ゴジラ-1.0の感想(ネタバレあり)

自分は山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」は公開週の土曜に観たのですが、ネットでの議論も割と熱い作品なので、そろそろやはり自分の感想などを書き留めておくことにします。
ネタバレ制限なしなので、未見の方はここから先は読まないことを強くお勧めします。自分でまずは予備知識なしで観たほうがいい。


総合評価

自分は「星5つ」をつけます(5段階評価です)。

「いうてもユア・ストーリーの監督だからなぁ」という声は公開前からたいへん多く聞こえて、いや実際に自分も割と不安だったけど試写会組の絶賛を聞いて「観て良さそうかな」と思って早々に足を運んだし、観た後は「だいじょうぶユア・ストーリーじゃないから観て!」と周囲に勧めたので。

まあ、これで山崎貴監督は汚名を返上できたんじゃないかな。さすがに今後「ユア・ストーリーの監督」呼ばわりはアンチの嫌がらせネガキャン扱いでいいと思ってます。もちろん今後の作品で「やっぱりユア・ストーリーの監督だった…」になる可能性までは否定できませんが、とりあえず。

怖いゴジラ

これが明確に「今回の高評価の主因」なのですが、とりあえず過去のゴジラに比して「これだけ怖いゴジラ」は初めてじゃないかな。基本、カメラは逃げ惑う群衆の目線で下から撮られていることもあり、劇場内での恐怖感は半端なかったです。
加えてゴジラの登場シーンで「ぶおーん」と例の伊福部テーマが大音響で流れたことも加えて、できればスクリーンも大きく低音も良く響く劇場で観た方がいいと思います。

本作でのゴジラはとてつもない恐怖でしかなく、一般人は逃げ惑って殺されるのを待つだけの存在で「こんなの勝てるわけ、ないじゃん…」という絶望しか感じさせません。

まあ、それでも勝ってしまうのが「映画」ではあるのですが、これを「米軍の空襲で焼け野原にされ、神風特攻までやった戦争末期の日本」への連想につなげることは難しくないんですが、めんどくさい話になるのでそこは省略。

この「怖いゴジラ」というのは過去のゴジラにはあまりなかった要素で、もちろん「シン・ゴジラ」にもなかった要素なので、その意味では自分は「こっちのほうが個人的には面白かった」とは評します。まあ対極と言えるほど「違う映画」であるのは明白なので、別にどちらが上とかじゃないです。

あと、まあ細かい点のアレコレなどを含めて「評価が分かれる」作品であろうなとは思うので、本作を酷評するひとがいても別に反論する気はないです。

-1.0ってなんですか

公式サイトで最初に「戦後日本、無(ゼロ)から負(マイナス)へ」とかいうコピーが出てくるんですけど、これって割と意味不明なのでたぶん目くらましのウソです(笑)。
まあ「史実のような焼野原からの戦後の三丁目の夕日スタート」ではなくもっと酷い状態からのスタートだったという意味をこめたのか?という解釈も成立し得ますけど、ぜんぜんそんな映画じゃなかったというか、最後は未来への希望ですよね、これ。敷島の抱えた「生き残り」の闇をそう称するのは主語デカすぎ。

あくまで自分の解釈ですけど、普通に考えれば、これは「ゴジラ1.0より前のゴジラ」じゃないんでしょうか。

まあ「じゃあゴジラ1.0ってどれのことですか」と言えば、さすがにこれは「ゴジラ(1954)のことだろう」としか言えないので、単純に「時系列はそれより前だから」で済ませることが可能です。
周知のように「ゴジラ(1954)」は、戦後の核実験の放射能の影響で1954年に登場した伝説の怪獣という設定なので、原点を1945年に置いている本作のゴジラは明確にその前です。
そういう意味で、ビキニ実験でゴジラは放射能火炎を手に入れてより凶悪な存在になったので、-1.0ゴジラというのは敷島が終戦前に最初に出会ったヤツであるという意味をこめているんでしょう。

話を普通に読めば、ただの時系列でなく本作の重要な素材は「神風特攻」なので、そこにフォーカスしたタイトルであるとも言えます。

生き残れ

結局のところ、これが本作の一番大事なテーマだと思います。より直接的に言えば「今度は殺さない」ですね。
普通にこれは登場人物が口にしているし(そういう分かりやすさが嫌いな人も、まあいそう)「絶対に生還できない」ことが前提の神風特攻は結局は全否定

