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勲三等瑞宝章は国民栄誉賞より偉いのか?

勲三等瑞宝章は国民栄誉賞より偉いのか? このことを調べてみようと思ったきっかけは、この2つのツイートが原因である。

https://twitter.com/araisan49/status/1766064103293075547

昨日、日本漫画のレジェンド・鳥山明が逝去されたが、それを受けて咲来さん@が「鳥山明に国民栄誉賞は授与されないだろう。なぜなら、日本政府は漫画文化に対して低い評価を与えてきたからだ。その証拠に、手塚治虫にすら国民栄誉賞を与えなかった。」という趣旨のツイートをし、

それに対して借金まみれのアライさんが「政府は手塚治虫に、国民栄誉賞より格上の勲三等瑞宝章を授与しているのだから、格下の国民栄誉賞を授与するわけがない。日本政府の漫画への評価が低いわけではない。
という反論をしている。これが一連の流れだ。

3/9現在、咲来さん@の元ツイートが1000RTほどで(追記:削除された)、借金まみれのアライさんのツイートが5000RTほどあり、さらに咲来さん@の元ツイには「過去に複数の漫画家が勲章を授与されてきたこと」を示すコミュニティノートがつけられていることを付言しておく。

さて、ここで私が気になったのは、本当に勲三等瑞宝章は国民栄誉賞より格が上なのか、ということだ。国民栄誉賞が日本を代表するような文化人やスポーツ選手に授与されるのは全国民の知るところではあるが、"勲三等瑞宝章"というあまり聞き慣れない勲章は、本当にそれより格上なのか。


”格”について調べる

結論から言おう。「どちらが上とか下とか比べられるようなものではない」というのが、客観的な答えになる。
国民栄誉賞は内閣総理大臣が授ける内閣総理大臣表彰の一つであり、瑞宝章は天皇の国事行為として行われる栄典(勲章)の一つである。

授与する基準も法的な立場もまったくの別物なのだ。たしかに勲章という枠内では序列が存在するのだが、国民栄誉賞はその「勲章」ではないため、格の定めようがない。したがって、どちらをより名誉のあるものかと判断するかは、その人の主観に依ってしまう。なお、受章(賞)者を実質的に決めるのは両方とも内閣である。

いうなればバナナとりんご、どちらが格上かと聞いているようなものなのだ。マスクメロンとアンデスメロン、どちらが格上か、という問いなら、答えようがあるだろう。ただバナナとりんごでは、あなたの好み次第ですねとしか答えられない。

したがって、「瑞宝章は国民栄誉賞より格が上」という客観的な根拠は存在しない、がこの記事の答えとなる。

おわり


だけではさみしいので、もう少し深堀りしていこうと思う。勲章を調べるにつれて、いろいろと興味深いことを知ったからだ。

勲三等瑞宝章の”偉さ”について調べる

借金まみれのアライさんが主張する「瑞宝章のあとに格下の国民栄誉賞を授与するわけがない。」という説は、上記の点からも破綻しているのだが、もう一つの点からも破綻している。瑞宝章のあとに国民栄誉賞を授与された著名人は何人も存在する。単純に事実に反している。

自らファクトをチェックをしなければ気がすまない殊勝な読者は国民栄誉賞のwikipediaを開き、「ctrl+F」を押下し、「瑞宝章」とペーストしよう。古賀政男長谷川一夫森光子森繁久彌など、瑞宝章と国民栄誉賞の両方を受賞している著名人が幾人も確認できるはずである(森繁久彌を除き全員勲三等)。一応確認したが、全員瑞宝章の受賞が先である。

余談だが、ファクトベースでは誤りのない咲来さん@のツイートには「コミュニティノート」が付き、明確に複数の誤りがある借金まみれのアライさんには何も付いていないのはコミュニティノートの機能不全を象徴していると思う。(追記:遅きに失した感はあるが、借金まみれのアライさんが投稿してから丸一日後に誤りを訂正するコミュニティノートが付け加えられた)


