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大人じゃないよ、セブンティーン

 あの頃の私は、本当に普通の女の子で、十七歳だというそれだけで、何事も許されるような、全てを手に入れることができる権利があるものだと信じていた。ただ毎日をがむしゃらに、必死に生きていたのだ。

 あの時は本当に無敵だった。制服という戦闘服に袖を通すことが、何よりも自分達を強くした気がした。人からの好意も嫌悪も、全てを仲間と共有し、嫌いだとか嫌われただとかも、一蹴して笑い飛ばすことが出来た。風船のような言葉たちを一心に飛ばし合い、駅から家までの道に見た17時過ぎの空は、この世の何よりも美しかった。全てが自分のものだと信じて疑わなかったし、それは他の子にとってもそうだった。


 私たちは、大人になりたくなかった。基本的にバイトなどの外界と繋がることが禁止されていた閉鎖的なあの空間の中で、私たちが関わることを許された大人といえばせいぜい親か教師くらいだった。「大人になる」ということを考えただけで、頭が割れそうなくらいだった。というか、明日好きな人にどう話しかけるか、とか、どう生活主任にバレないように、自分を可愛く見せるかを考えることだけで頭がいっぱいだった私たちに、大人になることなど考えられる訳がなかったのだ。よれたファンデーションを気にもせず、生徒たちの声を聞くだけで顔を顰め、そのせいで皺が増えた教師のような大人に、自分達がなることなど一生ないのだと思っていた。

 むしろ、私たちはいつまでも瑞々しく、外界から一定の距離が置かれ、特別視される尊い存在だとすら思っていた。高校生という期間が、3年という期限付き免罪符であることは頭の隅で分かっていたが、それに気づかないほど私たちは毎日に夢中だった。

でも、永遠が存在しないことも分かっていた。

 尾崎や、欅坂46が歌っていた、大人への不信や学校という組織への反抗を、自分のことのように聞き、明日を生きる活力にしたし、涙を流したこともあった。しかし、気が付けば、私たちは、将来を真剣に考えなければならない年齢になっていた。それに、法改正か何かのおかげで成人年齢が十八歳に引き下げられ、私たちは急に「大人」の世界へと放り出されることになった。進路のことを考えただけで頭が痛いのに、急に成人なのだと言われ、私たちは、子供でいることも許されない、大人になることもできない、曖昧な存在となってしまった。

 そんな中で皆んながそれぞれの葛藤や悩みを消化できずに居た。一番安全で、私たちの全ての象徴だった教室も、神経を張り巡らせ自分を守らなければならない場へと変わってしまった。たった一言で誰かを傷つけ、傷つけられ、それを避けるために上辺の言葉ばかりが飛ぶ交う。しかし、今までより余計に外界から遮断されていたその時期の私たちに、共通の話題といえば一つしかなくて、結局誰かの無責任な言葉たちで傷ついた子をケアし、人を傷つけたことも気が付いていない自分中心の人間を蔑み、嫌った。

 あの時期は、今までは一緒にいても気が付くことのなかった(気にすることがなかったといった方が適切か)人間性が顕著に現れた。誰かを見下し、自分を気にしてくれないと怒り、周りを言葉で傷つけていたことを知ろうともしなかった、あの子の耳につく笑い声をよく覚えている。一時の評価に一喜一憂し、自分と誰かを比べることで安心するか、焦燥感に駆られるか。あの時期には、皆んな心に魔物を飼っていた。

 しかし、今考えれば、この時から皆んな頑張って大人になろうと必死にもがいていたのだ。簡単に受け入れることは出来なくても、未来の自分が生きていても許される理由や場所を探さなければ、社会から弾き出される。それを恐れた彼女たちは、自分を守るために、魔物を飼った。自ら弾き出されることを選ぶことのできる人とは話が違う。その選択が出来るのは、よほどのどうすることも出来ない理由を抱える人か、才能がある人か、考え無しのどれかだとすら思う。

 何をしても許され、笑い飛ばすことのできる権利があった、あの美しい私は、私たちは、記憶のものとして宝箱のなかに鍵をかけてしまっておかなければならなくなった。そうして、大切に守ることで、私たちの生きていた時間や痕跡が、汚い言葉に、慣習に、奪い去られてしまうことを避けている。
 
 時々、無性に悲しくなる。自分を傷つけるものから、自分を自分で守らなければならなくなる。無敵の少女はもういない。そこにいるのは、私も知らない、色んな波に呑まれ、逃げる術を学ばなければ生きていくことも出来なかった、一人の女だ。これがどうしようもなく悲しい、辛い、苦しい、いっそ死んでしまおうかとも思う。

 でも、必死に心を凪のように落ち着かせ、問いかける。すると、あの子が答えてくれる。あの時と変わらない笑顔を私に向けてくれる。十七歳の、無垢でその瞬間を全力で生きていた少女。私が、これだけは奪われるまいと守ってきたものだ。あの時間は、あの頃の私たちは、誰にも侵すことの出来ない、私だけのものだ。誰かが好き勝手にできるものではない。簡単に口にしていいものでもない。理解したふりをした誰かが、押しつけの様に解釈を投げつけてくることもない。誰にも汚されることのない、私が私を忘れない為の、花。その中では、欅坂は解散していないし、尾崎の歌を聞いてあの頃を思い出すのでなく、自分を重ねて泣くことができるのだ。

 そんなものが、貴方にもあればいい。私にとっての、十七歳の私のように。息が上手く出来ず、明日のことも考えることが出来ない様な時、思い出してほしい。貴方を生かす何かを、貴方が守ってきた何かを。もし、宝箱がまだ空っぽだとしても、それはこれから出会うものを入れておく為のスペースだと思う。きっとそこには、これまで出会った何よりも美しいものが貴方を照らすだろう。

 願っている。貴方の好きなものが否定されることなく、ただただ大切に、優しく心に残る世界でありますように。悪意にまみれた汚いものから、それらを守っていけますように。貴方が生きていてくれますように。

 ありがとう。生きていてくれて、ありがとう。忘れられない傷も、他の人に言えない様な醜い自分も、まとめて抱きしめて十七歳の私。

そこに確かに存在した、貴方と私。


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