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猫のいる殺人 第3話

第3話

 十二月十日。その日の朝も、芽依は一番乗りをして、捜査会議の準備を手伝った。
 捜査会議では、通信記録の取得がまだ遅れていること、永濱が七日の二十時半頃に〝キャッツシールド〟の拠点に戻ってきていたことの裏取りが、ICカードの記録によってできたことなどが報告された。
 それに加えて、大越が、南井に最近できたという〝彼氏〟がいたことと、永濱が〝キャッツシールド〟に戻った時間帯に、〝ウエムラマサヨシ〟という男性が猫の見学に来ていて、証人となる可能性があることを報告した。
 捜査会議は、通信記録が上がってこないことで、焦れた雰囲気だった。
 結局、その日も被害者の近隣住民や、友人など、周辺の聞き込みに徹した。特段、成果は得られなかった。

 日が傾いてきた頃、芽依と大越は、警視庁捜査一課の執務室にいた。
 芽依は手元のパソコンを眺め、大越も芽依の背中越しに画面を見ている。
「これまでの状況を時系列順で整理するとこうなります。
 まず、死亡推定時刻は七日の十八時から二十二時の間です。
 七日、十九時半、永濱さんが単独で南井さんを訪問。返答なしのため、留守だと思って帰る。この時点で南井さんの生死は不明。本当に留守だった可能性もありますからね。
 二十時半、永濱さんが〝キャッツシールド〟の拠点に帰還。〝ウエムラマサヨシ〟という男性が見学に来た。
 八日、十九時半、永濱さんと立石さんがふたりで南井さんを訪問。ドアにU字ロックがかかっていることを確認。遺体発見。通報。
 他の情報としては、凶器やドアノブの指紋は拭き取られていた。被害者のスマートフォンが行方不明。最近できた〝彼氏〟がいるらしい、ということくらいですか」
 芽依は頬杖をついた。大越が唸るように言う。
「シンプルなんだが、やはり情報が少なすぎて如何ともし難い。今日の聞き込みでも、近所トラブルもなかったようだし、昔から恨みを抱かれるような真似はしていなかったようだ。やはり、〝彼氏〟の存在がキーになってくれることを祈るしかないな」
 二人で揃ってため息をつく。芽依は大越を見上げた。
「大越さん、明日って非番ですよね。私もですけど」
「そうだな。動きがなければ、休もうと思っている。何かあったら出てくるつもりだがな」
「ま、仕方ないですよね」
 芽依はパソコンを閉じた。
 その日は二人とも定時で帰宅した。

 翌日、大きな動きがあった。
 昼過ぎのことだった。通信記録の取り寄せが完了したことを知らせる連絡が、捜査関係者に回ったのだ。芽依も大越も、大慌てで捜査本部に集合した。

 芽依が谷川北署に着いたのは、ちょうど捜査会議が解散になった直後だった。
 手元の紙を見ながらザワザワと話している刑事たちの間から、長机の席に座った大越を見つける。
「大越さん!」
 大越はゆっくりと顔を上げた。
「遅かったな」
「通信記録が出たって」
「ああ、俺も最後の方しか聞けなかったが、よくわからないことになっている」
「よくわからないこと?」
 大越が手に持った紙を指でパシンパシンと弾く。
「これはメッセージアプリの記録だ。〝彼氏〟と思われる人物とのやり取りが残されている。問題はその相手の名前だ。〝植村うえむら将義まさよし〟」
「ウエムラマサヨシ!?」
 大越はこめかみを押さえる。
「何故永濱の保護団体に見学しにきた男の名前がこんなところに出てくるんだ。珍しくもないし、漢字の書き方もいろいろある名前だから同姓同名の別人の可能性も排除できんが、同一人物だとしたら関連性が全くわからん。しかし、トラブルはその〝彼氏〟、植村将義の関連で間違いない。やり取りを見た限り、植村はどうやら既婚者であることを隠して南井と付き合っていたらしい」
「うわ……最悪」
 大越が紙の束を芽依に寄越す。芽依は、パラパラと読んでいく。植村と南井のメッセージアプリの記録だ。