次に、人によっては不愉快に思われるかもしれないが、勲三等瑞宝章というのがどの程度”偉い”ものなのかを調べていきたい。
もちろん、国から授与される勲章が偉くないわけがない。それは大前提である。しかし、それは本当に国民栄誉賞を受賞された偉大な面々と比肩されるような、”偉さ”なのかという疑問がある。

勲三等瑞宝章といえば、勲一等瑞宝章から勲六等瑞宝章(勲◯等は旧名)まである瑞宝章のうち、ちょうど真ん中くらいの価値ということになる。

「勲三等瑞宝章 受章者」で調べてみた。どの程度の”偉さ”があれば受章できるものか分かれば、章の”偉さ”も図れるからだ。

wikipediaにページのある受章者一覧のあ~う

めっちゃいる・・・

こんなにめっちゃいるとは正直思わなかった。
ちなみに、国民栄誉賞の受賞者は2024年現在、27人と1団体である。
希少度でいえばまさしく雲泥の差だ。

さらに調べてみると、内閣府の発表する「令和5年秋の叙勲等」というページがあった。これが去年の瑞宝章の受賞者数である。

https://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/r05aki.html#jokun

中綬章が昔でいう勲三等瑞宝章である。その数、302人
やっぱり毎年かなりの人数が授かる勲章であるらしい。一年に300人も授かる勲章とあっては、申し訳ないが、国民的人物に渡す勲章としては、役不足な章ではないのかなと、個人的には思ってしまった。

ん…「令和5年”秋”の叙勲等」?

https://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/r05haru.html#jokun

”春”もあった。つまり年二回。春の数は295人なので、令和5年は合わせて597人が瑞宝中綬章(勲三等)を授与されたことになる。ちょっとした小学校である。”勲章の格に一家言ある者”も、これがこんなに発行されているものとは知らなかったのではないか。

さらに、名簿からその年の瑞宝中綬章(勲三等)受賞者の経歴を調べてみる。授与された方々の経歴を確認すると、大学の名誉教授、学長、知事、大使から、省庁の次長、役所の局長クラス、専門学校の元校長、日本郵政の役員、あたりまで確認できた。
だいたいこれくらいの偉さになると、勲三等瑞宝章をいただけるそうである。

まぁ…。お偉いんでしょうけど、(大変失礼であるが)”偉人”と呼ぶクラスの業績ではないな、というのが筆者の偽りない正直な感想である。
この調子なら、日本に数万人以上は受賞者がいるのは確実だろう。たぶん、日本にそんなに偉人はいない。

手塚治虫にふさわしい勲章だったのか?

勲三等瑞宝章が、この半世紀で二万五千人授与されたと概算すると、日本人の約五千人に一人がもらえる計算になる。
はたして手塚治虫は五千人に一人の才能だったのだろうか。はたして日本には二万五千人の手塚治虫がいたのだろうか。

氏には文化勲章(文化ノ発達ニ関シ勲績卓絶ナル者)か勲二等以上の瑞宝章がふさわしかったと個人的に思う。これくらいになって初めて国が評価したといえるのではないか。

漫画家は勲三等や勲四等ばかりを授与されているが、ハッキリいって一般人が貰う格である。残念ながら国の漫画家への評価は軽いと言わざるを得ない。
ちなみに、ヤフオクで勲三等瑞宝章の勲章の相場を調べてみたら二万円であった。

ただし、調べていくうちに、手塚に勲三等以上を授けられない理由もわかってきた。文化勲章は長らく死後の授与(追贈)が行われなかったため、国がそれを避けた可能性がある。生前は年齢が足りてないのでどのみち叙勲の対象にならなかった(もっとも提案されても手塚は拒否したと思う)。

そして勲二等以上の高等の瑞宝章となると、授かるのはほぼ官僚に限られてくる。漫画家に限らず、文化人は勲三等が事実上の上限となっている。その意味においては「勲三等は最大限の評価」と考えることが出来る。もちろん、文化への敬意がそもそも足りてないと言うことも出来る。


