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『離れて知ったノスタルジア』




ずっと地元の豊川が大好きなはずなのに、振り返れば不思議といつも豊川に住んでいない。自分自身の中で生じているこの矛盾に向かっていってみると、豊川が大好きな反面「もっと知らない世界を知りたい」とか「何処にいても面白がることのできる術を身に付けたい」などといった好奇心が同じぐらい内在していることを再確認する。二十代後半の時に東南アジアとインドを旅した経験から「百聞は一見にしかず」であることをこの身を持って実感しているし、日々酸いも甘いも噛み分けるその一つ一つの体験を経て「人として豊かになることこそ本当の豊かさではなかろうか!」と、あくまでいち個人の中で腑に落ちていることもこの矛盾を加速させている。すなわち、仮に豊川で生活し続けていたらその居心地の良さと安心感に胡座をかいてしまいそうなことが容易に想像できてしまうための自戒の念も含まれている。(常々ないものねだりである)しかし、名古屋から豊川まで遠過ぎでもなければ近過ぎでもないその距離感がご都合主義に拍車を掛けていることも、これまた事実なのだ。(MajiでHonmatsutentouする5秒前)

 
 蓋を開けてみれば、今も結局はその付かず離れずの距離感を最大限に活用して、盆正月などの連休以外にもほぼ毎月何かしらふらっと豊川に帰っている。それは決して埋めることのできないノスタルジアな感情を一時的にでも埋めるためであり、それから慣れ親しんだ豊川のグルーヴに触れてリズムを整えるためでもある。やっぱりどこかで豊川の空気を吸わないと生きていて息が詰まりそうになってしまうし、まるでそうやって息継ぎをするかのように時々豊川に帰っているのかもしれない。そして、それらはたとえ翻弄されながらだったとしても、この名古屋での日常を最終的には直視して生き抜いていくためなのだとやっぱり思う。


 日曜日の夜に一人で電車に乗って豊川から名古屋へ帰っていると「ずっと豊川で生活することだって選べたはずなのに」と考える。しかし次の瞬間には「それでも全部選んだのは自分自身」という答えに行き着く。ひょっとしたら深い意味なんてそもそも最初から無いのかもしれないし、ただ都合の良い解釈なだけなのかもしれないけれど、こうして今名古屋で生活していることは何となく自分自身の人生において必要な時間であることを確信している。
 だから、いつか未来のどこかでその答え合わせができることが、これまた今後の一つの楽しみでもあるのだ。

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