十二月六日 二〇時九分

植村将義 《話し合いに応じてくれてありがとう。いつが予定空いてる? 離れて暮らしてみてよくわかったけど、京香と離婚なんて考えられないよ。昔から好きだった京香きょうかのビーフシチュー、食べたいな》
南井亜矢音 《京香?》
南井亜矢音 《京香って誰?》
南井亜矢音 《は? なんで返信ないわけ?》
南井亜矢音 《ていうか「離婚なんて」とか、今も奥さんがいるの? バツイチってのは嘘!?》
南井亜矢音 《ねえ! 返信しろよ。隠してたわけ? 最悪》
植村将義 《違う》
南井亜矢音 《何が違うんだよ! 別れる!》
植村将義 《待ってくれ亜矢音。会おう。会って話そう》

 そのやり取りの後、植村と南井は、南井の家で会う約束をしていた。約束日時は七日の十九時。南井の家の地図情報が添付されていた。
 芽依はべぇ、と舌を出した。
「植村の誤爆ってやつですね。こんなやつとどこで出会うんだろう」
「見事にやらかしたな。履歴を追うと、どうやら植村と南井はマッチングアプリとやらで出会ったらしい。まだ一ヶ月程度の仲らしいが」
「マッチングアプリですか……。とにかく、もうこれ決まりじゃないですか」
「だな。さっきプロバイダに提出されていた住所に捜査員が飛んでいったよ」
「密室の方法だとかいくつか謎が残りますが、引っ張っちゃえば詰められますしね」
 そのとき、捜査本部に残っていた捜査員のスマートフォンが鳴った。
 次の瞬間、男性捜査員が怒鳴った。
「どういうことだ!」
 部屋中がその捜査員に視線を注ぐ。捜査員は、わかった、一度所轄に引き継いでお前は引き上げろ、と指示を出して、電話を切った。
 捜査本部がしん、と静まり返る。
 青い顔でスマートフォンを呆然と見ていたその捜査員が、顔を上げ、周りを見回しながら言った。
「植村将義が、部屋で死んでいるそうです」

