【活動報告】人文社会学的観点に着目した医療現場の事例検討会

 筆者らは先般、医学・医療に対して人文社会学観点が必要とされている現状に対する考察を、COVID-19禍中の臨床現場において医療従事者が社会的、倫理的困難に直面した複数の場面を具体的事例として扱い、医療者教育や医療そのものの特性にも注目して論じた。[1] 実は、そのような協働のモデルケースとなる取り組みはすでに存在しており、文化人類学者、医師らが取り組んでいる事例検討会が書籍[2]にまとめられている。この例の通り、教育現場においては事例検討会などが段々と実現されてきているようだが、これらは現状、大学を含む教育機関等の特殊な場面でしか実現しておらず、全ての医療者がアクセスできるリソースとはなっていない。すなわち、事例については、個別具体性が強く、これらの取り組みを参考にはできるが、医療従事者が「いま」「ここで」困難に直面している内容に十分に示唆を与えてくれるとは限らないのである。
 このような状況を踏まえて筆者らは、制度や教育機関で実践されるプログラム等で担保される天下り的なものではなく、実臨床の問題意識が比較的即時に共有できる草の根的な活動ができないかと考えた。その試験的運用として、コミュニティツールslack®︎内での事例検討会を企画し、実行した。期間中、参加者の医療従事者や医療系学部学生はあらかじめ担当週を決め、「臨床現場で社会的、倫理的問題に関する困難に直面した」事例提示を行った。それらの事例提示に対するコメントをそれぞれ一週間の期間でslack®︎内の事例検討会参加者から募集し、スレッド上でやりとりを行った。コミュニティ内には15名が参加し、人文社会学のバックグラウンドを持つ研究者にも参加してもらった。一方で、コメントは医療従事者も含めて誰でも行えるようにした。参加者の属性は文系学部出身者(卒後10年以内)3名、医学生1名、看護学部生1名、薬剤師1名、基礎医学研究者1名、初期研修医5名、研修を修了した医師(卒後5年以内)2名、その他1名だった。事例提示の際の文字数は500~1500字程度までバリエーションがあり、コメントについては参考URLの共有のみで終わるものから、最大1500字程度までと様々な分量であった。画像や動画等のファイル共有も自由としたが、全8回の事例提示のうち、エクセルファイルの共有があったものが1例(事例⑧)のみで、他は全てテキストベースであった。事例提示の際には、個人情報が十分に保護されるまで、情報を割愛し、適宜創作を加えた。本稿では、2022年6月1日から8月31日までの期間に提示された全8回分の事例及びそれに対して行われた議論について、要約して紹介する。

事例①高齢認知症患者の手術適応について
 参加者の医師は、自らで意思決定ができない高齢認知症患者の手術加療について話題にした。事例中で、患者は認知症のため、手術に同意しているようにも、拒否しているようにも捉えられた。家族の同意により手術は行われたものの、当人の意思が確認できなかったことについて、医師からの治療方針に関する情報提供のあり方と認知症患者の自己同一性(意思決定権)に対する問題提起が行われた。続く議論では、認知症患者の意思決定については触れられなかったものの、医療者による情報提供については、人文社会学的には、医療者からの一方向ではなく、医療者患者間の相互ダイナミズムの中で捉えることが多い、という示唆を得た。

事例②深い悲しみの中にいる患者さんに短い診察時間内で何ができるか
 ある医師は、強い苦悩を契機にうつ病を発症した若年女性の例を取り上げた。患者は、COVID-19の流行のためにしばらく会っていなかった祖母と数年ぶりに対面し、2人きりで食事をとった。その際に、自らが注文した料理を喉に詰まらせたことがきっかけで祖母が死亡したことを受け、自責の念に強く駆られ、抑うつ症状を訴えて精神科を受診した。
薬物療法と臨床心理士によるカウンセリング開始後も、患者は自身の料理の選択を責め続け、精神症状も一進一退の状態だった。短い診察時間の中で薬物療法以外に医療者(医師)が提供できるものは何か、という問いを提示した。
 参加者からは、喪失体験からの回復過程に関する先行研究等[3]に基づいて考えることができるかもしれないという指摘や、医療人類学者による先行研究[4]が参考になるかもしれないという情報提供があった。

事例③傾聴とはなにか。
 医学部学生より、臨床実習中に、とある患者に対する看護計画について看護師が「傾聴」としたものがあったことに対する関心が共有された。すなわち、「傾聴」とは行為、行動なのか、はたまた姿勢・素養的な何かなのか、という問題意識であった。
 議論として、「傾聴」の概念を分析した先行研究の紹介[5]や、介護民俗学に関する書籍[6]を援用して、「傾聴」は聞き取るという動作として福祉分野では扱われることがあるが、むしろ姿勢的なものであるべきなのではないか、という指摘などがあった。

事例④夜間救急外来ERのあり方
 医師より、コンビニ受診や高齢独居患者が不定愁訴で夜間にERを受診することで、人員不足のERが疲弊する現状が共有され、今後のERは社会的にどのような機能を有し、どのような設計にすべきと考えるか、問題提起がなされた。本事例に対するコメント及び議論はなく、事例提示にとどまった。

