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空中庭園2回目の案内記事

(facebookに書いていたけど、流れてしまうので、記録のためにここに。)

【空中庭園のご案内です】
「円坐っぽい」って何だろう?をあらためて振り返ってみる。
ドロドロ?絡みつき?もたれあい?それをやりたいのかな?えぇ、そんなことを?
別にそれしたい訳じゃないな。
“本当のあなたに出会う”とか? それもくさいな。
ふだん左脳で聞いている会話を右脳できく、ということは起きている気がする。少なくとも私はそうしている(と、感じる)。右脳は芸術脳とも言うそう。円坐をやってるときに脳波(?)を測ってみたい。右脳が活性化してるんじゃないかなーと思う。
音楽をきくとき、言葉をきくのでも日常会話のときとちがって歌をきくときの感覚、のときに右脳が活性化している(と思う、体感的には)。
一方、言葉の意味を捉えるとき、左脳的感覚になる。右脳的きき方では、意味を追わず「そのままきく」。
右脳的きき方は体感覚的なきき方。肌感覚とか、熱いとか冷たいとか、硬いとかやわらかいとか。そういう聞き方が入ってくる。それら触感は居心地にかかわってくるから、「この人といるとなんかホッとするな」とか、「この人といると緊張するな」ということが起こる。だけど、どうしてほっとするのか、どうして緊張するのか、普段の会話、日常のやりとりの意識レベルではその原因まではわからない。わからないけど確実に影響はうけてて、「あんまりこの人とはいたくないな」とか「もっと一緒にいたいな」という気持ちに、感情にかわっていく。その、気持ちや感情に上る前の感覚的な所から顕在意識にのぼらすことができるのが、円坐の効果なんじゃないかなーと思う。
そしてそこまで意識にのぼってくると、体は直接触れあっていなくて、言葉での会話だけなんだけど、実際に踏みにじられたり、救われたり、そういうことが起こってるのが分かる。日常だと言葉のはやさ、思考のはやさに追いつけず、だまされたり見落としたりするのだけど、円坐の中ではことばを”たどる”ことによって思考のはやさをリアルタイムで追いかけることができる。たまに追いつく。その思考のはやさと正体を、みんなで目撃することになる。

空中庭園 5月3日(日)14:00〜15:30
https://www.facebook.com/events/165707094757080/

澤 祐典 (Yusuke Sawa)さんと。

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