 芽依と大越も、植村の死亡現場に急行した。
 現場は、谷川北署管轄に隣接する四方木|《よもぎ》署管轄内にある、ウィークリーマンションだった。
 ふたりは、警察手帳を提示し、規制線を越えてエレベーターで五階にあがる。既に多くの捜査員が現場を調べていた。
「お疲れ様です。捜査一課の大越です」
「明城です」
 所轄の女性刑事に声をかけた。
「ああ、捜査一課の……。四方木署の楢沢ならさわです」
 きりっとした黒髪のショートカットが似合う。歳は三十代半ばくらいだ。楢沢刑事が、芽依と大越を先導した。
「ガイシャは、植村将義、四十歳。都内のベンチャー企業役員です。死亡推定時刻は昨日の夜、つまり十日の二十一時から二十四時頃だそうです。既婚者ですが、妻と別居状態です。プロバイダの住所は妻の家、つまり元の住所だったので、捜査員はその住所を訪問したとき別居の事実を知らされたとのこと。そこで、妻を伴って、こちの部屋に来て、鍵を開けてもらったところ、ガイシャが死んでいたということです。妻の京香はあちらの部屋にいます」
 四十歳とは、南井と十四歳も離れている。歳の差カップルだったんだな、と芽依は思った。
 植村は寝室できちんとベッドの中に入って死んでいた。目は閉じているが、なるほど、四十にしては若く見える。精悍な顔つきだ。
 芽依が見える範囲では、大きな外傷はない。ただし、右手を横断するように包帯が巻かれていた。右手は赤黒く腫れ上がっているようにも見える。芽依は、メモを構えながら楢沢刑事に訊く。
「死因は何なのでしょう。この包帯と関係がありますか」
「死因もこの包帯も不明です。大きな外傷などは見られないため、司法解剖に回されます。毒などの可能性はありますが、こんなにきちんと眠るように亡くなっていると、それも考えにくい気がします」
 芽依は相槌を打ちながらメモしていった。
「それから」
 楢沢刑事が追加する。
「このガイシャは前科がありました」
「前科ですか」
 大越が見を乗りだす。
「はい、動物の虐待、殺傷です。十年以上前のことのようですが、罰金刑を受けています。ちなみに、妻の京香はそのことを知りませんでした」
「虐待……酷いですね」
 芽依は眉をひそめる。大越が楢沢刑事のほうに向き直った。
「奥様のお話を聞かせていただけますか」
 植村京香はリビングのソファで涙を流していた。
 隣に寄り添う制服姿の女性警官に、大越が話しかける。
「お話、聞けそうでしょうか」
 女性職員は困った顔をしたが、京香が蚊の鳴くような声で「大丈夫です」と答えた。
 大越は芽依に目配せする。眼光鋭く、ベテラン刑事の威圧感も纏う大越は、凶悪犯相手では大変頼もしいが、被害者相手だと怖がらせてしまうこともある。特に今回は相手が女性であることから、芽依に対する「お前が訊け」、という合図だった。芽依はぐっと拳を握ってみせた。
 女性職員と場所を変わり、ソファの横にひざまずく。京香と同じ目線になってから、芽依は話し始めた。
「警視庁捜査一課の明城といいます。こちらは先輩刑事の大越です。ご主人を亡くされてショックを受けていらっしゃるときに申し訳ありませんが、いくつか聞かせてください」
「はい……。すみません、泣いてしまって」
 京香は弱々しく答えた。
「いえ、ショックだったと思います。早速ですが、奥様、京香さんはご主人と別居中だとのことで。ご事情を伺っても良いですか」
「……お恥ずかしい話ですが、夫の浮気が原因です。隠し事が下手な人なので、マッチングアプリで浮気を始めて間もなく私が見つけました。別れると言っていたのですが、私が顔も見たくないと思い、冷却期間を置く意味でも出ていってもらいました」
「浮気を見つけたのと、別居を始めたのはそれぞれいつ頃ですか」
「浮気を見つけたのは一ヶ月ほど前です。多分、浮気相手の方とお付き合いされてから、ほとんど経っていなかった頃だと思います。別居を始めたのは、それから一週間後程度だったと思います。なので、三週間ほど前でしょうか」
 芽依は、南井と植村の仲が始まったのが一ヶ月前くらいだと言っていた大越の言葉を思い出す。本当にすぐに見つかったのだな、と内心呆れた。
「それから定期的に連絡などは取っていたのでしょうか」
「数日前に、『浮気相手と別れたから一度話したい』と連絡が。近日中に会おうと言ってきたので承諾したのですが、途中で何故か途切れて、具体的な日程が決まらないまま……」
 あの誤爆メッセージの内容そのものだ。芽依は頭を抱えたくなった。この植村将義という男は、要領が悪すぎる。
「遺体発見の経緯ですが、刑事がお宅に来て植村将義さんを探していたので、京香さんがこちらに連れていらして鍵を開けた、という流れでお間違いないですか」
「はい。主人から鍵が複数あるからと合鍵を預かっていましたもので。まさか、浮気相手の方を殺害した容疑がかかっているなんて……! 夫が亡くなったことよりも、そちらのほうがショックで……」
 芽依は京香の背中を擦る。
「すみません、これは皆さんに確認しているので、ご不快に思わないでほしいのですが、七日の十八時から二十二時の間と、八日の二十一時から二十四時の間、どちらにいらっしゃいましたか」
「えっと、その日は仕事が早上がりで……あ、私、飲食店で働いているんです。それで、七日は十八時には家にいました。そこからずっと一人で家に。八日は遅い時間ですので、やはり一人で家におりました」
「それを証明できる方は……」
「いません」
 芽依は頷いて、話題を変えることにする。
「ご主人に前科があることはご存知でしたか」
 京香は、ゆっくりと首を横に振った。
「動物を虐待していたとか。さっき刑事さんに聞いて初めて知りました。夫と知り合って結婚したのは、五年程前なので、それ以前のことは……そのことも酷くショックですし、信じられない思いです」
「ご主人が浮気をするのは、これが初めてですか?」
「おそらく。多分、興味本位でアプリを始めたら、のめり込んでしまったのだと思います。だからこそ、私が見つけやすかったというのもありました。明らかに様子がおかしかったもので」
「失礼ですが、お子さんは」
「……恵まれませんでした」
 芽依は何となく軽く頭を下げてしまう。話題を変えることにした。
「ご主人と、名前の読みが同じ方が、七日に保護猫ボランティア団体の拠点を訪問したという証言があります。もちろん、同姓同名の他人の可能性はありますが、猫を飼うご予定はありましたか」
 京香は涙を濡らした目をパチパチと瞬かせる。
「いえ、全く。聞いていません。それどころか、あの人は、猫が大嫌いだといって、野良猫などを見ても近づきもしませんでした。ペットショップの前を通るだけでも顔をしかめるほどです。猫を飼いたがっていたなどとは考えにくいです」
 芽依は頷いた。そして、大越を見上げると、大越も頷く。
「ありがとうございました。また何か伺うことがあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
 京香は座ったまま、頭を下げた。芽依も軽く会釈すると、立ち上がり、大越とともに現場から引き上げた。

