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移動フェチ

 移動フェチであることをここに告白する。

 二十代後半にバックパッカーの真似事で東南アジアとインドを旅行した時、節約のために長距離バスや列車を利用する機会が幾度となくあり、丸一日掛けて移動することもざらにあった。しかしそのような時もそれを憂鬱に感じるどころか「今日は移動日だ!」と内心テンションが上がっていて、どこかで寺院や遺跡を見飽きてしまっている自分自身に対する罪悪感と強迫観念に苛まれていればいるほど、移動することに癒しさえ求めていたかもしれない。また勿論そういった精神的救済としての意味合いだけではなく、バンコクからカンボジアとの国境にあるアランヤプラテートに向かう列車の車窓から見た荒野だったり、インドネシアで乗った長距離バスの中で文庫本を読んでいると前の席に座っていた現地の青年がこちらを振り返って「何を読んでいるの?」と問いかけてきたので「んー、ディスイズ ジャパニーズストーリー。ユ・キ・オ・ミ・シ・マ」と会話したことだったり、夜中にあまりの寒さに目を覚ましただけではなく日中に現地のおっさんと口論にもなった下痢で体調最悪のジョードプルからバラナシへの三十六時間に及ぶ寝台列車での大移動、カンボジアで乗ったバスの車内で入れ替わり立ち替わり爆音で流れていたクメール語字幕の現地アーティストのMV、乗り換えが必要な時や降りる場所がイマイチわかっていない時のバス移動のスリル、席が隣だったフィリピン人の英語の女性教師と就寝時はほぼ密着状態でカルチャーショックを受けたラオスからベトナムへと向かった寝台バス……
 移動は、ドラマであり人間交差点ど真ん中でもある。そして私は、移動に目覚めた。

 今でも移動時間を利用して読書をしたり、車窓から外の移り変わる景色を眺めながら音楽を聴いたり、何も考えずにボーッとする時間が好きだ。移動フェチから言わせてもらえば、移動とは贅沢な時間。

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