''一重のまま生きる''という選択肢

両親・姉の目は二重なのに私の目だけ一重。

この事で「私だけ血が繋がっていないのかな」等と昔はは良く考え込んでいた。

実際は血の繋がりがあるため、こんな不安の言葉を口にしては笑われたものだ。


姉はぱっちりと目が大きく、二重幅が広い。

そんな姉とのやり取りで鮮明に覚えているものがある。今から約16年前、私が幼稚園生の頃の話。姉は私に向かって「えすちゃんの目可愛いな」や、「お姉ちゃんも一重になりたかったな」と良く言っていた。当時は一重や二重という言葉は全く知らなかったが、それに対して私も「お姉ちゃんのめんめ、くりくりでかわいい!」と返した。

それを聞いていた父親は「お互い無いものねだりだね、お父さんは二人のどっちの目も大好きだよ」と言ってくれた。

当時はまだ幼かったため''無いものねだり''の意味が分からなかったが、それでも''素敵''と言われてとても嬉しい気持ちになった。

そのように言われて育ったため人それぞれの容姿等の違いも受け入れ、美しさを天秤にかけずに過ごすことが出来ているのだと最近感じる。父親にとても感謝している。


だが、思春期になり周りがアイプチや一重を貶す言動・一重が劣っているという世間の風潮が強く感じられる事が増えてきた頃。

私の友人がとても生きにくそうにしていた。常に目元に注意を払って1日に何度も鏡を見てアイプチを直していた。

毎日目付きが悪い、睨まないでと言われていた。

アイプチ不自然すぎると陰で笑われていた。

とても心の優しい友人だったので私は胸が痛くなった。苦しくなった。

友人自身アイプチが不自然になっているのは気づいていたが、それでも一重はブスという刷り込みが沢山あった世の中。止めることが出来ない状況だった。

私は友人に何か出来ることはないかと考えた。

それが''アイプチをしないメイク''を提案することだった。

今でこそYouTube上には一重メイクの紹介が沢山あるが、少し前まではYouTuberはほとんどの人が二重。

アイシャドウを塗るときにははお決まりの言葉「この色を二重幅に塗っていきます」

これでは当時メイク初心者の私は一重の人はどこに何を塗れば良いか全くわからなかったため、自己流のアイメイクを追求し始めた。

メイク研究をして友人を呼び出し、そのメイクを施すと目をキラキラと輝かせてくれた。

「私でも可愛くなれた」、「アイプチをしているよりもこのメイクをしている方が私に似合ってる」

とても嬉しかった。その友人は今でもアイプチすること無く、メイクを楽しんでいる。

私は決して一重から二重に変えている人を責めているのではない。

だが ''二重にしなければならない'' や ''一重は劣っている''という強迫観念だけで毎日生きにくそうにしている一重の現状・境遇に疑問を抱いているのである。

まぶたの線なんて個人の自由である。二重整形やアイプチをして生きやすくなるのであればそれが最善策であり、その人にしか無い   真の美しさなのだと思う。

ただ、

一重''でも''可愛い

この言葉をこの世から抹殺したい。

いつか、一重''でも''可愛いという言葉を

普通の''可愛い''に変えられる日が来るのを願っている。


私の目の形でしか出来ないメイクがあるかもしれない。だが、あなたにしか出来ないメイクも必ずある。

私のメイクは押し付けでは無く、あくまでも選択肢のひとつでしかないが、私が書いた記事を読んで少しでも気持ちが楽になって貰えるのであれば、この上ない幸せである。

その思い一心でこれからもメイクについて追及・発信していく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?