 芽依と大越は、その足で〝香箱の宿〟に向かった。
 森口店長に、将義の写真を提示したが、見たことはないとのことだった。
「今日は立石さんは」
「彼は今日はシフト休ですよ。……あの、南井さんの事件、まだ解決しないんですか」
 芽依と大越は神妙な顔になる。
「申し訳ありません、全力を上げています」
「今の写真の男が犯人なのでしょうか」
「それはまだなんとも」
 森口店長は、急に声を落とす。
「うちの立石くんは大丈夫なのでしょうか」
 意外な言葉に、芽依も大越も、鳩が豆鉄砲を食ったような心地になった。芽依が訊く。
「どういうことですか?」
 森口店長の声は一層低くなる。
「……私から聞いたと言わないでほしいのですが」
「秘密はお守りします」
「……立石くんは、南井さんのことが好きだったようで……」
「えっ!」
 芽依は思わず声を上げてしまい、慌てて手で口を塞ぐジェスチャーをした。大越も驚いた顔をしている。
「一度だけ相談に乗ったことがあるんです。立石くんに限って、早まったことはしないだろうと思って今まで話せずにいたのですが、七日は猫の通院のために、彼は十八時くらいから二十時頃まで、出掛けていました。猫連れとはいえ、一人だったわけでして……」
「まさか、好意の末、思い余って……と?」
 芽依は目を白黒させる。
「もちろん、僕はそんなことはないと信じていますが……それでも可能性がある以上、刑事さんにはお話しないといけないと思って……」
 森口店長は、涙声でくしゃりと顔を歪ませる。苦渋の決断だったのだろう。
 大越が森口店長の肩に手を置いた。
「お話ししてくださり、ありがとうございます。参考にさせていただきます」
「刑事さん、早く犯人を捕まえてください。そうすれば僕は、立石くんを疑うなんてつらいことをしなくてすむのです」
「全力を尽くします」
 森口店長の肩に置かれた大越の手に、力が入った。

 西陽が差し込む中、芽依と大越を乗せた車は、〝キャッツシールド〟の拠点へと向かっていた。
 芽依はハンドルを操作しながら、左手でペチペチと額を叩く。
「立石さんが、南井さんに好意を抱いていたなんて、全く気づきませんでした」
「だから、片手運転するなっつってんだろうが。どっかの浮気野郎と違って隠すのがうまいのだろうな。しかし、また容疑者が増えたぞ」
 大越は指折り数えていく。
「最初に猫ボランティアの永濱郁美。時間的にはアリだが動機がなさそうだ。
 次に、南井の交際相手、植村将義。動機も時間もバッチリ、コイツが一番怪しい。しかし、原因不明の不審死を遂げた。
 三人目に、植村将義の妻、京香も動機はある。しっかり浮気はバレていたわけだからな。死亡推定時刻のアリバイもない。
 四人目に、猫カフェ店員の立石真尋。南井に横恋慕していたことが発覚。死亡推定時刻も、猫連れではあるが自由に動けていたことがわかっている」
 芽依はゲンナリとして言った。
「昨日までの情報の少なさはどこにいったんでしょうねえ……」
「事件が動くときなんざ、こんなもんだ。植村将義の死因の解明と、容疑者をどう絞り込んでいくかだな」
「そのために、まずは永濱さんに〝ウエムラマサヨシ〟の確認ですね!」

 インターホンを鳴らすと、永濱が解錠した。今、拠点には永濱以外いないことは確認済だ。
 〝キャッツシールド〟は今日もご飯時だった。永濱が手際よくフードを配っている。ニャーニャーと猫たちは元気に鳴いている。
「みんな元気ですね」
「この部屋にいる子たちはね。隣の部屋は問題がある子たちの部屋なの。保護したてで人間に全く心を開いていなくて触ることもできなかったり、病気や怪我をしていたりする子がいるわね」
「大変ですね……」
「でも、私たち猫ボランティアが対処しないと、不幸な猫が増えるばかりだからね。それで、今日はなんの御用?」
 大越は一歩前へ出て、将義の写真を永濱に見せる。
「七日に見学にきた、〝ウエムラマサヨシ〟という男は、この男ですか?」
 永濱は手を止めて、その写真をじっと見る。
「ああ、そう。この人よ。ウエムラマサヨシさん。見つかったの? 私が見学の対応したって、証言してくれた?」
 大越は首を振る。
「残念ながら証言は取れませんでした。先程、遺体で発見されました」
「え……」
 永濱の丸い目が、さらに真ん丸になる。
「この男、植村将義の死について、何かご存知ではありませんか」
 永濱は両頬を掌で包み込む。
「そんな、亡くなっただなんて! 全然知らなかったわ。まさか、また殺されたんじゃ……」
「現状、死因は不明です」
「驚いたわ……」
 そのとき、芽依のスマートフォンが震えた。すぐに確認する。
「あ! 大越さん!」
「どうした」
「これから捜査会議があるそうです。戻らないと」
「そうか。永濱さん、お話聞かせてくださり、ありがとうございました。我々は失礼します」
 大越は会釈をする。芽依もそれに倣ったあと、〝キャッツシールド〟の拠点を暇した。