思うに、瑞宝章は元より公務員や公共的な仕事を成した者を労う意味合いの章で(瑞宝小綬章は高校校長クラスから貰えるそうだ)、そのtier表に、文化人が入り込もうとすると、どうしても世俗的な評価と勲章の等位に誤差が生じるのではないだろうか。そもそも文化人の功績を図るのに適さない勲章なのだ。

文化勲章を除けば、文化人の実質的な最高位は森繁久彌の勲二等瑞宝章になると思う。これが”キャップ”となってしまっていて、より地位の高い勲章が文化人に与えられない根拠になっている。
確かにかつてより芸能や文化の地位は向上したが、いまさら手塚治虫や森繁久彌を超える位を与えられるわけがないので、おそらく今後も文化人が勲三等(中綬章)以上を授かることはないだろう。

近年に、国民栄誉賞が創設されたのも、こういったしがらみから開放して幅広く人物を表彰する目的があったはずだ。しかし極端に出し渋ったために、意図が曖昧な賞になってしまい、今の混乱に至るというわけだ。


だが勲三等瑞宝章には天皇がいる

より希少なのは国民栄誉賞であることは、先程に示したとおりだ。
それでもなお、国民栄誉賞より勲三等瑞宝章のほうが格が上なのだと主張する者がいる。その根拠に挙げられているのが、国民栄誉賞は総理大臣が授けるものだが、勲章は天皇が授けるものだからだという。

たしかに憲法上、勲章は天皇の名で授与されるものではあるのだが、はっきりいって形式上のモノである。選出するのはどっちみち内閣であるし、つまり象徴天皇の仕事の一環だ。
また、この「授与」というのを、天皇が直接授けること(親授)と勘違いしてる者が少なからずいるようだ。実際は、親授するのは旭日大綬章・瑞宝大綬章以上からになるので、年に数名に限られる。
ちなみに、勲三等瑞宝章を渡す(伝達)のは各大臣である。天皇でも、総理大臣ですらもない。

毎年春秋叙勲が約4,000名、危険業務従事者叙勲(警察官や自衛官など公務員を対象にした叙勲)が約3,600名くらいあるので、最低でも、天皇から勲章を授与される者は年に7000人以上はいるいくら授けるのが天皇といっても、ぶっちゃけ有り難がるには数が多い。


より偉そうなのは…

先述したように、国民栄誉賞(内閣総理大臣表彰)と勲三等瑞宝章(勲章)はその性質が違うので、格の上下を競う事はナンセンスなのだが、あえて筆者の主観でより偉そうな章/賞を決めてみたい。

手渡す人の”偉さ”でいうなら、国民栄誉賞は総理大臣であり、勲三等瑞宝章は大臣である。国民栄誉賞のほうが、偉そうである。

授与する者の”偉さ”でいうなら、国民栄誉賞は総理大臣であり、勲三等瑞宝章は天皇である。勲三等瑞宝章のほうが、偉そうである。ただし、天皇が授与する勲章は年に7000個以上あり、勲三等(中綬章)に限っても500以上ある。

国民栄誉賞はその時の政権の”ノリ”で決定することも多く、「あの人は貰ったのにこの人が貰えないのはなぜ…」という場面も多い。例えば長谷川町子が受賞してるのに手塚治虫や藤子・F・不二雄が逃してるのは疑問だ。また、しょせん政権の人気取りに過ぎないと批判する者もいる。
その意味において、より明瞭で、歴史も長い瑞宝章の方が”権威”がある、と主張する人がいるのも、理解出来る。

珍しさの面で有り難みは薄いが天皇の名で授与される勲三等瑞宝章か、選出が不安定だが希少で華々しい国民栄誉賞か。

筆者はこれらを総合的にみて、より”名誉”があるのは国民栄誉賞かな、と判断する。錚々たる受賞者の顔ぶれそれ自体が際立ったステータスであるという評価だ。ただ好みの問題といえば好みである。もし比較が文化勲章や瑞宝大綬章だったら天皇パワーで勲章のほうが偉そうだと感じたかもしれない。個人の感覚的な話である。
しかし、好みの問題としてではなく、客観的な”格”の差として両者を比べるものがいたら、それはデマであるので、注意されたい。

おわり


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