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孤独でありながら人と関わることはできる

承認欲求と孤独への恐れ

ここ最近、自分の承認欲求の強さをあの手この手で思い知らされた。

他人に嫉妬して自分を責めてこんなんじゃダメだと自信をなくし、他人の上に立って優越感を得ることで安心を得ようとしている。

勝とうとすれば必ず負けることもある。
そんなことは百も承知で、こんな苦しい世界はもう手放したい。とはいえ30年近く他人に評価されること、他人より優位に立つことで安心を得てきた。
手放なしたつもりでも、またすぐに顔を出す。

なぜこんなにも優越感の虜なのだろう?
どうして目立ちたい?他人の上に立ちたいのだろう?

そこには孤独への強い恐れがあった。

私の存在価値

私は勉強ができた。運動ができた。いい子だった。
両親は私のそんなところを喜んでくれたし褒めてくれた。
学校の先生も他の大人も、”できる”私を特別扱いしてくれた。

私は”できる”から注目してもらえる。
それはいつしか、”できる”ものがなければ、他人よりできなければ、
誰にも注目してもらえないという恐怖に変わっていた。

そんなとき思い浮かんだ図・・・

出来るだけ高いところに登って、スポットライトに当たろうとする。

でもスポットライトは他人次第で気まぐれだし、何より高いところは不安定でグラグラと転落の危険にいつも晒されている。自分より高い山は羨ましく、脅威に見える。

だったらもう、地面に降りてゴロゴロと居心地よく、安心して自ら光ればいいじゃないか。

自分の価値は自分で決めればいい。気まぐれにスポットライトも照らしてくれるかもしれない。

そもそも孤独とは?

ひとりぼっち。
誰にも相手にされないこと。
頼る人がいないこと。

悲しい、寂しい、嫌だと思った。
私は人と関わりたい。

でも孤独は自由だとか、孤独を愛するとかそういう言葉もよく聞く。

自分のことを分かるのは自分しかいない。
ひとりぼっちということは、自分に関わるしかない。自分に深く関われるということだ。

この世にたった一人の自分。
一生付き合うことになる自分。
そんな自分を一番大事に、深く深く関わっていくこと。そんな孤独なら大歓迎である。

孤独なまま人と関わる

私は自分とのコミュニケーションを大事にしながら、人とたくさん関わっていきたい。

一緒にゴロゴロしてくれる仲間と安心して生きていきたい。

また無自覚に高いところに登ろうとする気がする。
たくさん翻弄される気がする。

それでもいい。

私が孤独である限り、また広く居心地の良い場所へ戻ってこられるとも信じている。


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