 捜査会議実施の知らせとともに、植村将義の死亡事件は、谷川北署の帳場で四方木署と合同捜査することになったことが連絡されていた。
 ふたりが急いで捜査本部に戻ると、ちょうど捜査会議が始まるところだった。一番うしろの席に並んで座る。
 捜査一課長がホワイトボードを指す。
「植村将義の死因が判明した。 えーと? カプノサイトファーガ・カニモルサス感染症……による多臓器不全。犬や猫に噛まれて感染する病気だそうで、死に至るのは珍しいという。しかし、植村は免疫不全と高血圧の既往があったことが要因になったようだ。つまり、植村将義は病死!」
 刑事のひとりが挙手して質問する。
「植村の手に巻かれていた包帯は」
「動物、おそらく猫に噛まれた痕だそうだ」
 芽依は食い入るように話を聞く。植村が病死。しかし、珍しい病気を、こんなにタイミングよく発症するものだろうか。
 説明は続く。
「また、植村の部屋から、南井亜矢音のスマートフォンが見つかった。そのスマートフォンのケースからは、血液反応があった」
 場がざわついた。消えていたスマートフォンは、植村が持っていた。しかも、血液がついていたということは、事件の後に持ち去られたという証拠だ。これは確定だろう、という空気が流れる。
「まだ、U字ロックの謎が残っています!」
 挙手と同時に発言したのは、芽依だった。大越は腕で頭を抱えた。谷川北署の梅津署長がまた嫌な顔をする。
 捜査一課長が答える。
「わかっている。まだ謎は残っている。裏取りも必要だ。引き続き、捜査を続ける必要がある。容疑者死亡であることが痛いが、それぞれ、裏取り調査にあたってくれ」
 ガタガタとパイプ椅子の音を鳴らし、捜査員たちが散っていった。一段落ついたという、やや弛緩した空気とともに。

「お前、いい加減にしろよ」
「だって、謎は残っているじゃないですか。このタイミングで植村が聞いたこともない感染症にかかって死ぬなんていうのも、おかしい話ですし」
「皆わかってんだよ、お前に言われなくても」
「本当ですかぁ?」
「……いい加減にしろよ?」
「すみませんでした」
 大越から一通りの説教を受けて、芽依がうなだれる。
「とにかく、これからは裏取りだ」
「うーん……なんかスッキリしないんですよねぇ」
「実際の事件なんてこんなもんだ」
 芽依は、パソコンから目を離さない。大越は諦めて、芽依を置いて外に出た。

 *

 芽依の顔が、暗い捜査本部の中でパソコンの光に照らされている。
 外は、もう星が瞬いている。

 芽依はどうしてもU字ロックの件が引っかかっていた。普段はドアに固定されていたロックがかかった部屋で、人が死んでいた。
 紐とテープを使えば、ロックをかけることは可能だ。しかし、少なくともその痕跡は見つかっていない。
 どうしたら、ロックをかけられる?

 …………。

 ガチャン、と音を立てて芽依は立ち上がった。ひとつの可能性に行き当たった。
 頭の中がスパークするようだ。あらゆる情報が脳内を飛び交う。
 ホワイトボードに書かれた耳慣れない感染症の名前を検索窓に打ち込む。
 猫。
 噛まれる。
 感染症。
 猫嫌い。

 〝あの人物〟がそれを知っているということはありえるのだろうか。
 手元の資料を勢いよくめくる。……ない。その可能性はない。
 それなら、何故〝あの人物〟はそれを知り得たのか。
 芽依は、警察庁の検索サイトにアクセスする。そこには、〝黒幕〟に至るきっかけが残されていた。

続き

第4話

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目次

第1話

第2話

第3話

第4話


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