもないし、普通の人より、嫌になるほどダメな部分も苦手な部分もめちゃくちゃたくさんあることを自覚してて

そんなこんなで本当にたくさんの方に話を聞いてもらったり、教えてもらったり、助けてもらったりしてやっとここまでこれた感じ

失敗も、迷いも、たくさんある

だけど動いていると、手を差し伸べてくれる方が必ずいて

次の扉がみえてくる

気がつけば、1年半前に自分がいた場所とはずいぶん遠くにこれていて
まだ、始まりだけど、行きたかった未来のスタート地点に今立てている

まずは伝えてきれてない、これまで助けてくれた方、関わってくれた方へ本当にありがとうざいますと、これからもよろしく願いしますの気持ちをたくさん込めて

これまでのこと、これからのこと少し整理していきたいと思います

改めて自己分析。なんで二オチルをやるのか


なぜ、ニオノチルビレッジをつくりたいかときかれたら
極論「自分のため」だと思う

クラウドファウンディングを読んでくれた方は少し書いていたけれど
私は二オチルをつくる三豊市出身。祖父母もいる家で十分に愛情かけれられて育ってきたと思う。今では珍しいほど昔かたぎの家で

家長の言うことは絶対
おじいいちゃんやお父さんの機嫌に合わせて動くのが当たり前の家
弟が跡取り息子で、私はいつか嫁にいく子

小さい頃から「ふがわるいことはせんの」「お姉ちゃん」「いいこ」「素直なこ」そんな肩書きをずっと意識して成長していった

10代。空気読んで生きてきたら自分がわからなくなった件


10代になると、周りの期待に合わせないと生きていけない。どんどんそれが自分なのか、求められている自分なのか分からなくなる。求められてる顔で生きていくから、本当の自分はコンプレックスだらけになっていた。

その頃から何か作ることは大好きだった。中学に入る時に自宅を増築したことがきっかっけでぼんやりと「暮らしを作る仕事をしたい」と意識するようになった。

けれども「可能性を広げるためには、まず大学に行かないと。女の子なんだから、潰しがきく勉強を」

そんな風に言われると、そうしかできなかった自分。
そんなわけで「香川大学経済学部」私が経済学部!?今でも興味持てない部門笑

それでも「好き」を諦めきれずに、在学中にインテリアコーディネーターの勉強をさせてもらい、就職は大手ハウスメーカーへ

そこでの経験もなかなかなものだったけどそこで改めて、誰かのために空間をつくる楽しさを知るわけです

20代。人生の選択は常に「どうあるべきか」が頭にあった


結婚したのは26歳。もなんで彼を選んだかというと、新入社員で取り繕うこともできないダメな私をそのまんま受け入れてくれた人だから。そのまんまの私を必要としてくれたから。忙しすぎる彼を支えたいと思ったから(昭和・・・)でもやっと営業の仕事がわかってきて、表彰してもらえたり、仕事が順調に回り出した頃。じゃあなんで26歳かって言われると、そろそろ結婚しないとなっていう圧。そろそろ「結婚」しないと結婚したら次は「こども」はいつになるの?

改めて考えると私の決断は「〜したい」より「〜べきだ」ばかりだった。

30代。子育て一色


こどもとの生活は可愛くて、驚きと発見に満ちていて
めちゃくちゃ幸せだった。と同時にめちゃくちゃ不安だった
社会から隔離されて取り残されているような感覚
夢半ばで手放した仕事。またその場所に戻ることはできるのか?
何か選択するときはこどものことが常に1番に頭にあった
「自分」は今度はちゃんと「お母さん」でないとダメで、あれ?私は何者だったんだっけ?

子供と一緒に自分らしくいられる形を模索しだしたのが「暮らしプランニング」の活動。

この田舎町で、子供との時間を大事にしながら「自分の好き」で社会に役に立てる方法はあるのか?
紹介でいただいたコーディネートの仕事や
子供と一緒に地域のレポーターとして体験して記事を書いたり
そうこうしているうちに大きくなって来たのが、今回の直接的なきっかけとなった
長男と学校の問題だった。

そして、結局それは、夫婦の問題であり、自分の生き方の課題に向き合うことになった。

「自分なんてできない子だ」と言い切る彼に
私はそれなりに「合わせる」ことで生きてこられた
でもそれって本当に「幸せ」なことなのかな?
私はそれを息子にも教えるのかな?

世界は自分でつくっていけるんだよ


母になって、子供たちが見せてくれた世界は、とても綺麗でキラキラしていた
何か発見した時の、新しいことができるようになった時の、ワクワクと好奇心に満ちた顔。瞳。

愛おしい。こどもたちは本来みんな自由で好奇心の塊だ。

そんな子供達に
世界は実はそんな思うように行かなくて、人に合わせないと生きていけない。

そんなことを伝えたくない

人とつながることはとても世界を豊かにしてくれるけれど

それはあなたがあなたらしくいれてこそなんだよ

「君は君のままでいていいんだよ」

「何にだってなれるんだよ」

「そのまんまの君を大事にしてくれる人がいるんだよ」

「どんなことにチャレンジしたっていいんだよ」

「がんばれば手をの伸ばしてくれる人がいるんだよ」

「一緒に夢にむかえる仲間がいるんだよ」

「世界はちっぽけな自分でもつくっていけるんだよ」

ニオノチルビレッジはそんなメッセージを伝えられる場所であり

そんなのママが言ってるだけじゃん!じゃなくて

ほら、ほんとにそうでしょって伝えられるための場所。

そのためには仲間(村民さん)が必要なわけです。

人生を変えられるのは「人」「本」「旅」だと思う。


人生を変えらえるのは「人」「本」「旅」との出会いだと思う。
二オチルをやりだして殊更そう感じるようになった

動けば出会える、出会うと、広がる

そんな出会いがたくさんあってここまで来れた

一緒に未来を考えてくれる「おとな」がたくさんいること

頑張れば手を差し伸べてくれる人がいることすでに私は知ってここに立っている

まだまだ未完成で、無秩序で定まらない部分もたくさん

それでいい、それがいい場所

それが必ず誰かの救いや、きっかけになるんじゃないかと思っています

これから起こる未来に一緒にわくわくしてくれたあなたに

これからもどうぞよろしくお願いいたします



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