改名&方向転換します
今まで、「ひとことはなし」のペンネームで、”短くて分かりやすい、ちょっと良い話をする”をコンセプトにnoteをやってきたが、どうやらこのコンセプトには、私よりも優秀で適任な先駆者がいたらしい。
ひとことはなし【言葉には力がある】 (@HitokotoHanasi)さんをチェックしよう!
今までのような「ひとことはなし」を読みたい!と思ってくださる方は、きっと上記のアカウントをフォローしてもらった方が、より良い話が読めると思う。
というわけで、私としてはコンセプトを新たにして、noteを書いていくことにした。
現在、天理教青年会では「自分の徳分を活かす」を、大きなスローガンの一つとして掲げている。
そのスローガン通り、今天理教では、ブロガーやYouTuber、Twitterやインスタグラムの運用、ラジオパーソナリティなど、様々な方法で、自分の徳分をネット社会の中で活かしている人が増えている。
そうした中で、私も何か自分の徳分を活かしていくとするならば、私にとってちょうど良い方法は、「コラム(短い評論文)」じゃないかと、以前選挙の記事などを書いていて思った。
「選挙の話~右と左で考える~」|ひとことはなし @Yoshii_Yuitirou|note(ノート)
今社会の中で、もしくは宗教界の中で、何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、そうしたことを分析し、意見として表明する、なんてことを、やるだけやってみたい。
とはいえ、「宗教」と「分析する」という作業は、本来相容れるものではない。
宗教とは本来、「心で感じる」ものであって、「頭で考える」ものではないからだ。
しかし、「頭で考える」からこそ見えてくるものもあると、私は信じている。
そしてそれは、「世間の視点」で「宗教」を考える、ということにもなると思う。
近代以降の人間は「心」よりも「頭」で生きるようになっている。
そんな中で、宗教は「心」が大事だからと、「頭」による思考を放棄し続けるのであれば、世間と宗教との乖離は、今後もますます進んでしまうと、私は考えている。
主観性だけが大事にされる世界に、客観性のメスを入れることは、あまり褒められたことではないのかもしれないし、賛否両論あることだと思う。
しかしその愚かな作業こそ、今混迷する宗教界に必要な作業なのだと信じて、これから「宗教家コラムニスト」としての活動を、開始していきたいと考えています。
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