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ノクチルのミステリーを書いた話

画像は5.5thのDay1の終わりに撮った写真だ。かなり良い席(トロッコの時最前で声優さんの顔が見れた。本当に近かった)に座れたというのもあり、大変楽しめた。なおこのnoteの内容と画像及びライブは特に関係があるわけではない。

ミステリーを書いた。正確にいえばシャニマスの二次創作のミステリー合同誌に参加して、ノクチルを題材としたミステリーを書いたのである。このnoteはその感想みたいなものだ。

先日、その原稿を主催者の方に提出した。11月のイベントで合同誌は発売される。もちろんこの合同誌には私以外にも多くの人が参加している。少し読ませてもらったが、どれも見応えのあるものばかりだ。ぜひ手に取って読んでみてほしい。合同誌についてはこちら。
https://twitter.com/illusttama/status/1714615746414993437?s=46&t=7x-GRmhbjzqosoulMOu_9g

さて、先程も言ったが、私はノクチルの四人が活躍するミステリーを書こうと試みたのである。しかし私はミステリーなんて書いた経験がない。もっともそもそも小説自体書き慣れているわけではないのだが。そして読んだ経験もそう多くない。初心者歓迎とのことだったので勇気を振り絞り参加したとはいえ、最初はどうすればいいのかさっぱりだった。

ミステリーって何だろう。人が殺されて、犯人と一進一退の攻防を繰り広げれて、あとなんか知んないけど爆発したり……とかだろうか。私がミステリーと聞いてパッと連想するイメージはこんなところだ。

言うまでもなく、これはミステリーの特徴ではない。人殺しも犯人との攻防も爆発も、サスペンスとかホラーとかアクションなど別ジャンルでも見られる特徴だ。ミステリーがミステリーたる所以はそこではない。

ミステリーはずばり謎を解明するところにある、というのがさしあたりの答えになるだろう。人が死んだり爆発を起きたりする必要性はない。暗号を解くのを主軸とする物語を読んで、人が死んでないからミステリーじゃないという人はまずいないはずだ。建物が爆発しないコナン映画を観て「なんか今回ミステリーっぽくなかったね」という人がいたら僕は聞き間違いを疑う。

余談だがコナン映画は昔と比べるとミステリー要素が薄くなった、アクションに頼りすぎている、という意見をちらほら見かける。そのような意見を否定したいわけではないが、でも僕は現実離れした派手なアクションや、何十人もの人が亡くなってしまいそうな(映画では決まってその辺の人的被害は特に触れられない)建物が爆発するの見るが大好きだ。勿論ミステリー要素は大事だが、コナン映画にそういうシーンを求めて観ている部分は否定できない。

そんな人間だからミステリーへの理解が正当なものから乖離してしまうのだろうか。

話を戻す。そういうわけで、僕はノクチルが何かしら謎を解く物語を書かないといけない状況にあった。だが僕は、それにも拘らず殺人や爆発といったものの魅力から抜け出せなかった。なんとかノクチルとこれらを絡めたい。取り敢えず謎を解く構成に仕上げればミステリーにはなる。であれば問題はノクチルとこんな物騒な概念をどう絡めるかだ……。

こうしてシャニマス×ミステリーという合同誌に参加しておいて、僕という人間は微妙に本題からずれたことに悩み始めたのだ。いや、ミステリーを書くという前提で集まった合同誌でそれはないのではないか、という疑念は勿論僕の中にもあった。でもまあ要するに謎を解く構成にしておけばミステリーになるだろう、その辺は書き始めてから考えればいいと楽観視していた。

いくらミステリー初心者でも気軽に参加してくださいと言われていたとはいえ、こんなテキトーな考えで合同誌に参加するなんて!と怒りを覚える方がいるかも知れない。
念のため言っておくが、僕が書いたものはちゃんと謎を解く構成になっている。もちろん手を抜いたつもりもない。確かに謎を解く過程はミステリーオタクが満足するレベルには達していないだろう。しかしああいう過程はこの物語を書く上で必然的に起こったことである。難しい謎を無理矢理出して解決させるのは作品の流れに沿わなかった。

そしてあの作品の最後のシーンはミステリー(謎)とは何か、どうあるべきかを問う上で重要なものになるだろうと私は思っている。もっとも実はそんな大したものではなく、ミステリーも人生のこともろくに知らないから一人で勝手にそう思っているだけかも知れない。まあその時はその時だ。

最後に、今回書いた作品について少しだけ書き残そう。立ち入った話はできないから、少しだけ。

今回書いた作品のタイトルはずばり『浅倉透の殺人』である。なんでもないある日、「浅倉透が人を殺した」と言う知らせが樋口円香の元に届いて……という話だ。

いやいや。ノクチルがそんな目に遭うわけがない、と誰もが思うだろう。僕も最初はそう思った。だから今回はもしノクチルの四人がそういうことに巻き込まれたらという特殊な場面を想定するような仕方で書こうとした。しかし出来上がった話を改めて振り返ると、また違った見方が出来そうな気がする、人の死や殺人事件といったものの不条理さを強く打ち出したことで、かえって本家から繋がるストーリーのどこかに位置付けられているのではないか。僕は特殊な物語を書こうとしているようで、実は最初から本家との繋がりを、ただの二次創作であることを前提としながらも無意識で考えていたのかもしれない。

できれば次はもっと明るい話が書きたい。でもこの作品が書けてよかったと思っている。多くの人と交流できたし、この合同誌に参加できて本当に良かった。







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