アートと医療の関わりを考える

 人と医療の研究室では、【医療者、医療の役割論】を研究テーマの一つとしており、医療者の役割についての考察は、過去のnote記事[1]や学術誌への投稿論文[2]でもその総論的視点の一つを紹介しています。すなわち、医療を介して人間存在そのものをどのように捉えるのかという根本的な論点を検証し、実践する「”哲学者”としての医療者」の重要性を提唱しています。今後は、例えば医師、看護師、薬剤師など各個別の職能に迫る各論的視点も含めて、検証を重ねていきたいと考えています。
 一方で、医療全体の役割については、より社会に開かれた医療を実現するための方法論に関心を持っており、その手段の一つとして、アートと医療の関係性に注目しています。今回、アートと医療の関わりについて、私たちの考察と取り組みを一部、紹介致します。(そもそもアートとは何か、という問いも成り立ちますが、今回は深追いせず稿を改めたいと思います。)

 アートと医療の関係性については、海外ではある程度研究がなされてきているようであり、最も包括的なエビデンスとしては、WHOのヨーロッパ地域事務局が発行したエビデンスレポートが挙げられるでしょう。[3] このエビデンスレポートでは、200のレビュー論文及びメタアナリス等を含む900以上の論文が対象に含まれており、予防医療、健康増進に寄与するモジュールと、臨床的治療に結びつくモジュールとの2つに大別して、エビデンスをまとめています。
 これらのエビデンスはヨーロッパで蓄積されたものですが、日本においてもアートと医療の関係に着目した取り組みは行われており、今後、国内でのエビデンスの蓄積が望まれると考えられます。当研究室も極めて草の根的ではありますが、情報を蓄積するプラットフォームとしてfacebookページを立ち上げています。(投稿数はまだ非常に少ないですが、今後、充実させていく予定です。)

 上記のfacebookページには必ずしも投稿していませんが、研究室内で常に情報は収集しており、国内の有用な事例の報告、事例を集めたサイトや記事等に注目しています。例えば、ヘルスケアアートの事例集[4]や有識者による包括的な関連記事[5]などを参照しており、これらを統合して、アートと医療の関係性を扱う観点ついて私たちは、以下の①〜④の要素から注目しています。

① 臨床医学的観点
 例えば、アート作品やアートに取り組むことにより入院患者の痛みスコアが低減した、というような内容や、精神疾患を有する患者においてアートプログラムを導入することでより良い治療効果が得られた等、臨床医学的な観点からアートを研究する取り組みが行われており、まさに、先述のWHOヨーロッパ地域事務局のエビデンスレポートでサマリーされている内容などが該当します。また、患者家族の不安軽減や医療者の心理的負担軽減に対する効果等、患者本人のみならず、医療に関わる人々に対するアートの効果検証についてもこの項目に該当します。この観点については医学的な考察が必要となるため、本稿では詳細な考察を控えます。

② 医療者教育的観点
 アートは患者に対する臨床医学的な効果が認められるだけでなく、医療分野において、より幅広く社会に有用な様々な効果をもたらすものと考えます。その一つとして、医学教育にも今後さらに用いられる可能性があると考えています。例えば、医学界新聞では、医学教育におけるアートの有用性について連載が組まれていました。[6] この連載では主に、臨床実践において必要な観察眼を涵養する手段としてアートに注目しています。
 私たちは、過去に患者向け医療情報提供パンフレットを作成する試み[7]を行いましたが、その際には、医療系の参加学生らから、デザイン面で非医療者の一般の方々にどのように訴えかけるかという点も論点に挙がりました。このことは医療者自身のアート的訓練にもつながる内容ですが、次の③で扱う、医療情報を社会にいかに効果的に伝えるかという、医療分野の啓発におけるアートの活用の可能性も示唆しています。

