命よりも大切なものが出来てしまった


そんな日が来るとは思いもしなかった!

そりゃ勿論、家族や友人を自分の命と天秤にかけることは出来ないけれど、私とのこれまでの関係値ありきだし、そうしたいという私の意思があるわけで。だから今回みたいに"本能的に"そう思ったということにかなり衝撃を受けている。
まるで始めからそのようにインプットされていたかのように。

これを母性と呼ぶのかどうかはまた別の話として。


実子である。
この世に誕生してからまだ1ヶ月程度の、何も出来ない小さな子である。

彼女を初めて見た時、小さかった。本当の本当に、小さかったのだ。小さくても、顔や体の造形は綺麗に出来上がっていて、私の腹のなかでは一体どのような過程が存在していたのか不思議に思う。

妊娠中は幸いにも辛いことは殆どなかった。
つわりも軽い方だったと記憶しているし、細かなマイナートラブルはあったにせよ 自身が妊婦であることを忘れるくらい普段の私と何も違わなかった。
時々その存在を示すように胎動はあったけど、噂に聞くような痛いほどのそれはなかった。それどころか臨月になっても走れたし、いつも通りスタスタ歩いてはケロリとしている私に母や友人は驚いていた。長身のおかげかそこまで見た目のお腹は大きくならなかったので、パーカーみたいなダボついた服を着るとおそらく一見妊婦とは判別がつかなかったはずだ。

出産に関しては、計画無痛分娩のはずが色々あり、紆余曲折を経て結局カイザー(帝王切開)になった。半日かかった。その間ほぼずっと痛かった。痛すぎて頭がおかしくなるかと思った。拷問のような痛みが数秒おきにやってきて、さらにその時にされる内診がこれまた追い討ちをかけるように痛く、途方もない時間の長さを感じた。一層のこと殺してくれとすら思った。

間違いなく人生でいちばん心身共に消耗した日だったと思う。

お腹から彼女が取り上げられ、元気な産声を聞いた時、私は静かに泣いた。まだ顔すら見ていなかったのに、涙が止まらなかった。その涙の理由もよく分かっていなくて、この地獄のような痛みからやっと解放されたという安堵のものなのか、長かった妊娠期間を振り返っての感慨深さからきたものなのか、単純に嬉しさだったのか、とにかくよく分からなかった。その後の縫合が終わって、手術台から降りる頃まで泣いていたと思う。

ちなみに余談だけど、『赤ちゃんの顔を見た瞬間、これまでの痛みが吹っ飛んだ☺️』 みたいなよく見る投稿のようなことは私には一切なかった。
思い出しても身体が震えるくらい、私にはあの痛みはトラウマだった。だから絶対誰にも出産は勧められないし、私自身もう二度と経験したくない出来事でもある。勿論そんな予定はないけれど。

ただただ、妊娠を確認してからそれ以降、子どもが終始元気だったことだけが救いだった。最後の最後で難産にはなったけれど、たったの一瞬でも子どもが危険な状態に陥ったことはなかったので それだけで ああ報われた、と思った。


自分より優先すべき対象が出来た感覚は何とも言い難い。責任だとか義務だとかそういう人間社会のつくった小難しい後付けのものを抜きにして、この世に誕生したからには少しでも良い思いをしてもらわないと割に合わないよな、と彼女は私をもうその気にさせている。

出会って間もないはずなのにね!

なのでまあ、ここのところ寝不足なのはよしとしましょう、何故なら私は夜更かしが得意ですので。


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