事例⑤家族に支えられてきた精神疾患患者の介護問題
 医師より、知的障害を有すると思われる高齢患者の介護問題について話題提供があった。当該患者には配偶者や子供もおり、家族らの献身的な支えによりこれまで生活可能であったが、家族全体が高齢となり、医療機関受診へと繋がった。事例提示者は患者が長年家族以外の社会と断絶された状態であり、コミュニケーションが困難であったことについて問題提起した。参加者から患者の状態について医学的見地からの質問コメントがあったが、倫理的、社会的な話題へは展開できなかった。

事例⑥COVID-19禍で面会を制限された新生児の親が患児の引き取りを拒否した事例
 医学生により、実習中に見聞した事例として、NICU(新生児集中治療室)で長期入院となった新生児について、COVID-19禍中で両親の面会が強く制限され、退院可能となっても両親が引き取りを拒否する事例の紹介があった。「面会」の意義とは何か、愛着形成に関連する要因とは、という点について先行文献等[7]の資料に基づいてコメントと議論がなされた。

事例⑦がん性疼痛患者の麻薬中毒
 患者にどの程度の危険性を説明すれば良いか、という疑問とともに、末期がんのためがん性疼痛を生じている患者に極めて多量の医療用麻薬が処方されている一例が、病院薬剤師より報告された。末期がんであることを考慮して、麻薬による疼痛軽減メリットと副作用デメリットをどのように考えるか、議論となった。

事例⑧大学病院精神科実習中の看護学生に明かされた患者のニーズ
 看護学生からは、実習中のプロセスレコード[8]とともに、看護学生の病棟における役割とは何か、病棟における対話とは何か、という2つの問題意識が共有された。精神疾患により入退院を繰り返していた患者が、併存疾患のため口から食べ物をとることができずに、経鼻的に胃内へ挿入された管を経由して栄養を投与されていた一例である。実習生である看護学生が適切な聞き取りに難渋して間ができた時に、「蕎麦を食べたい」という希望が、入院後はじめて患者より明かされ、そのことに対して、看護学生は、自らが未熟であり、コミュニケーションに結果的に余白が生まれたために生じた出来事であると解釈した。続く議論では、看護学生に限らず、医療の価値観に染まりきらない「医療者と非医療者の間」としての実習生のあり方を活用できる可能性について指摘された。

 これらの事例検討を踏まえて、いくつかの点が明らかとなった。一つには、事例中には医療の専門用語など、できる限り分かりやすい言葉に置き換えたものの、テキストベースで医療の現場を非医療者に理解可能な形にするところに限界があった。また、(ある事前に想定されていたことではあるが、)やはりそれぞれの事例に対して、「答え」のようなものは提示されず、その事例を「どう捉えれば良いか」という概念的選択肢が提示されたと考えられた。また、今回、全ての事例に文系研究者のフィードバックがあったわけではなく、医療従事者のみのやりとりとなったものも含まれるが、社会的、倫理的観点に着目した議論をすること自体が医療者が日常の臨床を振り返る機会となることも示唆された。構造的な限界としては、事例提示を週替わりの担当制としており、「即時的」な解決には至らなかった点が挙げられる。また、各事例提示に対するフィードバックの分量にもかなりの偏りがみられた。医療者の心の「もやもや」が解決されたり、一定の学びがあったかどうかについての定量的、定性的な分析は今回行うことができていないが、今後、評価の余地があるものと思われた。

 今回報告した企画の根本にある理念は、「人文社会学の観点を医学・医療へ活かすことで、臨床現場がより良いものとなるのではないか」というものである。本稿で紹介した事例検討会をブラッシュアップ、拡充させることや、それ以外の方法を模索することも含め、筆者らは今後も、医学・医療と人文社会学の融和をどのような形で目指すことができるか、検証を続けたいと考えている。

        (池尻達紀, 五十嵐天音, 李展世, 横山夏季, 秤谷有紗, 辻本侑生)


【参考文献及び注釈】
[1] 池尻達紀, 医学・医療と人文社会学の接点, 人文×社会, 2022(5), 213-219
[2] 飯田淳子・錦織宏編, 医師・医学生のための人類学・社会学, ナカニシヤ出版, 2021
[3] 武井優子ほか, 喪失体験からの回復過程における認知と対処行動の変化, カウンセリング研究, 2011(44), 50-59
[4] 北中淳子, うつの医療人類学, 日本評論社, 2014
[5] 長尾雄太, 看護における「傾聴」の概念分析, 日本ヒューマンケア科学会誌, 2013(6-1), 1-10
[6] 六車由実, 驚きの介護民俗学, 医学書院, 2012
[7] 村田佐知子ほか, NICUに入院した早産児に対する父親の愛着の変化とその関連要因, 小児保健研究, 2016(75-1), 40-46
[8] プロセスレコードとは、看護において、看護師が患者とのやりとりをテキストベースで再現し、自らの判断や思考を振り返り検証することで、その後の実践に活かす方法のことである。1952年にアメリカの看護学者であるHildegard E. Peplauにより提唱された。

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