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【読書感想文】バブル 日本迷走の原点/永野健二(日々こまめに片付ける)

先日娘に「バブルって何?」と聞かれて「何だかやたらと景気が良くて、皆がうぇーいとか言っていた時代」程度の回答しかできず、わが身のアホさ加減に落ち込んだので、こちらの本を読んでみました。
ちなみにこの本は先日感想を書いた酒井順子さんの「駄目な世代」の参考文献として紹介されていたものです。

正直言いまして「公定歩合って何?」程度の経済知識からスタートだったので読むのに苦労しましたが、何となく見えてきたような気にさせて頂きました。
読む前は「またバブルみたいな景気の良い時代が来ないかなぁ」などと能天気な事を考えていましたが、そもそもバブル事態が来てはいけなかったことを知りました。

世の常として「複合的要因」でバブルが起こった事は確かなのですが、私が気になった要因は「先送り」です。
人は規則の改正から台所汚れに至るまで、今が大丈夫であれば多少の事は目をつぶる、という習性があるように思います。そして後になっておおごとになり「あの時やっておけば良かった」と悔やむ。

最初はアメリカの圧力により、日本政府が内需拡大を推し進めた事が発端なのですが、日本は明治維新以来なかなか変わらないものを外圧によって解き放つが外圧も思っていなかったほどやり過ぎてしまう、という傾向にあるような気がします。多少不便でも我慢と努力で何とかなるので「面倒臭いしこのままでよくなぁ~い?」と変化を嫌うのですが、外圧でしょうがなく変わってみると外圧の忖度もできちゃうのでどんどん行く。
一度勢いに乗るとこれまた変化が苦手なので何だか物凄い所まで行ってしまう。そして落としどころを見つけるのが下手。

同じ外圧を受けたドイツが違う道を辿った事を考えても、外圧に屈したが制度はあまり変えず楽な方向に転がったとも言えそうです。しかし空気を読む日本、あのバブル渦中でそれは間違っている、と言うのは至難の業。

私はバブルの頃の記憶が一応あり、学生の私ですら「バブルはいつか弾ける」という認識はあったのですが、どこかでまだまだ行けるんじゃないか?と思う雰囲気がありました。
ベクトルは全然違いますがコロナはいつか収束するとは思っているが、本当に収束する日は来るのか?と思う気持ちに似ています。
現状維持はイメージできるのですが、現状が変わる事をイメージするのは難しい。

さてバブルの失敗から何を学ぶべきか、です。
まずは基本素養が足りていない自分を知りました。バブル時代の学生は圧倒的に勉強時間が足りていません。普通だったらバブルとは何だったかを知る程度の経済知識は持っていても良いはず。それがバブル時代は、自分をスキルアップする事を考えず、正に泡のような楽しいけれど無益な学生時代を過ごしました。そのままミドル層に突入した人達がこの国には沢山いるような気がします。今すぐ引退して若い世代に引き渡した方が良いのではないかすら思ってしまいます。せめて邪魔にならないように生きてゆかねば。。

そして日本も色々な不便をこまめに更新してゆける国になるべきではないのか。
主婦目線で言いますとSNS等でお見掛けする素敵ハウスにお住まいの方々。この方々は外圧に屈する(来客が来るから片付ける)のではなく、自分軸で過ごしやすさや美しさを追求している方々かと思います。多少「映え」という外圧はあるかもしれませんが、それでもまとめてどさっとやろうとするのではなく、日々こまめに更新してゆこうとなさる方。
こういう発想が国にも企業にも入り込んでゆけると良いのではないでしょうか。

もちろん個人でコントロールできる自宅と、企業や国では物量も複雑さも違いますが、我慢抜き、忖度抜きで自分たちが心地よく楽に生きてゆく方法を日々真剣に考える。
そんな発想が社会全体に広まれば良いのにな、とバブルからは遠く離れた着地点にたどり着きました。















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