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宇宙ご飯を経て〜コンセプト“1”〜

前回までの更新では、「1」を知るために宇宙にご飯をつめたはなし(以下 宇宙ご飯)にお付き合いいただきありがとうございました。
宇宙ご飯を機に「数」について書かれた本を多く読むようになりました。
きっかけは些細なことでしたが「1」への興味に気付けたことで、はじめて自分の描く絵に「コンセプト」を持つこともできました。

今、私は「1」という存在を自分なりに捉えなおしながら絵にしています。宇宙ご飯を経て絵のコンセプトが「1(1の概念)」となったいきさつも、頭の整理がてらここに書いておこうかなと思います。
自分の内面に近い言葉を文章で書くのはとっても苦手ですが、頑張って書いてみるので、よろしければ少しだけお付き合いください。

私は子供の頃から「ある」や「あるものはなくなる」という事を意識していたように思います。
自分には家がある。家族がある。得意なことも苦手なこともある。時間があって、命がある。
だけどそれは、今日、なくなるかもしれない。
だからその一つ一つを、出来るだけきちんと「見よう」としてきました。
朝目が覚めて「今日があるな」と思う。木の幹の質感を肌で感じる。何かに心を動かされる。自分に感じ取れるものを、出来るだけ大切にしてきたつもりです。(そしてこの考え方には多分、私が長崎出身で、子供の頃から平和学習があったり、被爆者である祖父の話や戦争を体験した人たちの話を直に聞く環境があったことが大いに関係していると思っています。)

絵を描くというのは私にとって、私が感じ取ったその一つ一つを、一度私のフィルターを通して(再び)可視化させるという作業です。
草花の絵も人の絵も、手紙に添えた挿絵も、好きな作品のファンアートも全てそうです。
花弁の色がきれい。物語がすてき。だから私は絵を描きます。

宇宙ご飯を考える最中に、「1」は「ある・認識している」ことがわかりました。
(1=認識しているというのは、専門書を読んで得た知識ではありませんが、おそらくこの考えは概ねあっているかと思います。違ったら申し訳ない)
私はこれからも「ある」ものに目を向けて、大切に描いていきたい。
そんな思いで「1(1の概念)」をコンセプトにすることにしました。

今は「1」を、数学の他に物理学や生物学、認知言語学の面から観察することに興味があります。
一生涯という、ひとりひとりに与えられた異なる長さの時間について。
個を分ける、皮膚という名前の柔くて強い存在について。
それが「ある」と認識し、表現する思考について。
それぞれの方向から「1」を見た時に、ここが素敵だなと感じた部分を描けたらと思っています。

これからも「数」についてはちまちま本を読んだり、ふわふわ空想したりすると思うので、書けそうな時に更新できたらいいなと思います。
その時には、またこのnoteを覗きにきてくださると嬉しいです。

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