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一杯のラーメンが教えてくれたこと

 ※日常エッセイ集『ナガレテユク』 掲載エッセイ


 私の心に残る、一杯のラーメンがある。

 それは、最近初めて食べた[だし・麺 未蕾]の[だしそば しょうゆ]だ。

 ちなみに私は、グルメには程遠く、熱心なラーメン通というわけでもない。よって、お店の雰囲気やラーメンの味を星の数で評価することは不得手であるけれど、理屈抜きに私は、この[だし・麺 未蕾]の[だしそば しょうゆ]に心を打たれたのだった。

店内の黒板に煮干しの絵が書いてあったので、スープは恐らく魚介ベースというやつだ。添えられたチャーシューやメンマ、海苔やねぎといった具がより一層食欲をそそる。いざレンゲを沈めたそのあっさりの中に複雑なコクが広がるスープは、それ故に優しいにも関わらず奥深い味わい。出汁がよく効いたそのしょうゆのスープと絡み合う麺は、細麺ながらしっかりとしたコシに支えられ、心地よい噛みごたえを口の中に余韻として残しながら、スルスルと喉を通っていく。

 そして、またすぐさまスープを味わいながら、その細麺を楽しむ。それを繰り返すほど名残惜しさは増していくはずなのに、箸を動かす手は休まることはない。

 

 「美味しい」

 一歩遅れをとってしまいそうなその充足感に胸を詰まらせて、思わず溜め息が漏れる。

 何度も口をついて出るその一言が、全てを物語っている。

 また、お店の内装も温かみと懐かしさを感じる中に、照明や音響、インテリア雑貨や観葉植物など、随所にモダンな雰囲気やこだわりが感じられ、密かに私はワクワクと憧れを抱いていた。BOSEのスピーカーから流れていたインストゥルメンタルバンドの音楽が気になった私は、shazamでその音楽が何というアーティストなのか調べてみた。流れていたのは、Regaという日本のインストゥルメンタルバンドだった。

 私は、自分の世界がまた少し広がった気がして嬉しくなった。店内のセンスの良さ全てにカルチャー度を引き上げてもらったような錯覚を覚え、目も耳も終始ずっと楽しかったのだ。

 「ふー。美味しかった」

 ふと気づけば、ラーメンの写真を撮ることなんて、すっかり忘れてしまっていた。しかし、そのことを不思議と後悔もしなかった。

 むしろ私は、それよりも真っ先に「お金を貰う」とは”こういうこと”なのだと思った。

 「来て良かった」「また来たい」

 そう思わされているのも、きっと”こういうこと”があたりまえのようにされているからなのだ。

 そして、つくり手の想いは全て”こういうところ”に現れるのだとも思った。

 そのようなことを急激に意識したのは、物書きの端くれとして、お金を貰うことや時間を割いて足を運んでもらうということにおいて、私自身の中で後悔が残っていることがあるからだった。

 私は、この一杯のラーメンに心を打たれたからこそ、今一度その時の後悔を顧みて、自分自身の中に確かに抱いてしまっていた慢心や過信をまた戒め直していた。

 

 「美味しかったです」

 お会計の時、レジを打ってくれたスタッフのお姉さんに、思わずそう伝えた。

 

 お姉さんは嬉しそうに笑って「ありがとうございます」と答えた。

 その瞬間、物書きの端くれとして私が求めているのも、お金をいただいた後のもっと先にあることを再確認した。



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