正直、コレが一部の方が涙を流して喜ぶような「敷島の尊い自己犠牲によりゴジラを倒せた。ありがとう敷島。君の死は無駄じゃなかった。日本の未来は我々の手で」みたいなラストにしたら僕は星2つくらいにしたと思います。
山崎貴監督といえば「キムタクヤマト」の監督でもある(僕はあれも好きですが)のですが、あれはまあ、原作がアレなので仕方ないです。

ただ正直、ラストで典子まで「実は生きていた」にするのはちょっと「やり過ぎ」感はありましたけど…まあ評価を下げるほどの話じゃないです。

正直、ゴジラまで「実は生きていた」にしたのは僕は大いに不満な点なのですが、これについてはどちらかと言えば「まあ今後の映画とか商品展開もあるし」な大人の事情だと思って不問にすることにします。

各論

総論として言いたいことは以上で、あとは個別のネタになります。

なんで敷島は典子の扱いがああなの

これは作中でも他の登場人物から総ツッコミされるほどのポイントで、当然ながらこれは「とても不自然」な話なので、ここで観客が違和感を感じたり敷島の気持ちに自分を重ねられないのは「それはそうだろ」としか言えず。

実際、ぼくも中盤までは観ていて劇場内でこう叫びたい気持ちで一杯でしたよ。たぶん同じ思いだったひと多数。

藤子F先生の名作「ノスタル爺」より

誰が見ても「インポじゃあるめぇし、こんなもん、典子が敷島の家に住み着いた時点で一発やって普通にそのまま双方の合意のもとで籍を入れるだろ」と誰しも思う話で、典子がこのままでそれを受け入れて何年も居続けるのもかなり不自然。

まあ僕はこれは「たぶん敷島は、他の大勢を死なせる羽目になって、のこのこ生き残った自分だけが幸せになる資格はない」と考えているのだろうな、とは思っています。これも「わかりやすい」話ですが。

まあ敷島は「典子が死んだ」(と思って)慟哭して自分の気持ちを再確認したし、ラストの後では普通に結婚して子供も作って日本とともに復興する、という明るい未来を思わせる話だと素直に思っておりますよ。

「子供を作ってしまったら放射能による(自粛)が心配」とかいう今どきのセンシティブな描写はなかったと思いますし、そういうのはないと思います。
まあ東京の話でもあるのでそもそも「原爆」についてもあまり触れられませんでしたし。

高雄

基本的には作中にギャグはないと思う本作なんですけど、
「こんな武装で、あいつにかなうわけないじゃないですか…」
「我々は高雄が来るまでの時間稼ぎなんだよ…」
「高雄さえ来てくれれば…」
からの主人公らのピンチに間に合った形での
「高雄が来たぞ!」
からの高雄瞬殺、の流れは正直なところ少しだけ呆然と苦笑しました。
まあ、ゴジラの強さと全員の絶望感はアピールできたとは思います。

まあミリオタでない自分には、個人的には重巡高雄と言えばコレだったのですが、さすがに10年動きがないし今後もないと思われると、モチベを維持するのはキツイですね…。

「艦これ」重巡高雄。「高雄型」の制服デザインの素晴らしさと愛宕との巨乳姉妹ぶりでプレイヤーに大人気でした。

まあ今なら「重巡たかお」と言われたら重巡タカオのほうになっちゃう自分ではあるのですが。

「蒼き鋼のアルペジオ」のタカオ。アニメもそろそろ10年前になるんですが、こちらは原作漫画はいまも連載中なので、燃料は補給されています。ヘタレ振りには磨きがかかってます。

なんでGHQと米軍は動かない

さすがに「ソ連との関係」という説明だけで済ませるのはかなり苦しめの、まあ不自然な点だとは思います。
まあ映画なんで、としか言えないかなぁ。こういうところでこの映画を酷評する方がいても特に反論する気はないです。

「あの映画で米軍がゴジラと戦わないのは当然だろう。だってそもそもあの映画のゴジラってのは米軍のことなんだから!」
「な、なんだってー!」
という説をいま思いつきましたが、たぶんそういうのではないです。

その他

思い出したら追記します


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