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諦めという救い

僕ら(斑・キャメさん)の「人一人のラジオ」は、持て余す時間をどうにか埋めるための手段であり、焦燥から逃げるための免罪符です。

基本的に毎日30分程度のラジオを収録し、隔日公開としています。そのため放送局が放送するラジオとは番組の性質が異なります。質もですが。

僕が聞いているラジオは、パーソナリティの方々が一週間という期間の物語を語る場です。その場所で語られる僕には想像もできない日常に胸を踊らせ、可愛らしいエピソードから身近さを感じます。

しかし僕らのラジオは毎日収録する必要があります。僕らの日々には刺激的な出来事も新たな発見もそうはありません。そのため、雨が降ったというだけの内容で10分のフリートークをしてしまうという事件が起こります。

ラジオとしては問題ありかもしれませんが、僕は何も起こらない日々に意味を見出だせることに喜びを感じています。そんな雨が降った話をしている「#07 人一人のラジオ」のトークテーマは以下の通り。

キャメさんのお話
・雨上がりを待つ大人と濡れることを選ぶ少年 
・通販で感じた無償の愛 
・バングラデシュレザーの実情と本来の価値
斑のお話
・理解を越えた現象と諦めの笑顔
・バーナム効果の中の真実

そんな飛び散ったテーマの中で、今回はラジオでも触れている諦めについて考えていきます。

僕は、ある一線を超えた時、全く別の感情が生まれてくることがある気がします。夏の夕暮れ、生温い風が吹き抜ける海までの一本道。突然の夕立。まとわりつく湿気に顔をしかめていた僕らはあまりの雨に笑いだした...

僕らには自分の理解できる範囲の物事があって、その中で現象を捉えようとしています。大人になると自分が作った枠の中に、全てのものを押し込もうとしてしまう。

大人にとって雨は忌むべきもので、困り顔で雨上がりを待っている。大人達の横を子供達は笑顔で走り抜けていく。雨が止むのを待つでもなく、傘を差すでもない。子供には第3の選択肢が見えている気がします。

大人になって見えなくなった選択肢。それを隠しているのはたぶん自分が作り上げた常識です。大人の常識の枷を外してくれる突発的な出来事。夕立を待ってみてもいいかもしれません。

自分の常識を超越するものに対して、僕らは諦めのような感情を抱きます。自分の理解なんて到底及ばないと知り、今までの小さな自分を笑いたくなるのかもしれません。

そんな諦めは僕らを楽にしてくれることもある気がします。

僕は社会人になりたての頃、組織に馴染めないことをどうにかできないかと考えていました。漠然とした不安と無力感を感じていたある日、自分の今までの人生を思い返してみました。すると驚いたことに中学校・高校・大学のすべてのコミュニティにおいて馴染めていなかったことを思い出しました。その事実は絶望的なものであるのと同時に、この問題は僕が一生添い遂げるものだと知りました。付き合っていくしかないという諦めは僕を楽にしてくれました。

子供の頃にあった「濡れてもいっか」という気楽さは僕らを救ってくれるかもしれません。

深夜の葛藤の末、カップ焼きそばを作り、湯切りと一緒に中身をブチまけた時も似た諦めを感じることができます。

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