あびばのこと
ポジティブな言葉が、残酷だと感じることもある。
あびこばあばは、誤嚥性肺炎で入院した。一度は危篤状態になったけれど、92歳とは思えない驚くほどの生命力で回復。そしてまた、ご飯も水も口にしてはいけない、厳しい状態が続いている。
お見舞いに行ったとき、車椅子の上であびばが言った。
「ほんとに、もういいんだよ。あの日、みんなが集まってくれて、あれでもう充分」
そんなこと言わないで。元気になろうよ。来月にはめぐみの結婚式もあるしさ。その言葉が言えなかった。肺炎になるリスクがあるからといって、あびばはもう何日も満足に水すら飲ませてもらえていない。そんなあびばに、長生きしてと言うのは、残酷すぎる気がした。
最初の頃は、うなぎが食べたいとか、ソーダが飲みたいと言っていたのに、最近では水が飲みたいという。水が飲みたいという当然の希望に応えてあげられないことが、悲しくて、悔しい。
「ごめんね、まだ危ないってお医者さんが言ってるから」と言うと、「ちぇっ。真面目だね」とつまんなそうに言っていた。そのサバサバした返事があびばらしくて、うれしかった。でも、最近は諦めたような顔をするだけだ。
食べることが大好きな人だ。昔から、上沼恵美子のおしゃべりクッキングや昼間のワイドショーの料理コーナーを見ては、いろんな料理をつくってくれた。じゃがりこにお湯をいれてマッシュポテトにしたもの、とろとろのグラタン、じゃがいもとひき肉の入ったオムレツ、牛乳で煮た甘いオートミール。あの世代の人にしては、食に対してすごくリベラルで、なんでも試す。そんな冒険家みたいなところがあった。
それから3ヶ月、あびばは何も食べないまま生き続けた。
クリスチャンだったあびばは、祈るように手を胸の上で組んでいた。死ぬために耐えている、という感じがした。どうして、あびばがこんな苦しい最期を遂げないといけないんだろう。
最後に会った日、もうなんでも食べさせてあげようと言って、母と愛と3人で、恐る恐るハーゲンダッツと、水をあびばの口にいれた。信じられないくらい細いのに、水を吸う力がすごくて、笑いながら泣いた。
まだご飯が食べられるうちに、気管に入ってもいいからいろんなものを食べさせてあげればよかった。
うなぎや、佃煮、赤貝の握り、お茶漬けを思いっきり食べて、むせて死んだ方が本望だったかもしれない、と何度も思った。でも、その決断をすることが、怖かった。
あびばの心臓が止まったと連絡を受けたとき、よかったと思った。あびばはあの苦しさから解放されたんだ、とほっとした。
病室のあびばは、生きていた時よりも安らかな顔をしていた。力が抜けて、解放されたような顔。折れてしまいそうな身体に触れると、「おつかれさま」という言葉が出て、喉の奥が熱くなった。