③ 医療啓発的観点
 アート作品を医療分野の啓発に用いる観点について、記憶に新しいものとしては「働く細胞」が挙げられるかもしれません。 [8]
 これはヒットした漫画「働く細胞」(原作についての紹介は[8]サイト内)とタイアップして厚生労働省が感染対策を呼びかけるもので、文章による注意喚起と比して、注目されやすく予防医学的に望ましい行動へ結びつける方法として(広義の)アート作品を活用した事例です。
 当研究室でも、オリジナルの試みとして、アーティストの方に医療をテーマに作品を制作していただく企画を進めていますので、ご紹介致します。現在、京都のアーティスト、小倉ミルトンさんに絵画を描いていただいており、それをポストカード等のグッズにしています。この企画は、医療分野の、ある程度専門的な知識に対して広く興味関心を持ってもらう目的で行われており、感染対策のように具体的なアウトカムを現段階で十分に明確なものにはしていませんが、広く科学(医学)知識について啓発する効果を目指しています。

 例えば、こちらは、「脳の中のホムンクルス」(大脳の運動野、感覚野の分布を人形化したもの)をテーマに絵を描いてもらい、作成したポストカードです。


また、「ミニマルセル」という人工細胞をテーマとしたポストカードも作成しました。


 その他、T2ファージ、ロールシャッハテスト、消化管の壁構造など医学的テーマをモチーフとして絵画を制作していただいております。

 これらの作品群は、私たちが雑多に提案したテーマを基に作成してもらいましたが、今後、どのようなテーマ性を持って作品の制作依頼を行い、どのようなアウトカムを想定していくのかを明確にする点が課題と考えています。

④ 社会医学、哲学的観点
 ①〜③の要素も少なからず含んでいるものの、より幅広く社会に訴えかけるアートの活用事例としては、医療者が市中に出て地元の方々と健康に関する対話を行う屋台de健康cafe[9]や、病院全体でアートとの融和をはかる耳原総合病院の取り組み[10]、医療者とデザイナーの協働プラットフォームStreet medical schoolの事例[11]などに注目しています。
 これらはいずれも病院などの医療施設、医療機関の従来のあり方を根本から問うものと考えています。先述のWHOのレポートにも、「アート的取り組みにより健康概念に新たな価値が加わる」旨の記述があり、「病院」「医療」の価値観を更新する手段としての意義をアートに付与することができると捉えています。

 ①〜④の観点は、いずれも互いにまじわっており、明確に区分できるものではありませんが、一つの見方としてご紹介致しました。当研究室では今後、事例収集を行いながら、特に④の観点を重視して、総合的にアートと医療の関わりを考察していきたいと考えています。ご助言、ご協力いただける方は是非ご連絡をいただければと思います。

                              文責:池尻達紀

【参考文献】
[1] 池尻達紀, 未来の医療従事者の役割-「哲学者」としての医療者-,人と医療の研究室公式note https://note.com/hitoken_article/n/nf592452a75c7
[2] 池尻達紀, 医学・医療と人文社会学の接点, 人文×社会 2022, 5(2)
[3] Fancourt D, Finn S. What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being? A scoping review. Copenhagen: WHO Regional Office for Europe; 2019 (Health Evidence Network (HEN) synthesis report 67)
[4] ヘルスケアアート事例集HP, https://healthcare-art-works.com
[5] 中野詩, ひろがる「芸術と医療福祉」のプラクティス, artscape, https://artscape.jp/focus/10178155_1635.html
[6] 森永康平, どうして医学教育にアートが必要なの?, 医学界新聞,
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2020/PA03391_05
[7] 人と医療の研究室, 医療系学部学生らによる「患者向け医療情報提供パンフレット」作成の試み, 2019年度SCOOPプロジェクト, 一般社団法人ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン, https://www.link-j.org/sandbox/post-3059.html
[8] 厚生労働省HPより, https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_18359.html
[9] 孫大輔ほか, 家庭医が街で屋台を引いたら:モバイル屋台による 地域健康生成プロジェクト, 日本プライマリ・ケア連合学会誌, 2018, 41(3)
[10 ]耳原総合病院公式HP, https://www.mimihara.or.jp/sogo/hospitalart/
[11] Street Medical School公式HP, https://streetmedicalschool.com/#


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